送りバントの力

(東京新大学野球連盟OBの山口陽三が独自の観点で勝手に語ります)


野球の作戦でよく使われる「送りバント」。特に高校野球でよく使われる。 アウト一つを犠牲にして走者を一つ進塁させる作戦である。 野球はアウトカウントが三つで塁が四つ。単純に考えるとアウト一つを 犠牲にして走者を一つ進塁させることはあまり得策ではないようにも見えるが 野球において一塁に走者がいる状況と二塁に走者がいる状況は大きく 意味が異なる。二塁に走者がいる状況と三塁に走者がいる状況もこれまた異なる。 一つの進塁を確率の高い方法で果たす作戦。その作戦として送りバントは多用される。

送りバント自体は野球に関わる者は誰でもよく知る作戦と思うが、 これに対する意見は大きく二通りに分かれるように感じている。 最初に少し脱線気味の話を紹介する。筆者は大学時代に情報工学の研究の一環として コンピュータに野球の作戦を考えさせる研究を行っていた。そこで指導教官の教授に 次のようなことを指摘された。

これに対して実際に筆者は自分の持っていたスコアブックの記録(東京新大学リーグ2部の 公式戦)数十試合からデータを出してみた。無死1塁から攻撃終了までに 1点以上を取る確率は47%、1死2塁から攻撃終了までに1点以上を取る確率は 46%であった (ちなみに無死無走者から1点以上を取る確率は33%であった。 簡単に言って、3イニングに1回は得点が入っている計算になる。このデータは興味深いもので、 漠然と「1試合(9イニング)に3回くらいはチャンスがある」などと言われている言葉を、 裏づけていると考えられる)。 データ自体がかたよったものであるうえにサンプルも少ないかもしれないが、 無死1塁での送りバントはあまり効果がないという結果になってしまった。

この教授の指摘は単純に確率という側面から指摘したものである。 この教授は野球の専門家というわけではなかったが、これはこれで一つの 意味ある視点である。筆者は送りバントの "賛成派" であり、この教授の 指摘に対しては「野球は確率のゲームでもあるけれど確率だけでも説明できない 部分もあるんだよなあ」くらいに思い、そうは思っても自分でも教授を説得 させる自信がなくて、その指摘は筆者の中ではなんとなく流していた。 ところが野球の専門家でも送りバントに対して反対向きの意見を持つ人が わりと多いことを知り始めた。例えばプロ野球でも、横浜ベイスターズの 元監督である権藤博氏は送りバントをあまり使わないことで有名だった。 安易に相手にアウトをあげると相手投手が助かる、というようなことだった。 次に監督になった森祇晶氏は1点を確実に取る野球をかかげて、送りバントを重視した。 次に監督になった山下大輔氏はやはり送りバントにあまり興味を示さない。 プロの世界だけでなく、筆者の周りでも様々である。筆者自身は高校では 打撃練習のできない環境の公立高校ゆえにバントの技を磨くというチーム方針だった。 大学では打撃マシンすらない乏しい設備の中で、やはりみな自然と送りバントは 重要だという意識で取り組んでいた。筆者の中で送りバントを支持することは 当たり前というくらいに思っていたが、社会人野球でまた別の "野球人" に触れると、 送りバントを支持しない人もパラパラと出てきた。


賛否両論、いろいろあるだろうし、最終的にどちらかに結論が決まるという ものでもないだろう。ただ、今回送りバントについて非常に興味深い現象を 目の当たりにした。それを紹介してみたい。

平成15年春。東京新大学野球連盟1部リーグ戦。創価大と流通経済大の対戦。 大学野球に詳しい人ならばどちらの名前も聞いたことがあるだろう。 大学選手権で活躍した実績もあり、連盟内では常に優勝を争い続けている 強豪チームである。両者の戦いは常に意地の張り合い、特別なる緊張感、 そしてハイレベルなプレーを見せてくれる。このシーズンも最終週に組まれた 両者の対戦は、優勝を決める上で重要な対戦となった。対戦が始まる時点で 創価大は勝ち点4で8勝1敗、流通経済大は勝ち点を1点落として勝ち点3の 7勝2敗。創価大は勝ち点を取りさえすれば優勝。流通経済大は2連勝ならば 逆転優勝だが2勝1敗では勝ち点・勝率ともに創価大と並んでプレーオフ。 プレーオフまで見据えると流通経済大は直接対決を2勝0敗か3勝1敗で乗り切らなければならず、 数字の上では創価大やや有利だった。そして戦力の比較という意味でも 創価大が多少有利かと筆者は感じていた。そうは言ってもやってみないと 何が起こるかわからないこの両者の対戦、対戦が始まってみると流通経済大が先勝。 第2戦も勝ってしまえば一気の逆転優勝というところまでこぎつけた。

