(山口陽三筆)
タイブレークは、延長戦が続いて(あるいは時間がかかりすぎて?)決着がつきそうにないときに 大会ルールに定めた条件が成立したときに導入するルールで、1死満塁、1死1.3塁などの 得点が入りやすい状況をイニングの最初から作って両チームの攻防を始めるものである。 社会人野球では使用バットが金属バットだったものを、平成14年から木製バットに変更になった。 これによって何が起きたかというと、それまで打ち合いで大量点の取り合いだった試合展開が、 一転ほとんど点数の入らないロースコアの試合展開になった(特に企業チーム同士の場合)。 その結果、0−0のままの延長戦が18回まで続いたとか、延長25回までやってようやく 決着がついたとか、そんな試合が多発した。大会はたいてい1日1会場で数試合が 予定されており、ある試合だけが制限なく延長戦を続けてしまうと日程の消化にも影響がある。 また、社会人野球はトーナメント形式の大会がほとんどなので引き分けで終わらせる わけにいかない事情もある。 そんなことでタイブレークのルールが導入され、「試合開始から○時間たって決着がつかなかったら タイブレークに入る」というルールを大会ごとに設けているのが一般的である。 少年野球でなぜ適用されていたかはよく知らずに想像の範囲になるが、点数が入りやすい・入りにくい という話よりは、当時はチーム数も多かった(野球人口も多かった)ために多数の試合を消化しなければならず、 そのために適用されていたのだろう。
とはいえ実際に導入されてみると自分のチームで経験する機会も、他人の試合で 拝見する機会もないままだった。しかし導入から3年目の平成17年暮れ、 初めて経験するに至り、そして大変貴重な経験となった。 平成17年11月の、神奈川県内の社会人野球クラブチーム同士の対抗トーナメント大会、 筆者の所属する相模原クラブが、マルユウベースボールクラブ湘南(以後マルユウ)と対戦した、 伊勢原球場での準決勝戦で、それは起きた。
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 計 | |
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相模原クラブ | 0 | 0 | 1 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 1 | 2 | 11 |
マルユウベース ボールクラブ湘南 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 2 | 0 | 1 | 0 | 9 |
3回に1点先制した相模原は、4回に安打を連ねて5点を追加した。相手先発の倉永は 長身の本格派左腕、東海大甲府高校を出た20才。いい投手だが序盤から主審の判定が辛くて ボールが先行し、苦しい投球が続いていた。この回も四球こそ1個だったがきわどい球を ストライクを取ってもらえず、甘いストライクが行けば打たれる循環。流れにも乗った 相模原の打線からポンポンと安打が出た。
しかしマルユウも5回に反撃。連打で相模原先発・菊地から2点返すと2番手・川崎の 押し出し四球2個で4−6。7回に遠藤の適時打、9回に遠藤の犠牲フライでついに同点とし、 以後はマルユウが押し気味。9回も同点後にサヨナラ機も続き、10回にも1死1.2塁の サヨナラ機。ただここを相模原の新堀が何とかしのいだ。
マルユウ・倉永は4回にビッグイニングを作られながらも続投しており、立ち直った 倉永から相模原は追加点を奪えずにいた。いい投手とはいえ序盤から球数がかさんでいる 倉永をいい加減とらえたいとは思いながら力ある直球に振り負けていた。 ようやく、ようやくとらえたのが延長12回。2死1.2塁から松良が左中間3塁打を打って 2点を勝ち越し。ついに倉永を降ろし、ここまでの投球数なんと251球。 敵ながらあっぱれである。
ここで勝利を決めなければいけない相模原ではあるが延長12回の裏、マルユウが反撃。 上野拓・大平・永坂の3連打で、5球で同点。なおも無死2塁のサヨナラ機が続いたが ここは走塁ミスなどもあって同点止まり。延長12回を終えて8−8の同点だった。
