平成10年、東京新大学リーグの1・2部入れ替え戦は杏林大(1部6位)と東京国際大(2部1位)との対戦となった。杏林大は5〜6年前から2部で毎シーズンのように優勝争いに加わりながら工学院大の5連覇等もあり、また工学院大の1部昇格後は優勝を果たしながら今一歩1部昇格を果たせずにいたが昨季ようやく昇格。と、そこまではよかったものの結局昇格後最初のシーズンは結局勝点0で最下位。一方の東京国際大は、平成7年春に1部から2部に転落してきてからやはり毎シーズンのように優勝争いには加わっていたものの唯一杏林大には相性が悪く、平成8年春を除いてはなかなか優勝できなかったが、杏林大がいなくなった今季、8勝2敗で優勝。言わば最近の2部でのライバル同士が入れ替え戦で対戦することになった。
入れ替え戦の結果の詳細は他のページを参照していただくとするが(→こちら)、簡単に紹介しよう。6月13日の第1戦は国際大が大勝。国際大は、打線は昨季の2部最優秀防御率投手の、杏林大エース・新村正憲(相武台高校出身、2年生)をKOし、投げては今季の2部の最多勝投手、橋本直弥(坂戸高校出身、3年生)が安定した投球を見せ、簡単に第1戦をものにし、1部復帰へあと1歩と迫った。14日の第2戦は雨で流れ、20日の第2戦は逆に杏林大が大勝。投手陣が崩壊状態だった杏林大は窮地で経験の浅い張田和也(作新学院高校出身、2年生)が好投。打線も、国際大の2本柱のもう1人、これまた今季の2部の最多勝投手である、川内真之(徳島城南高校出身、4年生)をKOした。そして迎えた21日の第3戦、国際大・橋本、杏林大・張田の投げあいとなったものの延長10回、杏林大が大越卓雄(作新学院高校出身、3年生)のサヨナラ本塁打で勝った。杏林大側から見れば、この入れ替え戦は、あとがない状況から第2戦・第3戦と好投した張田のがんばりに尽きると言えるだろう。だが、今回筆者が書きたいと思うことは、国際大側から見てこの入れ替え戦、勝つ方法があったのではないかということである。国際大の投手起用に、疑問があったということである。それを詳しく説明してみたい。
一般的に2勝先勝の勝点制の戦いの場合、だいたい第1戦はエースを登板させる。それで勝てば第2戦にはエースを温存する形で他の投手を使い、勝てればそれで勝点を取れるし負けても第3戦にもう1度エースを登板させる、というのが普通の戦い方のようである。第1戦を落とせばエースの連投もあり得るだろうが、第1戦にエースで勝って第2戦にまたエースを登板させると、負けた場合に第3戦をエース以外の投手、もしくはエースが疲労のある3連投の状態で登板せざるを得なくなるので1勝したあとの第2戦にはエースを先発では使わないのがわりと普通のようである。その観点から言えば今回の国際大は、まさにそれに乗っ取った投手起用をした。現状で最も安定している橋本を第1戦で使い、第2戦は最多勝こそ獲ったものの衰えの見えている、不安定な川内を先発。そして第3戦に橋本という起用で負けたわけだから、一見ベストを尽くして負けたように見える。ところが今回の入れ替え戦は3連戦ではなかった。第1戦と第2戦の間には1週間空いており、橋本は十分に第2戦に登板できる状態だったはずである。 読者の方には、筆者が結果論でものを言っていると思われると思うし、それも仕方ないと思うが、一応筆者は第2戦が始まる前の段階で、第2戦には橋本を使うべきだと思っていた。
しかし次のような、ごく自然な考え方ができる。エース(=ここでは橋本)が投げる試合を「絶対に勝たなければならない試合」、そうでない試合(ここでは川内が先発する試合)を、「負けも覚悟の試合」と設定するならば、第2戦を迎える状況で国際大の選択肢としては、第2戦を敗戦覚悟の試合とするか、1勝1敗で迎えた場合の第3戦を敗戦覚悟の試合とするか、のどちらかである。当然、1勝1敗で迎えた第3戦を敗戦覚悟で臨むわけにはいかないから、まだやや余裕のある第2戦を敗戦覚悟の試合と設定する。その考え方は十分に自然なので、川内が今回第2戦で出てくるのは自然でもある。ただ今回、第1戦を終えた段階で杏林大は雰囲気的にも戦力的にもかなりまずい状況だった。これを一気に叩きつぶす選択をした方がよかったように、筆者は思う。杏林大に息を吹き返すチャンスを与えた上で第3戦を迎えるのは得策ではない。まして実力的には互角とは言っても立場的には国際大の方が挑戦者である。そう考えれば国際大に「攻め」の姿勢は必要だったろうし、また、入れ替え戦という短期決戦では1試合でも、あるいは試合中のワンプレイでも相手に余裕を見せる、もしくは気を抜くことはしない方がいいというのが筆者の考えである。