氏名読み | かとう・たけはる |
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生年月日 | 昭和53年3月24日 |
サイズ | 186cm、81kg |
投打 | 右投右打 |
出身地 | 山形県 |
経歴 | 山形南高-東京学芸大(H8〜H11)-三菱ふそう川崎(H12〜H14)- 横浜ベイスターズ(H15〜H21)-北海道日本ハムファイターズ(H22〜H23、H24〜H26コーチ、H29〜コーチ) プロ入りはH14秋のドラフト4巡目 |
簡単紹介 | 長身の右技巧派投手。アンダーに近い右サイド投手である。
大学在学時代、当連盟での実績は目立つものがなく、 獲得タイトルは平成10年春季の3試合登板による最優秀防御率だけである。 大学4年次(平成11年)にはチームの軸となったが5勝6敗、防御率4.13の成績にとどまっている。 卒業後に三菱自動車川崎(現三菱ふそう川崎)に入社すると1年目にいきなり チームは都市対抗野球優勝。加藤も1年目から登板を果たしている。 2年目も着実に実績を残してチームの信頼を得ると、3年目となる平成14年に大飛躍。 チームは都市対抗・日本選手権の本大会出場を逃がすものの加藤は エース格として大活躍。神奈川県内公式戦7試合登板で防御率1.17。 都市対抗本戦で日産自動車に補強され、全日本選抜候補にも選出されるなど すばらしい1年を送り、秋のドラフトで横浜ベイスターズにドラフト指名された。 右サイドからの横の揺さぶりを武器とし、丁寧にコーナーを突いての安定感抜群の投球が持ち味。 技巧派ながら直球は最速146km/hを記録したとも言われ、力強さもある。 精神力の強さもうかがわせる落ち着いたマウンドさばきも見逃せない。 東京学芸大からは栗山英樹選手のプロ入り以来19年ぶりのプロ選手誕生。 通算勝利の連盟記録を打ち立てた "プリンス" 小倉丞太郎の影に隠れ続けた "公立の男" は地道に努力を続け、社会人3年目の平成14年、ついに大先輩を超えた。 プロ入り後は1年目からリリーフエースとして登板し、 好成績を残した。入団以来5年連続40試合以上の登板。 高い奪三振率を保ち続け、 先発・中継ぎ、いろいろな場面で起用され活躍を期待された。 平成23年の現役引退後、指導者に転身している。 |
シーズン | チーム | 試合 | 勝 | 敗 | S | 投球回数 | 打者 | 安打 | 三振 | 四死球 | 失点 | 自責点 | 防御率 |
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平成15年 | 横浜 | 44 | 4 | 2 | 5 | 61 2/3 | 252 | 59 | 63 | 10 | 23 | 19 | 2.77 |
平成16年 | 横浜 | 43 | 6 | 6 | 2 | 101 | 421 | 99 | 97 | 27 | 46 | 44 | 3.92 |
平成17年 | 横浜 | 46 | 4 | 6 | 0 | 90 1/3 | 372 | 89 | 85 | 22 | 34 | 33 | 3.29 |
平成18年 | 横浜 | 65 | 8 | 7 | 1 | 76 1/3 | 316 | 64 | 72 | 26 | 24 | 21 | 2.48 |
平成19年 | 横浜 | 52 | 8 | 4 | 1 | 82 | 366 | 88 | 87 | 29 | 43 | 41 | 4.50 |
平成20年 | 横浜 | 14 | 0 | 1 | 0 | 12 | 52 | 17 | 12 | 2 | 8 | 8 | 6.00 |
平成21年 | 横浜 | 9 | 0 | 1 | 0 | 11 | 53 | 15 | 11 | 5 | 7 | 7 | 5.73 |
平成22年 | 日本ハム | 21 | 0 | 1 | 0 | 20 | 81 | 18 | 16 | 8 | 9 | 9 | 4.05 |
平成23年 | 日本ハム | 1軍出場なし | |||||||||||
計 | 294 | 30 | 28 | 9 | 454 1/3 | 1913 | 449 | 443 | 129 | 194 | 182 | 3.61 |