長期低迷の末にたどり着いたところは終着駅か通過駅か・・・?
東京都立大学の悲劇、その "なぜ?" にせまる

(東京新大学野球連盟2部に所属する東京農工大学4年の山口陽三が、 東京新大学野球連盟の1ファンとして独自の観点で勝手に語ります)

平成8年秋。東京新大学リーグ2部に所属する筆者の母校・東京農工大学の硬式野球部はここ数シーズンにないがんばりを見せたようである。リーグ戦中盤に優勝争いからは脱落してしまったようだが、6勝4敗で3位を確保。最下位争いをしていたここ3シーズンを考えればなかなかがんばったと見ていいのではなかろうか? 筆者も後輩達の活躍を見聞きし、うれしい次第である。 さて、この度取り上げるのは東京都立大学である。かつては1部にいたこともあるらしいこの都立大だが、最近の弱体ぶりは著しく、平成5年春に2部から3部に転落。平成7年春にようやく2部に復帰するも、平成7年秋・平成8年春と、農工大との熾烈な最下位争いに敗れ、平成8年春には再び3部に転落した。この書き方だけだと「しょせん3部レベルのチーム」「2部のお荷物チーム」 というふうにとられがちではあるが、昨秋は優勝争いをしていた東京理科大学と、1部から転落してきたばかりの東京国際大学から1勝ずつをあげ、今季は3勝7敗で5位・農工大と並んでいる(得失点差で6位)。確かにコールド負けも多く、2部の中でかなりの苦戦を強いられていたチームではあるが、「侮れない存在」と見られてきていたのも事実だったと思われる。 その都立大に替わり、この秋から2部で戦うことになったのが東京外国語大学である。 ここ数シーズン、3部の中堅レベルにとどまっていたと思われていたこのチームだが、 都立大の2部昇格・東京電機大学の戦力ダウン等に助けられ、この春、日本工業大学との優勝争いを制した。 ところがこの外語大が今秋、2部でとんでもない醜態を現した。10戦全敗でダントツの最下位。 筆者の在籍中は、2部で未勝利の最下位というケースはなく、平成5年春の都立大、平成6年春の理科大、 平成7年春の西東京科学大学(現帝京科学大学)の1勝9敗が最低である。 外語大のこの弱体ぶりは一大事である。

そんな中、「都立がなぜ外語に負けたのか?」という疑問が2部の中であちこちから聞こえてくるのはごく自然な流れだろう。 極端なことを言えば、本随筆はその疑問に答えるために書かれるようなものだが、実際、 答える必要もないし、それどころか執筆を迷ったことさえあった。 だが筆者の "書き物好き" の性格がまたも頭をもたげ、ペンを取ることになった。


 平成8年春季東京新大学リーグ2・3部入れ替え戦第1戦は、外語大がコールド勝利。

第1戦は筆者も途中までしか見ていなく、手元にスコアもないので詳細は書かないが、 外語はエースの北島一樹(泉陽高校出身、3年)、都立は2番手投手で野手も兼ねる窪田直(立川高校出身、3年) が先発した。エースの石井大輔(小金高校出身、4年)が万全なら石井でいったのだろうが、 石井は春先から下半身(腰? 尻?)を痛めており、満足な走り込み・投げ込みができなかったらしい。 昨秋、入れ替え戦も含めて全試合に登板した疲れによるものだろうか?  しかも今春のシーズンはチームが熾烈な最下位争いを演じることになりその状態を引きずったまま 石井は休む間もなく投げ続けた。リーグ戦の時点で石井のラストシーズンが、 石井の投手生命が終わっていたとしても不思議はなかった。

 さて、3部時代はエース的存在だった窪田だが、2部では敗戦処理に出てきてさらに試合をこわす、 というピッチングが主だった。とはいえ野手に専念していたことや(野手としては2部でもいい選手だった)、 周りに足を引っ張られることが多かったことは考慮すべきだろうが。 その窪田、この日は外語打線をそこそこ抑えていたが、終盤に一気につかまったようだ。 3部で3割を越えるチーム打率で打ち勝ってきた外語の勢いが勝った、と言ったところだろうか。 北島もすごさは感じないが縦の変化球がいいかんじ。明日はどうする、都立!?


