出身地・神奈川
筆者は出身地を東京都と答えることにしている。母親の実家が東京都練馬区にあり、 その実家からほど近い病院で生まれたらしい。それをもって東京都出身と 言うべきなのかどうか、よくわからないのだが、その後2才まで両親とともに 東京都清瀬市に住んだようなので、東京都出身と 言ってよいだろうと判断している。その後父親の仕事の都合で2才から6才まで アメリカのニューヨークに住み、6才から神奈川県横浜市に住んだ。 以後、家族で鎌倉市に移動したり自分だけがまた横浜市に住みだしたりもしたが 6才以降の居住地は神奈川県である。自分の感覚としては神奈川県出身と 言うのが最も適切だと思っているし、とにかく生まれはどこであろうと 自分は神奈川県で育ったという自覚・自負がある。
その筆者の野球人生は別のページでも紹介しているが、次のごとくである。
少年野球 | 東戸塚少年野球連盟「前田タイガース」 | 軟式 |
中学野球 | 横浜市立秋葉中学校野球部(部活動) | 軟式 |
高校野球 | 神奈川県立光陵高校野球部(部活動) | 硬式 |
大学野球 | 東京農工大学硬式野球部(部活動) | 硬式 |
社会人野球 | 神奈川県野球連盟「相模原クラブ」(クラブチーム) | 硬式 |
野球で有名なチームにいたことはなく、実際、大した実績も残して来ていない。 とりあえず細く長く続けていられているのは自慢かもしれない。 そして、見てもらってわかるように大学時代を除いて神奈川に拠点を置いて 野球に携わっていることになる。
神奈川のレベル
神奈川が野球で有名と言ってよいのかどうか、他県に住む方々の意見も聞きたい ところだが、一つ有名なのは、高校野球の夏の甲子園大会の予選に参加しているチーム数が 最も多い県であるということであろう(言うまでもないと思うが、厳密には東京や 北海道の方が多いが両者は甲子園への枠が二つある)。全国一の激戦区である。 そして高校野球の世界においては実際に何度か全国優勝のチームも出している。 高校野球に関して、神奈川のレベルは高い位置にあると言ってもいい気がする。
高校野球ほど有名ではないかもしれないが、社会人野球の企業チームも神奈川には 強いチームが多い。名前を挙げると、日産自動車・東芝・新日本石油・三菱ふそう川崎らがある。 昨年途中から休部になったが昨年の都市対抗野球で全国優勝を果たしたいすゞ自動車も 神奈川のチームである。いすゞ自動車のみならず神奈川の代表チームが都市対抗野球で 全国優勝したことはここ数年でも何度もあるし、都市対抗に限らず各種大会で 好成績を収めている。どれだけの認知があるか知らないが、社会人野球に関しても、 神奈川のレベルは高い位置にあると言ってもいい気がする。
神奈川と自分
その神奈川で育った筆者であるが、「野球が盛んな地で育っている」という 自覚はまったくと言っていいほどなかった。少年時代に野球をやっている 友達は多かったと思う。中学校の部活動では1学年20人以上の部員がいて 筆者などほとんど試合に出られなかった。今思えば盛んと言えば盛んだったのかも しれないが、そういう自覚がなかった。"県" とかいうレベルでものごとを 考える習慣がなかったことがあるだろう。高校生になって高校野球を始めたこともあり、 ようやく "県" というレベルでものごとを考えてもおかしくない状況には なってきたものの、まだその自覚がなかったと思う。神奈川は甲子園大会の 予選の最激戦区と言っても、神奈川から全国優勝のチームが何度か出ていると 言っても、正直言って話が遠い。また、大会で勝ち進んで強豪校と対戦する 可能性はあるものの(自分の在学中に対戦した代表的な強豪校には東海大相模 高校がある)、普段の練習試合でそういったチームに相手をしてもらえるわけでもなく、 県のレベルの高さを感じる機会もなければその恩恵を受ける機会もないに近かった。
そんな筆者が、神奈川で野球をやる意味を考え始めたきっかけは一冊の本だった。 岡邦行氏が書いた「野球に憑かれた男」。日大藤沢高校の野球部監督を務めて 甲子園出場も果たし、やがて東都大学リーグ2部に低迷していた日本大学野球部の 監督に請われて就任し、チームを1部に昇格させて1部で十分戦えるチームを 作り上げた鈴木博識氏のことを取り上げた本である。