準決勝戦2試合と決勝戦、計3試合が予定されていたこの日だが雨によって開始が遅れて 準決勝2試合だけに変更。20時まで球場を確保していてこの試合は14:45に始まっており、 十分に消化できると思われて開始した試合だが、この時点で19時が近づいていた。 大会本部は延長13回からのタイブレーク導入を決めていた。
相模原クラブ | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | ||
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DH | 金井△ | 三振 | 四球 | 四球 | 三振 | 三振 | |||||||||||
H→DH | 新井幸△ | 遊ゴ | 三振 | 3走 | 左安 | ||||||||||||
E | 松良 | 三振 | 四球 | 中安 | 遊ゴ | 中飛 | 遊ゴ | 左中3 | 2走 | 1死 | |||||||
H | 田山 | 遊ゴ | 四球 | 左安 | 遊直 | 三振 | 右2 | 二直 | 1走 | 3走 | |||||||
D | 若林 | 三振 | 二ゴ | 中安 | 三振 | 右飛 | 二内安 | 三ゴ | 2走 | ||||||||
G | 溝口 | 三振 | 中飛 | 右2 | 右飛 | 二ゴ失 | 四球 | 二飛 | 1走 | 1死 | |||||||
A | 下里 | 四球 | 一直 | 一ゴ | 右飛 | 遊直 | 三振 | 四球 | 3走 | ||||||||
F | 岩澤△ | 三バ安 | 中安 | 遊ゴ | 三邪飛 | 一内安 | 右飛 | 一ゴ | 2走 | ||||||||
B | 古舘 | 四球 | 三振 | 三振 | 三振 | ||||||||||||
H | 新井敏 | 投犠 | |||||||||||||||
3 | 望月△ | 捕バ安 | 二ゴ | 1走 | |||||||||||||
C | 坂井 | 右飛 | 中安 | 遊ゴ | 四球 | 三振 | 四球 | 1死 | 四球 | ||||||||
P | 菊地 | ||||||||||||||||
P | 川崎 | ||||||||||||||||
P | 長谷部 | ||||||||||||||||
P | 新堀 | ||||||||||||||||
P | 中屋 |
マルユウ湘南 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | ||
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E | 福士 | 三ゴ | 遊直併 | 三振 | 右飛 | 四球 | 三振 | 二ゴ | 2走 | 1死 | |||||||
B | 落合△ | 二飛 | 遊ゴ | 四球 | 左安 | 中安 | 一邪飛 | 三振 | 1走 | 3走 | |||||||
C | 藤嶺 | 左飛 | 左邪飛 | 四球 | 左飛 | 右飛 | 中安 | 右飛 | 2走 | 1死 | |||||||
DH | 遠藤 | 左安 | 四球 | 三振 | 左安 | 中犠 | 右飛 | 二直 | 1走 | ||||||||
R | 中島 | 3走 | |||||||||||||||
A | 上野拓 | 右飛 | 遊ゴ | 四球 | 三振 | 三ゴ | 左安 | 右犠 | 2走 | ||||||||
F | 大平 | 中飛 | 中安 | 一飛 | 左直 | 四球 | 左2 | 中飛 | 1走 | ||||||||
D | 永坂 | 遊ゴ | 四球 | 右飛 | 遊ゴ | 三振 | 左2 | 三振 | |||||||||
H | 山口△ | 四球 | 左安 | 左2 | 四球 | 四球 | 投ゴ | 1死 | 三振 | ||||||||
G | 安倍川△ | 捕犠 | 左2 | 一ゴ | 一ゴ | ||||||||||||
H→8 | 上野修 | 遊ゴ併 | 敬遠 | 3走 | |||||||||||||
P | 倉永 | ||||||||||||||||
P | 大坪 |