平成8年6月16日 創価大学グランド 2・3部入れ替え戦第2戦
1 2 3 4 5 6 7 8 9
東京都立大(2部6位) 0 2 0 3 1 1 0 0 1 8
東京外国語大(3部1位) 0 0 2 0 2 0 2 0 1 7

迎えた第2戦、都立は石井を先発にもってきた。いよいよ背水の陣に立たされた都立、 石井が志願したのかどうかはわからないが、ともかくも投手生命を賭けてのマウンドとなるだろう。

試合は、都立打線が一応石井のがんばりに応えた。と言っても外語先発の2番手投手・高野久紀 (熊谷高校出身、2年)が7回までで8四球と乱調なうえに、サード・京谷全(昭和秀英高校出身、3年)は4失策。 相手にもらった点を石井が13安打を浴びてよれよれながら外語よりはましな味方守備陣に助けられて1点差でかろうじて逃げ切った。


平成9年6月17日 創価大学グランド 2・3部入れ替え戦第3戦
1 2 3 4 5 6 7 8 9
東京外国語大(3部1位) 3 0 0 0 1 0 0 0 2 6
東京都立大(2部6位) 0 1 0 1 1 0 1 0 1 5

 1勝1敗で迎えた第3戦、予想通り北島を先発させてきた外語に対し、都立は石井が連投だ。 「石井と心中」。第1戦で窪田がつかまっていることを考えればとりあえずベストな選択であろうがこれは苦しい。 チームもそうだし、石井がホントに死んじゃうのではなかろうか、なんて余計な心配もしたりした。

 その頼みの石井が初回に3失点。しかも先制点は1死1.2塁で3部のMVP・種山大輔(市立浦和高校出身、4年) をショートゴロに打ち取りながらショート・船田政宏(秦野高校出身、2年)がエラーしたものだった。 並のショートが守っていれば0点に抑えられたところを3点。このビッグゲームでの3点、 都立に与えるダメージは相当なものだったろう。エラーした船田をセンターから大声で励ます窪田の姿も印象的だった。

 2回に岩佐将行(戸山高校出身、2年)の適時打で1点を返した都立は、4回にも1死満塁で岩佐の適時打が出て2点目。 しかしまずかったのはそのあとで、8番・船田のスクイズ空振りで2死1.2塁。 さらに2走・阿曽沼孝仁(八王子東高校出身、2年)の3盗失敗で逸機。 3点差が1点差になり、心理的にだいぶ楽にはなってきただろうが、あと一歩つめられない。 そんな状況のまま7回を迎えた。この日2本の適時打を打っている岩佐にランナーなしでまわってきてしまったがなんとこの岩佐が、 広くなった創価大学グランドのレフトスタンドへ特大同点ホームラン。 これで都立は心理的にも五分、あるいはそれ以上になったとさえ思った。 このあと先に点を取った方が勝ちそうな雰囲気になり、その可能性は都立の方が高く思えた。 続く8回にも、1死1.2塁のチャンスはつかむがここは岩佐までまわる前に凡退。 4−4で9回を迎えた。

