「行かない」選択

(東京新大学野球連盟OBの山口陽三が独自の観点で勝手に語ります)


導入

野球は "間" のあるスポーツであって、その "間" にどれだけのことを考えておくかということが 大事ではある。その一方で、当然ではあるが瞬時に判断を下さなければならない場面もある。 "間" における周到な準備と二者択一の瞬時の判断。それが求められるポジションの一つであり、 特殊であって、独特な難しさがあるポジション。今回は「3塁コーチャー」を取り上げてみる。

無死3塁の先制機

舞台は東京新大学野球連盟、平成18年春季1部リーグ戦、最終週第2戦。 連盟内で2強をなす創価大と流通経済大の、「勝ち点を取った方が優勝」の 最終週直接対決。創価大の先勝で創価大の連盟内リーグ戦連勝記録が40連勝に伸び、 連盟内リーグ戦6連覇を目前に控えた試合だった。

平成18年5月21日 県営大宮球場 第2戦
1 2 3 4 5 6 7 8 9
創価大 0 0 1 1 0 0 0 1 0 3
流通経済大 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0

双方、走者は出ながら無得点に終わった1回表裏の攻防を終えて2回表。 創価大は先頭の田中隆彦(3年生、光星学院高校)が中堅の横を抜く3塁打。 流通経済大の中堅手が左中間寄りに守っていたところを右中間寄りに打球が飛んでしまったことも おもしろいものではあるが、なにはともあれ3塁打。創価大は無死3塁の絶好の先制機を迎えた。

打順は6番の楠本大樹(3年生、関西創価高校)。流通経済大の先発は左腕の掛信孝士(3年生、崇徳高校)。 先制点がほしいのはもちろんのことだが楠本も指名打者で6番に入れている限りは 打撃に期待もしているだろうし、無死3塁ではスクイズもないだろう。 打って出て左翼線への飛球。深さとしては定位置からの距離とそう変わらないか少し浅いくらいかと 思ったがタッチアップはせずに1死となった。続くのは7番の佐伯裕次郎(3年生、関西創価高校)。 左打ちの外野手である。作戦として何かあってもよかったかもしれないが2球で2ストライクをとられ、 結果的には打って出て二塁へのゴロ。これも3走が突っ込んでもよかったかと瞬間的には 思ったが、スタートを切れなかったか自重して2死。8番の佐藤輝明(4年生、日大東北高校)は 三ゴロに倒れて創価大は絶好の先制機を逃した。


切らなかったスタート

普通に考えて「痛い」攻撃ではあるのだが、スタンドから見ている筆者としては、 痛さよりも次への布石を打てた攻撃だったと見えた。結果論と言われるならばその指摘も 甘んじて受け入れようが、この攻撃があとあと、流通経済大の掛信に効いてくるように直感した。 そしてその直感は当たって3回表に2死2塁から3番・吉崎信雄(4年生、岩倉高校)の適時打で 1点を先制するに至った。

3塁に走者を置いた2打者(楠本・佐伯)の打撃行為において走者をスタートさせる機会はあった。 ただしスタートさせなかった。いくつか理由を考えてみる。
(1) 行ってもアウトのタイミングと判断したこと
(2) (1)とも関連するが3走・田中の足が速くないこと
(3) 次打者(佐伯・佐藤)への信頼が高いこと
(4) 走者3塁だけでは取れても1点だろうから走者をためて
大量点を狙う攻撃をしかけたかったこと
まだあるかもしれないがひとまずすぐに考えつくそのあたりについて考察してみる。

まず(3)はありえる。特に8番の佐藤は打順は8番ながらいいスイング、いいパンチを 持っている右打者で、結果的にだがこの試合の終盤の打席で本塁打も打っている。 本塁打は事後の話としても、前日の第1戦でも逆転の適時2塁打を打っており、 信頼があったことは想像に難くない。次に(2)は考えづらい。打球が飛んだところが よかったとは言え自分の打球を3塁打とした走塁は、足が遅いとは感じなかった。 (4)も考えづらい。この両チームの対戦は近年創価大がやや優勢ではあるが実力拮抗であって 大量点の取り合いという展開は考えづらい。前日の第1戦も創価大は4-3で辛勝しており、 大量点を狙う作戦は取らないだろう。 (1)については行ってみない(スタートしない)ことにはなんとも言えない。


ストップの作戦

(1)とも関係するが、この場面でスタートさせなかった理由として筆者が想像しているのは 「作戦としてストップがかかっていた」ことである。そしてそれをやりきったならば、とてもすごいことであると、 筆者は思う。筆者が見てきた創価大の走塁は、 その走塁技術が高いのもさることながら姿勢が非常に積極的であった。 特に3塁コーチャーの判断は積極的で、アウトと思われるタイミングでもゴーさせる 場面もしばしばあったのだ。しかしこの場面は勝負してもよさそうなタイミングも行かなかった。 ストップがかかっていたと思わせる。

創価大の首脳陣は岸雅司監督に、 投手コーチが佐藤康弘コーチ、野手コーチが堀内尊法コーチ。岸監督は昭和59年の監督就任以来、 非常に強いチームを作り上げてきた名監督。「断じて勝つ」をモットーに勝負に厳しく徹し、 実際に結果も出してきている監督である。3塁コーチャーに立つ堀内コーチは平成3年卒業の 同大学OB。現役時代のプレーぶりは知らないが、4年間の通算打率.372は歴代5位の連盟記録(平成18年時点)と なっている。少なくとも10年以上は現在のスタッフ体制でチームを運営してきており、 全国でも通用する強いチームを作り上げてきたわけである。