この大会でのタイブレークのルールは1死満塁から。先攻である相模原からすれば、 何点でも取れるだけ取っておきたいところである。打順は4番の若林から。 各塁に走者がつき、若林が素振りを続ける。ふだんは試合中にそんなに選手と話さない 筆者だが、このときは寄ってみた。「初球から打っていいぞ」。特別な状況の中で、 いかに若林に、力みなくふだんの振り出しのスイングをしてもらうか、そんなことを 考えて「よけいなことは考えずいい球だったら最初から」ということを伝えたかった。 本人も「初球からいきますよ」と言っていた。その初球、やや沈んだような小さな変化球かと 思うがこれを打って三ゴロ。打たなくていい球だったと言えばそれまでかもしれないが、 打っていけないほど厳しい球にも見えなかった。併殺は免れたが本塁封殺で2死。 続く5番・溝口はつまった二塁への小飛球に終わって無得点に終わった。 タイブレークで相手も1死満塁から始まるのに、表の攻撃で無得点。絶体絶命である。
本文の内容とはまったく関係ないのだがちょっと。
一気に沈みがちだったベンチの中から主将の古舘(フル)が「さあ、切り替えていこうぜ」 みたいな、大きな声をあげた。冷静に考えて半分以上敗戦を覚悟してもおかしくない 状況ではあるが、勝敗が決したわけではない。当たり前のことではあるがここで 唯一(というか最初に)こういう声をあげたフルに、主将としての成長を感じる。 |
タイブレーク延長13回裏、岩永監督は投手を、4番手で投げていた新堀から中屋に代えた。 押し出し四球も許されないだけにストライクの入りやすい投手に代えたというところである。 迎える打者がマルユウの3番・藤嶺。高校や社会人(企業)で申し分ない実績を残してきた、 神奈川のクラブ野球界では一目置かれる存在である。間が悪いときには間が悪い。 何をどう見ても敗戦は覚悟しなければならない。腹をくくる、開き直る、それくらいしかできない というか、それをやるならここだろう、というくらいの場面である。ところがこの日の 藤嶺があまりタイミングが合っていなかった。投手が代わってもそれは変わらず、 浅い右飛に終わった。4番・遠藤も抑えてなんと中屋が無失点で戻ってきた。 これにはベンチが盛り上がった。死んだと思ったところから生き返った。
さあ、今度は点を取るぞと意気込んだ延長14回表、下里(シモ)が押し出し四球を選んで1点。 相手投手の大坪は制球に苦しんでいると見えた。「フォアボールあとの初球!」 筆者はベンチから叫んだ。制球に苦しんでいるとは言えコントロールが悪いタイプではない。 苦しんでいるからこそストライクが来るならはっきりしたストライクが来るだろうと思った。 一つのセオリーでもある。 打席の岩澤にその声が届いたかわからないが、岩澤が初球を打って一ゴロ。望月も初球を 打って二ゴロ。岩永監督のイライラは募る。「フォアボールあとの初球って場面じゃないだろう」。
延長14回裏、中屋が上野拓に右中間を割られるかという大きな当たりを打たれた。 さすがに快投も何度も続かないか...しかし右翼の田山がこれを追いかけて追いかけて、 ギリギリ捕球した。大事なところでスーパープレイが出た。捕れなければおそらく 2塁走者も還って逆転サヨナラとなっていたであろうところ、犠牲フライで1点は失ったものの、 大助かりである。後続も抑えてまたも中屋が同点止まりで戻ってきた。
延長15回表、攻撃に移る前のベンチ前。筆者から岩永監督に言った。「ちゃんと指示出して やること徹底させましょう」。言われずとも岩永監督も指示を出すつもりだったようだ。 筆者個人としては若林も岩澤も望月も、初球を打ったこと自体はまちがっていたとは思わない。 ただし結果が出ていないのも事実である。 そしてそれは岩永監督の感性にも沿わないプレーだった。また、とにかくチームの意志を 合わせることは大事だということは筆者も感じていた。ここで出した指示は この場では具体的に書かないが、結果的に奏功した。坂井が押し出し四球を選んで1点。 新井幸(ユキヒロ)が三遊間を抜いてもう1点。2塁走者の望月が本塁でアウトになったうえに 2塁を狙ったユキヒロまでアウトになってダブルプレーで攻撃を終えてしまったのは なんとももったいなかったが、いずれにしても過去2回よりはましな、2点リードを持って 裏の守備についた。延長15回裏、中屋がまたも快投。今度は2者連続三振で締めた。 1死満塁3イニング。1本は右中間を抜かれるかという当たりを打たれて1点を失いも したが打者6人をパーフェクトに抑えたと言っていい好投。相模原勝利の立役者が 中屋であることは言うまでもない。