 9回表、外語は先頭の大歯秀敏(明石南高校出身、3年)がヒット、 竹下貴規(清水東高校出身、2年)のバントで1死2塁。続く矢木篤志(両国高校出身、3年) の2球目にパスボールで1死3塁。これは大きいプレイだ、 と思ったのもつかの間、矢木のピッチャーゴロで大歯が飛び出し、2死1塁。 今度は外語に大きなミス。バックネットで見ている筆者もワンプレイ、ワンプレイにドキドキだ。 外語のチャンスもとぎれて裏で都立がサヨナラか、なんて思ってたところで石井が豊田健吾(旭丘高校出身、3年) を歩かせてしまい、4番の種山にまわしてしまった。 3部で.577の打率を残した主砲も、第2戦は就職活動で試合を休むなど、 練習不足もあってこの入れ替え戦はそれほど当たっていなかった。 まして「石井君とは相性が悪い。窪田君とはいいんだけど」(種山) ということだったがこの種山がここ1番で見せた。カウント2−3から 「イチかバチかストレートに賭けた」(種山)というスイングは石井の直球、 この試合の137球目をとらえ、レフトオーバーの2点適時2塁打。 9回、外語は2点を勝ち越した。

 6−4で迎えた9回裏、都立も最後の粘りを見せる。先頭の岩佐が4本目のヒットで出塁。 ここで都立も勝負に出る。代打に松沢邦裕(市立浦和高校出身、4年、主将。本随筆の主人公)。 リーグ戦では4番を打っていた、攻撃の軸である。入れ替え戦では先発を外れていたわけだが、 その辺のことはあとで述べる。そして岩佐の代走に豊田俊介(武蔵高校出身、4年)。 キャッチャーの控えがいないのに岩佐を代えた。勝負を賭けたが松沢はいい当たりながら サードゴロで、フォースアウトで1死1塁。しかし9番原田一博(日野台高校出身、4年) はしぶとくセンター前ヒットでつなぎ、この試合に並々ならぬ闘志で意気込んでいる窪田にまわった。 この窪田がとらえた打球は三遊間を襲い、ショートがおいついたがトンネルし、満塁。 打順は2番荒川潤(八千代高校出身、4年)に。思えば1年前の入れ替え戦、 3部1位校として臨んだ都立の2部昇格を決めたのは荒川のサヨナラヒットだった。 またしても勝負所でまわってきた荒川、なんとこの場面もしぶとくライト線に落とし、 1点入ってなお満塁。逆転サヨナラの場面で3番堀江裕(南多摩高校出身、2年)。 今春からレギュラーを取った男だが、2部のリーグ戦中盤まで打撃トップテンに名を連ねていた男だ。 まして2塁には俊足窪田。ヒットはもちろん内野のエラーやちょっとしたスキもついてホームを狙うだろう。 外語絶体絶命。内野はやや前進。窪田が大きくリードをとる。 そして北島の初球を堀江がたたく。悪くない当たりだが、ワンバウンドでショート矢木のグラブに収まり、 6−4−3のゲッツー。その瞬間、外語が歓喜に沸く脇で、 すでに3塁をまわってホーム寸前まで来ていた窪田がうなだれる。 ゲッツーが崩れていたら、窪田はおそらくホームを陥れていただろう。 それだけきわどいプレー、紙一重、外語にとってはまさに薄氷を踏む勝利だった。

 試合後、都立の反省の中で窪田は泣き続ける。4年生の中には、泣いてそうな者はいなかったようだが、 2年生には何人かいたと思う。主将の松沢は自分たち4年生を「反面教師」という言葉を使い、 チームを3部に落としたことを詫びた。窪田は泣きながら「秋にはすぐに2部に戻れるよう、1・2年生ともどもがんばる」と言った。 死力を尽くした両チームの戦い。紙一重の勝負を勝ち取った外語と今一歩及ばなかった都立。 実力は接近していながらどちらかが勝者になり、どちらかが敗者にまわる。 まさに勝負の厳しさを象徴するようなひとときだったように思う。


