1試合の重み

最も重い野球の1試合は何だろう? 野球の1試合の重みはどのくらいだろう? ふとそんなことを考えることがある。しかしなかなか答えは浮かばない。

高校野球において最も重い1試合は何だろう? 夏の甲子園の決勝戦だろうか? もちろん、優勝するか準優勝で終わるかはいろいろな意味で大きな差があって、 それは非常に大事な1試合になり得る。しかし、少なくとも甲子園の決勝戦よりは 重い試合がある。甲子園出場校を決める県予選の決勝戦である。少なくとも こちらの方が重いだろう。甲子園の決勝戦は、どちらも県予選を勝ち抜いて 甲子園でも何試合か勝ってきて対戦する試合。境遇としては勝っても負けても 大きな違いはない。しかし甲子園に出られるか出られないかは大きな違いが あるだろう。全国的な注目を浴びるか否か。単純に3年生の引退までの時間も 大幅に伸びる。中には県予選決勝戦の勝敗で部員の高校卒業後の進路まで変わってくる ケースも、多分あるだろう。県予選決勝戦の勝者と敗者には境遇に大きな差があり、 その意味で甲子園の決勝戦よりも重い1試合となり得る。少なくとも筆者は そう考える。

(筆者には高校野球の経験はあるが甲子園出場の経験はない。県大会も ベスト16進出が最高、甲子園とはほど遠い。その意味で、「甲子園の決勝戦の 重みをわかっていない」という指摘はあるだろう。ここではあくまで自分の 個人的な意見を展開する。)

高校野球の県予選決勝戦のみならず、ある意味ではすべての県予選の試合は 大きな意味を持つ試合となり得る。2チームが戦えばどちらかが敗れ、 トーナメント制だから敗れれば終わりである。敗れた方、特にそのチームの 3年生にとってはその試合は高校野球の最後の試合となるわけである。 おそらくは月日が経っても、他の試合は忘れてもその試合の断片は覚えているだろうし、 人によってはその試合を最後に野球から離れる者も多いだろう(草野球は続けても 真剣にやる野球から離れる者は多いだろう)。ある高校生が最後に野球をやった 1試合、そういう意味では高校野球の夏の大会の各試合は、それなりに重い。

筆者が高校野球を終えた1試合は平成4年夏の神奈川県大会3回戦。 後に広島東洋カープにドラフト指名され、平成13年には左の中継ぎエースとして 活躍している菊地原毅を擁する相武台高校に敗れた。いや、でも菊地原は 2イニングしか投げていないので実は「菊地原に負けた」とも言いにくい。 それはいいのだが、これはこれでやはり試合の断片部分をけっこう覚えているし 筆者にとって意味を持つ試合であった。高校の同期16人(女子マネージャー2人含む)のうち、 大学で野球を続けたのが筆者と、もう1人が立教大学準硬式野球部。 大学を卒業してまだ続けているのは筆者だけになった。今集まっても相武台戦の 話はよく出るし、なによりほとんどの同期にとってそれこそは "最後の試合" だったのだ。その1試合に、その意味での重さはある。


筆者は高校野球を終えたあと、大学野球に携わった。大学野球と言っても一般のメディアの 注目を浴びるような境遇ではなく、4部まである無名リーグの2部である。 レベルとしても、それほど高くない。そんな環境ではあったがいずれにしても大学野球をやった。

高校野球と大学野球にはだいぶ違いがある。年齢が違うとかバットが違うとか いうことよりも、根本的に運営のシステムが異なる。トーナメント制を中心に 運営する高校野球に対し、大学野球はリーグごとに分かれてリーグ戦を行う。 年に2シーズンあって、1シーズンはだいたい6チームによる総当たりのリーグ戦。 一発勝負で相手も抽選で決まるトーナメント形式とは異なり、ある程度落ち着いて 他チームの動向も見ながら数週間にわたるシーズンを戦っていくというスタイルである。

そこで1試合の重さの話に戻るのだが、大学野球における1試合と高校野球における 1試合とはどちらが重いだろうか? 普通ならば比べるまでもない。 負ければ終わりのトーナメント形式は、全試合が非常なる重さを持った試合であり、 負けても次の試合が用意されているリーグ戦形式の1試合よりも重いに決まっている。 しかし筆者はここにあえて疑問を投げかけたい。大学野球の1試合にもそれに 負けない重みがある。そう思う。

「負けても次がある」、確かにそうである。次があることはありがたい。 負けを計算に入れた戦い方もできる。これはありがたい。しかし、考えようによっては 負けても次をやらなければならないのである。「好きでやっているならいいではないか」。 そうだろうか? あるシーズン、戦力も揃わず、チームの士気も上がらずに 開幕から連敗を重ねた。5連敗した。6試合目をしなければならない。7連敗した。 チームもバラバラで勝てる雰囲気がない。戦力面のみならず精神面でも不安が散乱している。 でも8試合目をやらなければならない。8連敗したら全日程終了を待たずに他チームとの 兼ね合いで最下位が決まった。でも残りの試合を消化しなければならない。 最下位でシーズンを終えた。まだ許してもらえない。下の部との入れ替え戦をやらなければならない。 例えばこれにも負けた。大きな屈辱を味わった。でもまだ許してもらえない。 まだ終わらない。シーズンとしては終わるが、次のシーズンには上の部に復帰する ためのリーグ戦を戦わなければならない。他チームから標的にされ、マークされる中で 勝利を重ねて優勝しなければならない。相当に苦しい戦いが待つ。あまりに 苦しいのでその戦いから逃げてみた。新しいシーズンも開幕から負け続けてみた。 まだ許されない。下の部でも最下位になった。まだ許されない。さらに下の部との 入れ替え戦である。「リーグ戦だから」「負けが許されるから」らくなわけではない。 また、得てしてシーズンが終わって優勝できなかったり最下位になったりすると 「あのときの1試合に勝っておけば」などということになるのである。 その時は「次があるからまた勝てばいいよ」と思って気づかなくても、 実はそこで負けた1試合というのは大きいのである。