我々の立場から言えば、勝ちはしたものの拙攻の連続で勝利にまで3イニングも かかってしまったという反省が残る。特に攻撃側の反省である。1死満塁という好機の 場面でなぜこうも凡打を重ねてしまったか...。そういった反省はある。 ところがこれは相模原だけの話ではない。相手のマルユウにしても絶対有利な場面が ありながらもトータルでは5打数無安打1犠飛止まり。中屋のがんばりを否定するものではまったくないが、 相手は相手でもう少しやりようもあったようにも思う。そう、ひとことで言うと 双方ぎこちなかったのである。
1死満塁というケースは普通に考えて攻撃側にとっての好機である。 内野ゴロの併殺で無得点という懸念はあるものの、走者が3塁まで来ているという 点で1点が近いし、走者が3人出ているということで大量点に結びつく可能性も秘める (裏の攻撃で1点とればよい場合は関係ないが)。また、1死ということで安打でなく 犠飛(主に外野フライ)でも1点が入る。満塁ということで安打でなく四死球でも1点が入る。 攻撃側としてはかなり優位であり、守備側、特に投手にとっては非常にプレッシャーが かかっておかしくないケースである。筆者の大学時代の調査によれば1死満塁から攻撃終了までに 得点が入る確率は76%。無死2.3塁、無死満塁、無死3塁、無死1.3塁に次ぐ高さで、決して低い数字ではない。 その攻撃側優位の場面で、相模原・マルユウに、何が起こってしまったのか?
イニングの最初から1死満塁というケースが用意されてしまったのがいけない。 普通にイニングの攻撃を開始して1死満塁のケースができあがるまでには最低で打者4人を要する。 喜んだり嘆いたり、ドキドキしたり盛り上がったり、作戦を考えて奏功したり裏目に出たり、 といった駆け引きや感情の起伏を経て、つまりは多少のシナリオを経て1死満塁はできあがる。 時間もそれなりにかかるし、考えること、感じることが詰まった状態で1死満塁が できあがっている。それゆえに1死満塁で打席に入る打者はある程度チーム全体が 押せ押せの状態で入ることができるし、1死満塁で投げなければならない投手は、 特に自分が作ったピンチであるならばかなりドキドキのプレッシャーがかかった、 追い込まれた状態で投げなければならない。四球連発で作った1死満塁の危機ならば 押し出し四球を出すまいと甘い球でストライクを取りに行ってしまうかもしれないし 連打で作られた1死満塁の危機ならば打たれるのが怖くてストライクが入りづらいかもしれない。
ところがタイブレークの1死満塁は、アウトカウントと走者位置が同じでも、 通常の1死満塁と大きく異なる。イニングの最初から用意されてしまったケースである。 これがタイブレークの罠である。 まして難しいのは、こんなものの経験がある野球選手はおそらく少ないことである。 延長戦の経験も1死満塁の経験も、1点取ればサヨナラの場面の経験も、だいたいの野球選手は持っているだろうが、 タイブレーク1死満塁というケースの経験はそう多くはない気がする。
それでは今回ぶち当たったこのケースでどうすればよいのか、という答えを筆者が 見つけたわけではない。ただし「もしかして」ということで言えば、攻撃側に時間が必要 だったのかもしれない。現在は1死満塁というケースなんだと認識する時間。 打者は攻撃側の押せ押せのムードに乗せられていると実感する時間、実際に押せ押せの ムードを作る時間、相手投手に現在は絶体絶命なんだと認識させる時間。 そう考えていくと筆者が若林に言った「初球から打っていいぞ」の言葉、岩澤に直接では ないにしてもベンチから叫んだ「フォアボールあとの初球!」の言葉、これらは セオリー的にまちがっているとは思わないが、今回のような特別なケースでは適切ではなかった かもしれない。延長15回表、不掲載の岩永指示が、答えとなるべき適切な指示だったか どうかはわからないが、結果は出た。
今後の野球人生の中で自分がこんなケースにぶち当たることが何度あるかわからない。 ただし、よい経験になったことは確かである。20年を超える野球人生の中でも 初めてと言っていい経験である。少なくとも野球人生中での物心がついてからは 初めての経験である(物心つく前の少年野球時代はあったかもしれないが)。 不思議な経験、「タイブレークの罠」。野球は奥が深い。