迎えた第2戦を筆者は観戦に行った。

平成15年5月23日 神宮第二球場 第2戦
1 2 3 4 5 6 7 8 9
創価大 0 0 0 0 3 0 0 0 0 3
流通経済大 1 1 1 0 0 0 0 0
(9回サヨナラ)

流通経済大は序盤から相手先発・月野貴章(3年生、履正社高校)を攻めて初回には 神戸拓光(1年生、土浦日大高校)の適時打で先制。2回には四球で出た走者が 盗塁・失策・暴投と、無安打で生還。3回には内田宏明(4年生、倉吉北高校)の 適時2塁打で1点を追加して月野をKO。一方的にペースをつかんだ。 しかし創価大もここでエース・八木智哉(2年生、日本航空高校)につないでしのぎ、 5回には高口隆行(2年生、創価高校)の2点本塁打で反撃し、さらに連打で 相手先発・井上芳浩(1年生、岡山理科大附属高校)をKO。野村慶太(2年生、 平塚学園高校)の犠飛で1点を取って3−3の同点に追いついた。以後はどちらかと言うと 創価大ペース。筆者は流通経済大寄りで観戦しているのだが、どうも流通経済大は こういう展開になるとシュンとしてあまり勝てないことが多い印象があった。 それゆえに、より創価大ペースに見えたのかもしれない。7回には1死1.2塁、 8回には先頭打者を出すものの流通経済大も併殺や継投でなんとかしのいだ。 息詰まる攻防となってきた。

同点で迎えた9回裏。1点取ればサヨナラ勝利、すなわち優勝決定という状況では あったが流通経済大の攻撃は7番から。下位打線だ。3回途中から登板した八木に しっかりと抑えられており、サヨナラ勝利もそう簡単ではないと思った。 1死後、8番・宇野正之(4年生、水戸商業高校)がセンター前のポテンヒットで出塁。 1死1塁で9番・長岡裕宗(4年生、土浦第三高校)にまわった。長岡というのは 左打ちの外野手。4年生ということで前から少しは名前を聞いた気はするが あまり特徴のない選手である。ただし前日の第1戦で本塁打を打っているという 情報が入っていた。ただ、そうは言っても左腕・八木に対して左打ちの9番打者・長岡。 この日も八木に2打席凡退、普通に考えて長打は期待しづらい。併殺にはなりにくい だろうと考えてあえて強攻、足を絡めたヒットエンドラン、思い切って宇野の 単独盗塁など、筆者の中をいろいろな作戦が巡ったが大田垣克幸監督が選択したのは 送りバントであった。初球を難なく決めて2死2塁となった。

ところがこの送りバントが結果的に奏効した。2死2塁になると、なんか球場全体の雰囲気が にわかに落ち着かなくなってきたことを感じた。そんなことはなかったのかも しれないが少なくとも筆者はドキドキしてきた。安打1本が必要。4打席凡退の 池田にその1本を期待してよいかどうか微妙だったが、「何かが起こればサヨナラだ」 という雰囲気が球場を包んだように思えた。安打はもちろんだが失策でも決まる。 外野手がだいぶ浅い位置に出てくる。球場全体が 落ち着かない雰囲気になった。初球を見逃しストライク、2球目はボールになる 低めの変化球を振って空振り。簡単に追い込まれた。当たっていない池田に 八木を打つことをそうそう期待できないか。そう思った3球目、外角にボールを要求したと 思われる捕手のミットよりもやや内に入ってきた。池田が必死に捕らえた打球は レフトの頭上を越えた。サヨナラだ。優勝決定だ。1塁側から流通経済大ナインが 飛び出し、スタンドの真ん中から1塁側方面から拍手と歓声があがった。 結果的に送りバントが奏効した。


筆者は送りバント賛成派であることを先に述べた。だからと言ってこの一件だけで 「やっぱり送りバントは有効な作戦である」と結論づけるのはいくらなんでも 乱暴だと思う。ここではそういうことではなく、送りバントの力、そこに至った 判断などについて自分なりに感じたことを書いてみたい。

9回裏同点、1死1塁。打席に9番打者。この場面で監督で考えるであろう 作戦を並べてみたい。

作戦 備考
強攻 状況が好転する確率は低い
単独盗塁 1年前は八木から盗み放題だったが八木も修正したか、
簡単には成功しにくい
ヒットエンドラン 一般的にうまくいく確率は低い
送りバント 成功の確率はそれなりに高いが2死になる

