筆者は東京農工大学、及び同大学院に在学中に情報工学を専攻し、その中で 人工知能という分野の研究に携わった。人工知能とは、すごく簡単に言ってしまえば 「コンピュータに知能を持たせましょう」という研究である。 様々なアプローチによって研究は行われているが、さすがにほとんどの応用分野に おいては人間を超えるような知能をコンピュータに持たせるに至っていない。 一般にわかりやすい例としては、1997年にチェスのコンピュータプログラム(DeepBlue) が人間のチェスチャンピオン(カスパロフ氏)を破ったことがニュースになった ことがある(2勝1敗3分)。 この一件で「チェスにおいてコンピュータは人間を超えた」と言っていいかどうか、 またこのチェスプログラムが人工知能と言っていいかどうかについての議論は ここでは置いておくとしても、この一件はとにかくも人工知能研究にとっては 非常に大きなニュースである(これに関する筆者の指導教官・小谷善行教授の コメントがある。興味のある方はどうぞ→ こちら)。
事例ベース推論とは、その人工知能研究の一つのアプローチ法である。コンピュータに 知能を持たせるにあたっては、例えば人間が問題解決を行う手順をこと細かく 規則化してコンピュータに覚えさせることや、例えば確率的なモデルを使うもの、 例えば学習機能を持たせて問題解決を重ねるごとにコンピュータ内に知識を蓄えて いこうとするもの(簡単に言えばコンピュータに赤ちゃんをやらせようとするもの) などがある。事例ベース推論はそういったいくつもあるアプローチのうちの一つである。 その方法は、コンピュータに問題解決の事例をあらかじめたくさん入力しておく。 それは成功した事例と失敗した事例が混ざっていてもよいし、成功した事例だけを 入力しておくのもいいだろう(簡単に成功と失敗とを評価しにくい場合もあろうが)。 そして新たな問題が現れたら、過去の類似した事例を検索し、その事例において 実行した解決策を出力する。検索事例が失敗事例だったら「次に似た事例を検索する」 なり「その解決策は避ける」なり、いくつか対処法は考える。そして新たに 解決した問題についても「状況」「解決策」「結果」といった要素からなる事例として 蓄えることで次からの推論で使える。一種の学習の機能を持たせることも できるわけである。
筆者が大学4年次にこのアプローチを聞いたときに、いい方法だと思い、さっそく 自分の研究に使ってみようと思った。自分の研究のテーマ、それは「野球の作戦を コンピュータに考えさせる」だった。とりあえず大学4年次の卒業論文に 向けた1年間の研究では「野球の、攻撃の作戦を考える」ことだけに焦点を当て、 研究を行った。攻撃の作戦の事例、まず「状況」はアウトカウント、走者位置、投球カウント、 点差、イニング、打者の力量、などが挙げられる。「解決策」にはヒッティング、 バント、盗塁、スクイズといった実際に使われる作戦名が入る。「結果」に ついては、作戦というものは明らかに成功と失敗とがわかる場合もあるがそうで ないこともあるので、あえて二つのどちらかに分類することはせず、結果としての 状況の遷移を「結果」とした。このような取り決めをして、さっそく事例を収集した (自分の所属する東京農工大学硬式野球部、その部が所属する東京新大学野球連盟の リーグ戦から収集したのは言うまでもない)。
ところが実際にプログラムを動かしてみると適切な 作戦を出力させることが難しい。大きな障害となったのは事例の類似性の判定である。 例えば状況の「無死1塁」という部分が一致したからと言っても点差やイニングが 異なれば当然作戦は変わってくる。点差とイニングまでが同じだったとしても 打者によってもやはり作戦は変わってくる。まして全部の状況が一致する事例などは ほとんど見つかることはない。点差を残りイニングで割った値を導入したり、 打者の力量を数値で表すことでなんとか対応を試みたが、結果的には、 筆者の作成したプログラムによる作戦決定は、常に打つだけの作戦しか使わない 問題解決方法と、勝率において大差ないという、あまり好ましくはない結果に なってしまった(苦労して作戦決定するくらいなら普通に打たせろ、という結論 になったということ)。
結局筆者は大学院進学後に事例ベース推論によるアプローチから他のアプローチに変え、 修士論文のテーマは相変わらず野球ではあったが、手法を変えたことで卒業論文の 研究成果よりはいい成果が出せた(それでも人間と比べればまだまだだが)。
そして平成11年3月に同大学院の修士課程を修了し、一般企業に就職した。 大学野球からも必然的に離れたわけだが、まだ後輩の試合、あるいは連盟の 他校の試合も気になって春のシーズンや秋のシーズンも何試合か観戦に行った。 その中で平成11年秋、非常に興味深い現象を目にした。
平成11年秋、東京新大学野球連盟1部では高千穂商科大が8季ぶりの最下位となり、 2部優勝校の工学院大と入れ替え戦を戦った。高千穂としては8季ぶりの入れ替え戦 であるから、前の入れ替え戦を知る人間はチームに島谷浩司監督一人だった。 今回の入れ替え戦の結果については他のページに詳細を書いているのでそちらを 参照していただくとするが(→こちら)、 この入れ替え戦は高千穂側にとって前回の入れ替え戦、 8季前の平成7年秋の入れ替え戦と非常に似るところが多い入れ替え戦だった。 次の二つの表に、両シーズンの入れ替え戦の日程と結果、バッテリーを示す。