入れ替え戦の話が出たのでそれにも触れる。というかそれがメインになるのだが、 入れ替え戦の1試合こそは大学野球で最も重い試合だろう。どこのリーグの 入れ替え戦が、という話ではなく、すべてのリーグのすべての部の入れ替え戦は 非常に重いのである。なぜ重いかというと、たまたまその入れ替え戦を戦うシーズンに チームに所属していたメンバーが、チームの歴史と将来を背負わされるからである (もちろん、通常のリーグ戦から歴史と将来を背負ってもらえればなおいい。 一応、背負っているはずである。)。

例えば筆者の大学時代に所属した野球部は強くはない。歴史としては50年を越える 歴史があるが、その歴史の中で "強かった" という時期はおそらくほとんどない。 所属する連盟で2部までしかなかったときはだいたい2部上位程度、3部ができたときは 2部と3部を行ったり来たり、4部ができたころから、たまたま2部に定着し始めたが 1部をうかがうまでの戦力はなく、だいたい2部のまんなか辺りだった。 その通り、強くはない。しかし2部から1部へ、3部から2部へと上がろうとする 先輩たちの努力(あるいは1部残留、2部残留を目指した努力)、目の前の1勝に こだわってそのために努力し続けてきた先輩たちの部活動、結果として "1部昇格" "神宮出場" など大きな成果に結びつかなかったが (1部に昇格したことは2度ほどある)、そういう歴史を持つ部なのである。 これは筆者の所属した野球部だけの話ではなく、だいたいのチームはそのような 背景を持った上で今があるわけである。しかるに1部に長くいたチームが2部へ、 2部に長くいたチームが3部へ降格するなどということは何をおいても避けなければ ならないと思うし、そこまでのことを考えると入れ替え戦という試合は本当に重い。 入れ替え戦に負けた当事者が悔しいのはわかる。自分たちの範囲内で大いに 悔しがってもらってかまわない。自分たちに力がないから悔しい思いをするのだろう。 しかし現場だけの問題ではないのだ。先輩たちが残した歴史、あるいはこれから 後輩が作っていくであろう歴史にも悪影響を及ぼす。転落から昇格を勝ち取る シーズン、それがたった1シーズンですむかもしれないが、その1シーズンの 遅れのために、上の部でやりたかったメンバーがやれないまま卒業することになるかもしれない。 これが3〜4シーズンということになれば、まだ入学もしていない未来のメンバーたちにも 影響がかかりかねない。大学野球は4年間で8シーズン。高校野球の2年4ヶ月よりも 長く携わることはできるが、時間は限られているのだ。しかも高校野球の2年4ヶ月は 皆に同じチャンスが与えられる時間だが大学野球の8シーズンは部によって 部員に与えられるチャンスが異なる時間である。ある一時期にあるチームに 所属したメンバーだけの問題ではない。ある1試合が、部としての歴史と将来を 変える可能性があるのだ。

この点が高校野球との違いとして強調したかった点である。高校野球の1試合も 部としての歴史を作っている。そこでの1試合は当事者にとってかけがえのない 思い出となり得る。だから高校野球の1試合も軽いとは言わない。 しかし、ある意味で全チームの全部員に同じチャンスが与えられる (春の選抜大会は多少異なるかもしれないが)。 偉大なる先輩が甲子園で優勝しても、だらしない先輩が県大会予選で初戦敗退しても、 8月の新チームからは全チームがもう1度同じスタートラインに立てる。制度上は、 勝ち進みさえすれば甲子園に出られるというチャンスが全チームにある。 大学野球は違うのである。部の歴史によってスタートラインが違うのである。 1試合に負けても次には同じスタートラインが用意される高校野球よりも、 1試合に負けると次には違うスタートラインが用意されるかもしれない大学野球の方が、 その意味での重さは重い気がする。1回優勝すれば神宮に出られるチームもあるが、 1回優勝して上の部との入れ替え戦を勝って次のシーズンに上の部で優勝して、、、 とステップを踏まなければならない場合も多いのだ。ここからは蛇足になるが、だからこそ 平成12年〜13年にかけての愛知大学野球連盟の脱退騒動に巻き込まれて罪のない 学生に最悪のスタートラインが用意されてしまったことや、入れ替え戦がない 環境の中で平成13年に明治大学と東京大学が、作られた女性投手対決なることを して1試合を軽く扱ってしまったことは、嘆かわしい。

図らずも平成13年春、母校(大学)の野球部が2部から3部に転落した。 筆者の考え方はここに書いた通りであるが、一方で現役で野球をやっている 大学生にここまでのことを要求するのは少し重いかもしれないとも思っている。 後輩たちの転落については残念だし腹立たしい気持ちももちろんあるが、 OBではなく当事者たちこそが最も悔しい思いをしていると思う。 ここではこう書いたが、彼らには「部の歴史のために」「OBのために」とか 言わなくていいからとにかくまずは自分たちのために2部復帰をしてもらいたい。 自分も2部から3部に転落した経験があり、幸運にもそのときは2シーズンで 2部に復帰できたわけだが、当時「部の歴史のために」というところまで考えられたか 自信はない。やはり「自分たちのために」の思いが強かったと思う。 この転落を機にもう1度チームを立て直してくれることを期待している。

(山口陽三筆)


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