まず強攻については左腕の八木に対して左の長岡。いくら前日に本塁打を打っている といってもこの日も9番に入れているわけだし、大田垣監督も打撃に期待しているとは 思いにくい。併殺の確率は少し低そう、というくらいのメリットであり、2死に なるのは覚悟しなければならない。単独盗塁は、バクチ的な考えとしてあり得るかもしれない。 確かに1年前に八木が1年生のときには牽制等もまだまだで、流通経済大は 走り放題だったことはあった。ただし今はそのへんも修正してきているようで、 この試合で1走の牽制刺1回、2走の3盗失敗が1回あった。 ちょっと仕掛けにくい。ヒットエンドランにいたっては盗塁同様、バクチ的な 作戦となる。送りバントは十分に考えられる作戦であるが2死に なって池田一人の打撃に期待しなければならない。池田という選手の今季の 成績は知らないが昨秋は.357の高打率を残した。1番に置いていることもあって それなりに期待できるのであろうが、この試合だけを見ている筆者から見る限りは 期待はしづらい。

結論として初球から送りバントの作戦。迷いなく選択したと言っていいだろう。 筆者ならば送りバントと即断はしづらかったが、大田垣監督のこの選択が バッチリと当たった。この結論に至る経緯を筆者なりに推測してみたい。 まず長岡の打撃にそれほど期待できなかったのは事実であろう。盗塁・ヒットエンドランを 選択からはずすまでもわかる。そこで送りバントを選択したわけであるが、 考えられるのはまず池田への期待だろう。今日の成績だけでは語れない判断が あったのだろう。あるいは何かの拍子に四球でも選べば2番の緒方義人(4年生、 高松商業高校)、3番の内田は八木からも安打を打っており、この日の成績だけの 判断でもそれなりに期待ができる。

ただし、もっと大きな理由があったのではないかとあとになって思わせる。 それを見抜けなかったのが筆者であり、見抜けたのが大田垣監督であると感じた。 この送りバント成功は、筆者の想像を越えることを生み出した。2死2塁になったことで 球場の雰囲気が妙にものものしいというか、ソワソワ・ドキドキしたものになった。 相手に与えるプレッシャーを増やす。むりやり結果論で話を作るならば、 そのプレッシャーが、八木がカウント2−0から池田に対してボールにしなければ ならない球をストライクコースに投げてしまった、ということにもつながるかもしれない。

もう一つ、試合の流れといったものもあったかもしれない。実力伯仲の対戦。 優勝のかかった大一番。どちらに流れがあるとも言いがたい同点の終盤。 監督としては試合を動かすことには "腫れ物に触る" くらいの思いであっても 不思議はない。自軍に有利な流れを自分から作るならばそれに越したことはないが、 それよりも流れを自分から失うことだけは絶対に避けたい場面である。 そこでの送りバントという選択。一般に送りバントは比較的高い確率で走者を 進めることができる作戦と思われるが、一方で送りバントの失敗は流れを 変えることが多いとも言われる。流れを "好転させる" のではなく、 "暗転させない" ことを第一に考えるならばあまり期待はできずとも強攻という 作戦をとるのも、わりと自然な策ではある。しかしここでも送りバントを選択する理由はあった。

創価大の立場に立ってみる。1死1塁で9番・長岡を迎えた。ベストは併殺だが 左打ちの外野手ということでもあるし、やや難しいかもしれない。先に紹介している ように2番・緒方、3番・内田はこの日も八木を打っており、昨季までの実績を 考えても打順はまわしたくない。9番・長岡、1番・池田で二つのアウトを とる必要がある。そこに持ってきて長岡の送りバント。普通に勝負しても アウトを取れたかもしれないが、あえてアウトをくれる。これはこれでよし、 と思っただろう。実際に厳しいバントシフトもしてこなかったし、ボールから 入って様子を見るなどのこともなかった。 そしてあとは池田をアウトに取ることだけを考えればよい。もともとアウトに取らなければ ならない打者と計算しているわけだから、特に状況が難しくなるわけではない。 創価大が本当にそう考えたかわからないが、この論理立てもわりと陥りそうな 考え方である(陥りそうな考え方、と書いたのは、実はその結果多大なるプレッシャーを 背負い、球場内の異様な雰囲気を背負って池田を打ち取らなければならない 事情があとから出てくるからである)。そう考えていくと、長岡にあの場面で送りバントをさせて、 「失敗して流れを失う」という確率はかなり低かったとも言える。 また、仮に池田が凡退して無得点に終わっても、一時的に気分は沈むかも しれないが流れは失わない。


先に森監督が送りバントを多用したと書いた。森監督の言葉の中に 「1本の送りバントが1本のホームランよりも相手にダメージを与えることがある」 というようなものがあった。筆者は送りバント賛成派の立場をとっているつもりながらも、 この言葉の意味はあまりわからなかった。ホームランを打つなら それにこしたことはないではないか、と。ただし、今回の大田垣監督が 長岡に対して指示した送りバント。これを知って森監督の言葉の意味を 少しずつ理解していくきっかけを得たような気もする。「一つの進塁を 高い確率で果たす作戦」だと思っていた送りバント。しかしそれには、 相手に多大なプレッシャーを与えたり、球場全体の雰囲気を一変させるような 力があった。

(山口陽三筆)


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