鈴木氏は栃木県の出身。小山二中-小山高-日本大-三菱自動車川崎(現三菱ふそう川崎)で 投手として活躍し、以後はいくつかの高校の監督を経験して日大藤沢高校・ 日本大学の監督を務めて現在に至る人である。その本の中で鈴木氏の話が 紹介されており、青森県と神奈川県の野球に対する考え方の違いに触れる場面がある。 鈴木氏は一時青森県のとある高校で監督をしていたときがあり、とにかく 苦労が多かったということなのだが、一連の出来事を紹介する過程で その話が出てくる。次に上記の本からの引用を記す(鈴木氏が青森県で監督を 務めていた高校は、本の中では「悪者」に近い書かれ方をしているので、 一応名前を伏せておく。)
正直、日大藤沢高監督に就任した当時の鈴木は、驚いた。丸4年間、○○高校で
監督をしてきた鈴木だったが、神奈川の高校野球は熾烈さを極めていた。
同じ高校野球でも青森と比べたら別世界のように思えた。
たとえば、夏の甲子園大会出場校を決める神奈川県大会の場合、そのプログラム
『高校野球』は、カラー口絵もある180ページからなる立派なものだ。
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全国一の激戦地神奈川だけにプロ野球並みにサイン盗みもあった。
鈴木にはこんな思い出がある。ある大会の5回戦だった。日大藤沢高と対戦する相手校は、 甲子園出場経験もあるシード校。このチームの監督は、その指導力にも 定評があったが、同時に対戦相手のビデオや自チームの選手を使ってやる サイン盗みにも長けている。そういう噂がもっぱらだった。 試合前日だ。鈴木と親しい記者が電話で忠告してきた。鈴木さんのサインは すべて読まれていますよ、と。鈴木は「まさか!」と思ったが、気になることがあった。 前の試合のとき、反対側のベンチ上からビデオカメラで日大藤沢高ベンチ内を 撮っていた者がいたからだ。鈴木は不信に思っていた。
試合当日、監督鈴木は、試合前のミーティングで選手にいった。
引用はここまで。ちなみにサインを盗まれていたのは本当で、4回からは サインを変えたとのこと。結果的に試合には勝利した、と書かれている。 |
わかりやすい例としてはこういった例が本の中で引用されているのだが、 他にも鈴木氏に言わせるところの「青森は遅れていた」「神奈川は厳しい」ということの実例で いろいろなことが紹介されていた。筆者は、青森という県の野球文化はまるで 知らないのだが、確かに言われてみると、また時間がたって経験を重ねた上で 考え直してみると、自分がやってきた野球、神奈川で培った野球というものは もっと誇っていいのではないかという気がしてきた。
引用された例は、筆者の感覚では当たり前に近いことだった。大会前のパンフレットについては 筆者の学校はわざわざ嘘を書くようなことはしていなかったと思うが、 する学校があるならそれもありだろう。今はアマチュア野球でもインターネットの ホームページを開設するチームも多いが、これも相手を欺くための利用法もあるだろう。 いい意味でも悪い意味でも情報操作に使うことが可能である (筆者が自チームのホームページでそれをやっているかどうかはあえて言わない)。 サイン盗みについては当たり前と言うと言い過ぎかもしれないが、 やったかやっていないかと聞かれれば「やった」という返事になる。筆者の 高校3年次の夏の大会はくじ運によって2回戦からの登場だった(1回戦の勝者と対戦)。 1回戦を、学校を休んで3年生みんなで偵察に行き、班に分けて球場内の いくつかに陣取り、班によってはベンチに向けてビデオもまわした。 高校時代にスコアラーという立場だった筆者は、対戦予定校の練習の偵察に 行ったこともあるし、試合のスコアを集めるために、対戦予定校と過去に 対戦したチームを探し出してそちらのチームと交渉したりもした。 場合によっては交換条件という形で交渉先のチームが対戦する予定のチームの スコアをこちらが持っていれば提供もした。
強いチームが切磋琢磨する環境、 勝つことが難しいゆえの勝つことへのこだわり、悪く言えば勝つために手段を 選ばない汚さ・ずるさ、気を抜けば簡単にやられるという緊張感...。 もちろん、そんなものは神奈川県以外にだってあるだろう。しかし、 「野球に憑かれた男」のみならず神奈川の野球のレベルの高さ、質の高さを 表す文章が散見されているのも事実である(例えば「GRAND SLUM」誌16号においての 「頂点を知る者たちの戦い」)。