 さて、この随筆の本題はここからである。誠に申し訳ないが、 ここまで長々と書いてきたのは言わば序章にすぎない。 「都立はなぜ負けたのか?」。その真実に迫りたい。

 筆者が知る限り、都立というチームは比較的まじめな選手が多い。 練習・試合にもみんながひたむきに、一所懸命に取り組んでいるように見受けられる。 ここ数年はそれでもいい結果が表れてはいないが、 「野球が好き。だから一所懸命、全力で野球をやる」という姿勢は、申し訳ないが、 我ら農工大ナインよりは上回っているようにも感じる。 強いチームに大差をつけられてもメゲず、弱いチームに対しても "手を抜く" "なめてかかる" という傾向は比較的少ない。それはこの入れ替え戦も同じで、都立は外語がここ数シーズン、 自分たちの下のランクにいたからといってなめてかかった様子はまるでなく、 出ている選手は当然ながら本当に全力で戦い抜いた。 志願登板か至上命令かはわからないがギリギリの状態で312球を投げ抜いた石井の がんばりも見事だった。死力を尽くした両チームの戦いの末、 紙一重でたまたま勝利の女神が外語にほほ笑んだ。それだけのこと・・・。 しかし本当にそれだけだろうか。都立ナインは全力を尽くした。 しかし最善を尽くしただろうか?

 以下、左に示すのはリーグ戦の主な先発オーダー、右に示すのは入れ替え戦第3戦の先発オーダーである。

リーグ戦の主な先発オーダー
G 窪 田(3年)
C 荒 川(4年)
F 堀 江(2年)
H 松 沢(4年)
B 豊 田(4年)
E 黒 川(4年)
DH 谷 口(4年)
A 岩 佐(2年)
D 原 田(4年)
石 井(4年)
入れ替え戦第3戦の先発オーダー
G 窪 田(3年)
C 荒 川(4年)
F 堀 江(2年)
H 保 田(2年)
B 天 田(2年)
DH 阿曽沼(2年)
A 岩 佐(2年)
E 船 田(2年)
D 原 田(4年)
石 井(4年)
 リーグ戦終了から3週間余りでレギュラーが4人入れ替わっているわけだが、 いずれも4年生のところに2年生が入っている。 一応最初に考えられるのは短期間のうちに4人の4年生がレギュラーを "奪われた" ことだが、 これは考えにくい。例えば松沢と保田学(駒場東邦高校出身、2年)を比べても、 保田の一発長打の魅力はあるが、リーグ戦で数字を残していなくてもかつて3部でMVPを取った松沢の方が センスは上である。豊田にしても昨秋はあまり活躍していなかったが、 今季は2部にも慣れてきたのか、リーグ戦序盤では首位打者も争っていた選手だ。 黒川大輔(八王子東高校出身、4年)はバッティングはぜんぜんだが、肩が強く、 今季からショートにコンバートしたのは成功と言っていいくらいだと思っていた (ヤジでは「失敗」と言ったが)。彼らがことごとく後輩にレギュラーを奪われたとは思えない。

 次に考えられるのは、若手の教育である。春はレギュラーの大半を4年生が占めたが、 都立は毎年、ほとんどの4年生は春を最後に引退する。 今年もそうだとすれば(実際そうだが)秋から経験浅い3年生以下 (3年でもレギュラーだったのは窪田だけ)で戦わなければならない。 2年生に緊迫した試合の中でプレーさせることには確かに意味がある。 しかしこの入れ替え戦に限っては都立はその方針を持っていた可能性はうすいと見る。 1つは絶対に負けてはならないゲームであるということ。 もう1つは、その条件下で都立が外語を「戦力を落としても勝てる相手」 とは見ないだろうということだ。大事なゲームであるうえに都立が手を抜くことは考えにくい。 もしも若手の教育をテーマとしていたなら、せめて第1戦、 コールド負けする前に3番手投手・市川裕隆(海城高校出身、2年) をマウンドに送っていただろう。

 筆者の出した結論は、ひとことで言えば「松沢をはじめとする、4年生の遠慮」である。 現在ちゃんとした監督がいない都立では、主将がだいたいの采配をふるうようである。 それゆえに起こってしまったこの悲劇、わかる範囲で書くと次のようなことになる。