堀内コーチが非常に積極的にゴーをかけられる背景には、自信があるのだろう。 選手がハードな要求に応えられるという自信、それだけの練習をしてきているという自信があるのだろう。 練習で誰が教えているかまで確認したわけではないが、おそらく堀内コーチが厳しく 仕込んでいるものだろう。前に関西創価高校が甲子園に出たときの記事で、高校の コーチャーに対して堀内コーチの指導が入っていることが紹介されたこともあった。 この創価大の走塁およびコーチャーの積極判断を、筆者はいつもうらやましいというような 眼差しで見ていた。


この試合の8回、本塁打を打った創価大・佐藤選手
後方は堀内3塁コーチャー


「行かない」選択

2回表無死3塁。たぶん楠本の左飛でゴーをかけてもよかったと思う。流通経済大の左翼手は 神戸拓光(4年生、土浦日大高校)。その打撃はプロも大変注目する選手だが、筆者の感覚では 守備はそれほど上手でもなく、どこかおろおろしている風にも見える。行ってもよかった。 続く1死3塁。たぶん佐伯の二ゴロでゴーをかけてもよかったと思う。佐藤の打撃に 信頼があるとしても、行かなければ2死だし、創価大の走塁技術を持ってすればおもしろい タイミングではあった。この二つの打球でいずれもゴーをかけなかったならば、 堀内コーチらしくはない。そう考えると、最初からストップをかけていたと考えるのも 自然に思える。では、なぜそうしたか? そこを考えるとさらに奥が深く、また、 創価大のより強い一面も見えてくる。

3塁に走者を置いた状態を長く保つ。そして相手チーム、特に投げている投手にプレッシャーをかける。 そんな意図があったのではないかと思わせる。効果はてきめんであった。2回にして訪れた 大きなピンチを、精神力を使って一つずつアウトに取って無失点に切り抜けた掛信はすばらしい。 ところが早くもここで精神力を使い切ってしまっていたかもしれない。 それが証拠に、3回に1点、4回に1点を失っているわけである。

むろん、筆者の考えすぎかも知れず、創価大が「ただ単に行かなかった」のかもしれない。 2回にプレッシャーをかけて3回に先制せずとも、2回にゴーをかけて先制点を取れれば より理想的だっただろう。ただ、それならばそれこそ、まだ2回なのだからゴーをかけて アウトでもよかったし、創価大の技術・戦力、これまでの戦い方を考えてみればやはり ゴーでよかったかと思わせ、そうしなかったならばそれなりの意図があったと感じさせる。

もしも意図があってのことならばこれだけのことをやりきれることはすばらしい。 無死3塁の先制の絶好機を逃せば普通は相手に流れが行きそうなものだが、「流れは失わない」か 「失っても取り戻せる」という絶対の自信をベンチが持っていたことになる。 特に自軍の投手陣と相手の打線との兼ね合いにおいての自信だろう。 リーグ戦40連勝中ならばそれもありえるということか。そこまで思われてしまうならば 長く連盟内で2強をなしてきた流通経済大も少し情けない。 ではあるが、流通経済大の情けなさよりも、これだけ思い切った判断・作戦をやりきった 創価大の充実ぶりをほめたい。


力投の流通経済大・掛信(かけのぶ)投手


付録--独学ノウハウ--

筆者は大学時代に3塁コーチャーをほぼ5季務めた。先輩に教わった事柄もいくつかあるが、 経験の中で独学に近く自分なりに作り出したノウハウがいくつかある。

むろん、これは大学や社会人で所属するチームでもほとんど後輩らに継承したことがない。
継承を惜しんで秘密にしているというわけではなくて確立されていないというのが大きな理由である。

3塁コーチャーの走者を進める判断の事前の準備として、大きくは

(1) 必ずストップさせる(明らかなセーフ以外は)
(2) その場で瞬時に判断する
(3) 必ずゴーさせる(明らかなアウト以外は)

の3通りからどれにするかを選択しておくべきと考えている。 これは作戦上、監督から指示が出る場合もあるし逐一出ない場合には3塁コーチャー自身が 決めるべきだろう。特別な状況を除いては、特に終盤でなければほとんどが(2)であって 「打球」「相手守備の位置と能力」「自軍走者の位置と能力」それらを一瞬で判断して ゴーかストップかを決める。

(2)をさらに拡張して
(1) 必ずストップさせる(明らかなセーフ以外は)
(2)- その場の判断だが消極判断とする(ストップ気味)
(2) その場で瞬時に判断する(私情なしの純粋判断)
(2)+ その場の判断だが積極判断とする(ゴー気味)
(3) 必ずゴーさせる(明らかなアウト以外は)

の5段階にする考え方もあると思っている。これらを一応の基準としておくと、 各3塁コーチャーのタイプや能力を分類・説明できる。創価大の堀内コーチならば 「(3)を選択するケースが多く、(2)の中では非常に(2)+寄りである」と筆者は思っている。

今回、その堀内コーチが、岸監督の指示だったかもしれないが(1)を選択したと見えた。 筆者の考える(1)を選択する典型的なケースは点差が開いていて走者をためたい場面か、 後続打者に大きな期待がかけられる場合である。しかし今回、どちらでもない、 新しい理由で「行かない」選択をした(と思われる)場面に遭遇した。

「行かない」選択。一見消極的に見える策は、実は絶対の自信に裏付けられた強気な作戦だったかもしれない。 創価大VS流通経済大のカード。また勉強させてもらった。やはりすごい戦いだ。

(山口陽三筆)


優勝した創価大
岸監督の胴上げ


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