「それでは第2戦に橋本でいって負けたらどうするんだ?」という意見もあるだろうが、橋本が投げるときには、もうそれが第2戦であろうと第3戦であろうと、最終決戦なのである。負けが許されない、負けを考えてはいけない試合なのだから、いくら第2戦だったからと言って必勝の気持ちで臨めばいいという話である。あるいは杏林大の張田のように、2日くらい連投してもよかっただろう。つまり1勝1敗の第3戦に橋本で勝つ確率よりも、杏林大が息を吹き返さない第2戦のうちに橋本で勝つ確率の方が高かっただろう、というのが筆者の考えである。「第2戦に橋本を使って一気に勝負を賭けるという最適な答えがあるのに、一見第2戦に川内を使うことの方が最適に見えてしまう」。最適解を見落とした国際大の、これが今回言うところの「落とし穴」である。
ところで国際大ベンチは、もっと言えば新井嘉浩監督(東京国際大学出身)は、この落とし穴に気づかなかっただろうか? 気づいていたが恐いもの見たさで川内を先発させたのだろうか? 筆者は新井監督のことをあまり知らないし、話したこともないのだが、印象としては勝つことだけを考える、静かだが冷酷で厳しいところもある人だと思っている。基本的に采配にしても選手起用にしても大きくは動かない「静」のタイプで、調子の悪い選手もある程度まで辛抱して使うが、1度使えないと判断した選手にはほとんど出場のチャンスは巡ってこない。そんな印象がある。そんな監督だから、今回のこの落とし穴にはうすうす感づいてはいたように思う。それでは、川内で杏林打線を抑えられると、信頼していたかと言うと、そこまでの信頼は川内になかったように思う。あるいはこれが落とし穴にならないという絶対の信頼が橋本に対してあったのか・・・? 結局なぜこういう起用になったか、本当のところはわからないが、一つひっかかるのは川内の境遇である。平成8年春から5季続けて国際大の軸として投げ続けたこの小柄な左腕は、平成8年春の優勝にも貢献したし、今季は最多勝というタイトルも獲った。ところが今季で引退というつもりであったという話も聞いている。ここまで1部復帰を目指して軸としてがんばってきたのに肝心の最後の入れ替え戦で、川内の登板なくして1部昇格を果たしてそれで川内は引退、ではどこかやりきれない。そういった気持ちが、クールな国際大ベンチにでもまるでなかったとは言えないかもしれない。しかしまあ、とにかく難しい起用だったとは思う。筆者が新井監督の立場だったときに、本当にその最適解通りの行動をとれるか、とる勇気があったかどうかはわからない。橋本で挑んだ第2戦を落とせば一気にチームの雰囲気は悪くなり得る。「明日どうすんだよ?」という雰囲気になる。非常に勇気のいる起用になる。とにかく6月14日の雨、そして川内の境遇が、より問題を複雑なものにしてしまったとは言えそうだ。
実は平成7年春の入れ替え戦でも似たことがあった。このシーズン、国際大は1部で1勝10敗、勝点0で最下位。入れ替え戦で、5季連続の2部優勝を飾った工学院大と対戦した。国際大は第1戦を右のエース・塩見成行(高島高校出身、当時3年生、筆者の同期に当たる)で3−1でものにし、第2戦は左のエース・本田茂雄(工学院大学附属高校出身、当時3年生、筆者の同期に当たる。旧友と対戦したこの入れ替え戦は因縁の対決となった)が先発し、好投。8回途中まで1失点だった。ところが1−1の同点で迎えた8回、工学院大2死1塁の場面で当時の谷口学監督は悪くなかった本田をなぜかスパッと代えた。結局この交代が裏目に出て第2戦は工学院大がサヨナラ勝利。1勝1敗で迎えた第3戦は、塩見が工学院大打線につかまり、7−4で工学院大が勝ち、1部昇格を果たした。「明日どうすんだよ?」。第2戦で負けた瞬間にバックネット裏でスコアをつけていた、国際大のベンチをはずれた部員がつぶやいた。2部転落から丸3年がたった今年の入れ替え戦、第1戦で勝ったことで第2戦に最善の策を尽くさなかったいう意味では、図らずも国際大は似た経験をしてしまったが、3年前の失態を知る人間は今国際大に、当時1年生だった鬼沢智宏、金子毅、後藤康夫、そして川内真之しかいない(以上、いずれも4年生。出身校省略)。新井監督が就任する、2年以上も前の話である。
とまあ、勝手気ままに書いてきたが、本当に勝手なことばかり言っていると自分でも思う。しかも我々は国際大に負けて優勝できなかった、言わば敗者である。敗者が何を言っても「勝ってから言え」「大して野球もわかってないくせに」ということにもなるだろう。そういったことも含め、ご意見をいただければ幸いである。
東京新大学野球連盟のページ(筆者作成)
東京新大学野球連盟のページ(佐々木氏作成)