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平成7年秋の入れ替え戦、高千穂は第1戦をエースの大越義邦(当時3年生)で落としたが第2戦を 志賀健太郎(当時3年生)の完封と打線の活躍で大勝(7回コールド)。そして1週間空いた第3戦に もう1度志賀を先発させ、相手のエース・井澤俊介(当時3年生)と投げ合いになったがまたも 志賀の好投でものにした。このときは筆者の印象では大越と志賀に大きな 実力の差があるようには思えず、また大越がどこかを痛めていたか調子が悪かった という話もちらりと聞いたので、まあ、エースではないにしろ大事な第3戦に 志賀を先発させた選択は十分わかる。そして経緯はどうあれ高千穂は、高千穂の 島谷浩二監督(当時4年生、そして大学卒業後現在まで同校の監督を続けている) は1週空いた第2・3戦を志賀で連勝したという経験をした。
それから4年がたった平成11年秋の入れ替え戦は、投手事情は多少前回と異なっていた。 小池大治(当時3年生)という絶対的なエースはいるもののその小池がリーグ戦であまり調子が よくないとのこと。加えて2番手以降に投手の人数は多くいるものの、 いずれも経験がやや足りないという事情があったと思う。その点で平成7年秋 と多少事情が違うと思うのだが、入れ替え戦第1戦を、高千穂はエースの小池で落とした。 しかし窮地に立たされた第2戦、先発した古屋亮(当時2年生)の好投と打線の援護で大勝 (8回コールド)。そしてやはり1週空いた第3戦を迎えた。ここで先発に 小池を持ってくるか古屋を持ってくるかの選択は難しかったことと思う。 やはり小池はエース、エースを先発させずに負けてしまっては悔いが残る。 しかしこのシーズンにあまり調子がよくなかった小池、この最も大事な入れ替え戦第3戦で、 投げさせてみたらやっぱり調子が悪かったです、ではすまされない。 そして第2戦で相手打線をうまく抑えた古屋の好投も捨て難い。 結局島谷監督は古屋を先発に指名。6回に1点を先制されてなお2死1.3塁と危機が続いた ところで小池に継投し、7回に打線が挙げた2点を小池が守って高千穂は 1部残留を勝ち取った。古屋に白星がつかなかったが、古屋の先発起用は成功と 見ていいだろう。
平成11年秋の第3戦、最終的にどういう理由でこの投手起用になったかは、 筆者はわからない(まあ、島谷監督に聞けばわかるのだろうが)。単に古屋が 第2戦で好投したからということだけかもしれないし、継投までを考えた場合に 小池がベンチに控えていた方がいいということも考えていたかもしれない。 しかし、、、島谷監督が認めるかどうかはわからないが、 平成7年秋の志賀の2連勝が、少なからず監督の頭の片隅にあったのでは ないかと思えてならない。「相手に勝った投手を先発させる」、偶然にせよ 意図があったにせよ、4年前と同じ方法をとった高千穂は、4年前と同じ形で 1部残留を勝ち取った。
他方、この平成11年秋の入れ替え戦で高千穂の前に敗れ去って1部昇格を果たせなかった 工学院だが、こちらはこちらでまた筆者にとって興味深い現象があった。 平成7年春後の入れ替え戦で1部昇格を果たしながら平成9年春後の入れ替え戦で 2部転落を味わい、以後2部で優勝争いに1度もからまなかったのに、平成11年秋 のシーズンにいきなりの優勝を果たしたわけである。その原因というか、優勝を 果たすまでの過程についての筆者の考えは他のページ (→こちら)に書いているので詳細は省くが、 簡単に書くと次のような考えである。 このシーズンを前に、工学院というチームは前に成功した(1部昇格を果たし、 1部でもまあまあ活躍した)平成7・8年ごろのチームがやっていた野球の形を 追い求めたのではないか、というのが筆者なりの見解である。リーグ戦で、 また入れ替え戦で工学院の試合を見たときに、その強さはもちろんだが 目指す野球の形、目指すチームの形というものがずいぶん3〜4年前のチームに 似てきたことに筆者は驚いたものである。2部転落後しばらく低迷が続いた 工学院は、やはり偶然によるものか意図を持ってやったことか、はっきりとはわからないが、 以前の成功例と似た形を実践したことで成功を収めた。
今回の2件の例が、意識された事例ベース推論か無意識の事例ベース推論か、 あるいはまったくの偶然なのか、本当のところはわからない。筆者個人としては まったくの偶然ではなく、当事者たちの頭の片隅に過去の事例、過去の経験が ひっかかっていたと思っているのだが、そうだったとして、いとも簡単に それをやってしまう人間の知能はやっぱりすごいのだ。研究者が苦労して、 あれこれ試行錯誤してコンピュータに知能を持たせても、人間が何気なく 行う問題解決の方が優れている。今回の2件の例だって事例ベース推論として コンピュータにやらせようと思ったらけっこう大変である。まして推論を 行ったとして成功につながる解決策が出るかどうかもまた、難しいところである。 それではコンピュータはいつまでたっても人間の知能を超える知能を身につけ られないのだろうか。ちょっとだけその分野の研究をかじった筆者としては 「No」の答えを期待したい。人間の知能はすばらしく、コンピュータにプログラム を与えるのも人間なのである(コンピュータがコンピュータにプログラムを 与えることもありえるが)。人間自身が自分の脳を完全に解析できれば コンピュータに人間と同等の知能を与えることが可能になる。すばらしい知能を 持った人間が、その知能をもってして自らを解析する方法や道具を作り出す ことができればいいわけだ。ただ、本当に人間がコンピュータに取って代わられる ことを恐れて人工知能研究に反対向きの意見を持つ人たちもいると言う。 それもまた人間らしさか。「人間らしさ」のコンピュータによる実現、 そこまでできるとすごいだろうな。筆者が生きている間にはぜひ見てみたいが どうなることか・・・。人工知能研究の明るい未来を期待したい。