 聞いた話だと今年の都立の4年生は理系学部に所属する選手が多いらしい。 筆者も理系大学の学生だからだいたいわかるが、4年生になって研究室配属されると、 何かと忙しく、部活に没頭できないのが現実である。 それでも研究室によってだいぶ様子が違うので一概には言えないが、 都立の4年生が満足な練習ができないまま春のシーズンを戦っていたとしても不思議はない。 それでも今の2年生ははっきり言って4年生には劣るので、 4年生主体でシーズンを戦ったのだろうが、結果的に最下位になってしまった。 もともと都立の方針として「同じレベルなら若い方の選手を使う」 ということがあるらしいが、おそらくここで松沢が多少弱気になったのだろう。

「4年生は練習しない」

「練習しないのに試合には出る」

「その結果が最下位」
この流れの中で入れ替え戦を4年生主体で戦って落とした場合のことを考えてしまったのだろう。 一所懸命に練習を続けた2年生の立場は台なしのうえに、 2年生は次のシーズンから3部で試合をしなければならなくなる。 実は筆者が農工大1年生のときの秋、当時レギュラーの大半は最上級生の3年生だったわけだが、 チームを3部に落として引退する形となってしまった彼ら (と言うよりそのときのチームの戦い方)に、非常に申し訳ないが多少批判的な気持ちを持ったことがある。 自分もチームの一員である以上それはおかしいことではあるのだが。 今回、都立の2年生が同じ気持ちを持つかはわからないが、 松沢がその心配をするのはありえなくはなさそうだ。

「当然勝ちにいく。しかし2年生主体で戦う。それが2年生の経験にもなるだろう。 それで仮に負けても2年生は自力で戦った結果ならば納得だろう。」

 松沢の心中を勝手ながら察するとこんなところだろうか。 第4文はともかく第3文までは当たってそうである。 しかしここまでの記述が当たっているとしてそれを客観的に評するなら、 この松沢の "逃げ" はあまり得策ではない。こういう結果になったからこそそう感じるのだろうが、 これは結果論ではない。入れ替え戦に、4年生に代わって出場した2年生は、 現段階でそれだけの実力はなかったと思う。4年生が出たとして必ず外語に勝てたかどうかは ちょっとわからないが、入れ替え戦である以上、最善は尽くすべきだったと思う。 「都立がなぜ外語に負けたのか?」。その問に対する答えは、 実は松沢の心の中に入り込まないとわからないかもしれない。

 平成8年秋。都立の4年生は原田を除いて引退していた。 原田は入れ替え戦にもフル出場し、秋も残っていることを考えれば、 比較的余裕のある立場にいるということだろうか。 しかし8月の都立VS農工の練習試合を見た限り、 都立打線は以前にも増して迫力を欠いていた。 都立には今年、筆者の後輩も入部し、彼の2部での活躍を期待してもいたのだが・・・。

 最後に締めくくりとして1つの仮定をしてみたい。 仮に都立がどういう形であれ、外語に勝っていたらどうなっただろうか?  4年生のほとんどが引退してしまったことを考えれば、 2部のリーグ戦でまたも相当の苦戦を強いられたあげく、 今季の外語と似た戦績を残したことだろう。紙一重で2年生主体の都立に勝った 外語が2部でまったくと言っていいほど通用していないのだから。 せっかくの「若手の教育」もおそらく大きな成果は表れないままだったのではないだろうか (ちなみに平成8年秋季、都立は3部で5勝5敗の4位という結果に終わっている)。


さらに後日談を書くと、このあと都立は平成9年春・秋、 平成10年春と、3部で3季連続優勝を飾る。その過程では、 3部転落のときに言わば「若手」だった保田・市川・阿曽沼・堀江・ 船田・天田らの活躍があったようである。しかし3季とも 入れ替え戦では敗退。平成8年春の3部転落は、残された部員にとって 非常に重い失態となっているようである。


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