思い
先人たちのおかげで神奈川の野球は高い評価を保つ。筆者はたまたまではあるが、 その神奈川という枠の中で野球を始め、野球を学び、また今も携わっていることを 非常に光栄に思っている。さいきんになって特に思えるようになってきた。 今この地で野球をできることにすなおに感謝し、この環境を大事にしていきたい。
一方で自分は神奈川の野球のレベルを高めるに、何も貢献していないことにも あらためて気づく。前田タイガースも秋葉中学校も光陵高校も、 与えられた枠組の中で決して強いチームではなかった。少なくとも筆者が在籍する期間には それほど強くなかったし、大きな実績も残していない。歴史的にも秋葉中学校からは 甲子園出場者を輩出し(ただし野球部卒業生ではないかもしれない)、 光陵高校からは三菱重工神戸で社会人野球ベストナインに選出された先輩が一人出ているが、 神奈川の野球界に貢献したと言えるほどの野球強豪校とは言えない。しかし、 神奈川で野球をやる意味を感じ始めた今、何かできればと思い始めている。 一人で大きなことができるとは思わない。 しかし、現在所属する相模原クラブが強くなって上位大会で活躍するようになる。 そのほんの小さなお手伝いをする。そういったことからなら始められるかもしれないと 思っている。神奈川には全国でもトップレベルの社会人の企業チームが集まっていることは 先に紹介した。県の社会人野球協会の方からも「企業チームは全国大会でも 活躍しているが、クラブチームがなかなか活躍しない」と、ハッパをかけられている ようである。言われたことはその通りで、 「神奈川の野球はレベルが高いはずなのにクラブチームだけはレベルが低いのか?」 と思われても、現状仕方ない面はあるかもしれない。しかしそういった声を見返してみたい。 ちょうどライバルの一つである横浜球友クラブは昨年、クラブ選手権全国大会ベスト8に 入る活躍を見せた。例えば相模原クラブが三重県に遠征して向こうのクラブチームと試合を行う 機会があったが、こちらが劣っているとは思わない。可能性は十分にあると考えたい。 昨年暮の神奈川のクラブチーム同士の納会でもお互い切磋琢磨する中で県のクラブ野球の レベルアップを目指そうという方向性も確認しあった。ライバルたちも同じような 思いでいるが、だからこそ自分たちもレベルアップできるとも考えられる。 とにかく「勝つこと」で、「結果を出すこと」で恩返しを果たしたい。
終わりに
年始にあたって1年の決意表明みたいなものも兼ねて書いてみた。 神奈川で野球をやる意味をかみしめ、それに喜びを感じ、そして恩を返す意味で 結果を出したいという話である。結果だけがすべてではない という見方もあるかもしれないが、先人たちが結果を出すことで高評価を 得てきたことも事実である。率直に結果を追い求めたい。
最後にちょっとしたエピソードを紹介して終わりたい。筆者の勤める会社の後輩に、 東京の都立高校で野球をやっていたという者がいた。大学がたまたま筆者と同じだったが 大学では野球はやらず、ただし高校時代の球友と軟式のチームを組んで今も活動を 続けていると言う。どういう組織でどういうレベルなのかよくわからないのだが、 飲みながら話したときにちょっとしたやりとりがあった。プロ級に上手な選手が いきなり何人かチームに入ってきたと仮定して試合に使うかどうかという話から 始まったものである(簡単に言うと筆者は使うと答えて、後輩は使わないと答えた)。 「山口さんがそんなに勝ち負けにこだわるのはなんですか? 我々はプロじゃないから 野球で生計を立てているわけじゃない。お客さんのためにやっているわけでもない。 そこでなんでそんなに勝ち負けにこだわるんですか?」。この問いに、 いろいろ答えようとはしてみてしゃべったのだが、自分でも納得のいく答えを 引き出せていない。当然、後輩を納得させられてもいない。筆者は 勝ち負けにこだわるのは当たり前という感覚でいたわけだが、それをなぜなのかと あらためて質問されると返答に困ってしまった。それに対して「神奈川で育ったから」 と答えるのはあまりに乱暴であることはわかっている。わかっている つもりではあるが、その意識が潜在的なものであるならば、現在の筆者の考えを 形作る遠因の一つに「神奈川で育ったから」ということがあるかもしれないとも思っている (思いたい)。
(山口陽三筆)