8回表同点、2死満塁、カウント0-3
「勝てば1部」... 国際大・金子毅の選択

(東京新大学野球連盟2部に所属する東京農工大学の山口陽三が東京新大学野球連盟の 1ファンとして独自の観点で勝手に語ります)

平成10年春、東京新大学リーグ2部に所属する東京国際大(以後国際大)は 8勝2敗で2部優勝を飾り、1部との入れ替え戦で1部最下位校・杏林大と 対戦した。結果については他のページでも触れているが、簡単に紹介すると 次のような結果となった。

筆者はこの入れ替え戦を振り返って他の "ひとりごと" で、国際大の敗因の一つとして 第1戦から雨のために1週間あいた第2戦でエースの橋本直弥(3年生、 坂戸高校出身)ではなく2番手投手の川内真之(4年生、徳島城南高校出身)を 先発させて大敗したことを挙げている。筆者はその考え方をあとになって 否定する気になったわけでもなんでもないのだが、それでは第2戦を川内で 落とした時点で国際大に第3戦の勝ち目がなかったのかと言うと、そういうわけ でもない。第3戦は息詰まる投手戦、1点をめぐる一進一退の攻防で、 どちらが勝ってもおかしくない試合展開だった。たまたま延長10回に 杏林大の大越卓雄(3年生、作新学院高校出身)に右翼へのサヨナラ本塁打が 飛び出したものの、国際大にだって十分勝機はあった。


1勝1敗で迎えた第3戦、国際大は第1戦で勝ったエースの橋本、杏林大は 第2戦で先発して勝利投手になっている張田和也(2年生、作新学院高校出身)を 連投ではあるが先発させてきた。両チームとも当たり前ではあるが最も信頼できる 投手を先発に持ってきた。先制したのは国際大。4回に金子毅(4年生、 新潟明訓高校出身)の適時打で1点を先制。一方の杏林大は橋本の丁寧な投球の前に、 なかなかヒットをつなげらない。6回までに5度得点圏に走者を送りながら無得点。 6回には内野安打2本で得た無死1.2塁の好機も自らつぶすなど、 拙攻が続いていたが7回にようやく1死2.3塁から小玉聡(3年生、日大藤沢高校出身)の犠飛で1点をあげた。 1-1の同点としたが8回表に国際大は、石川博久(3年生、新潟明訓高校出身)の 四球と天田雅伸(2年生、佼成学園高校出身)の犠打失策で無死1.2塁。 2番の越智孝宏(2年生、足利工大付属高校出身)がバントで送り、1死2.3塁。 杏林大は3番の石川敦史(2年生、東和大昌平高校出身)に対してカウント0-3となったところで敬遠して満塁策。 4番の鬼沢智宏(4年生、勝田高校出身)と石川の調子を見て、十分に納得できる策、 そして当然でもあるが1点勝負と見たわけだ。この1死満塁の絶好機に迎える打者は鬼沢。 このシーズンのリーグ戦で3割を超える打率こそ残したものの、リーグ戦終盤では打撃の調子も 落ちてきていたし、このシーズンに限らず勝負弱いという印象もあった打者だった。この場面、 結局捕手へのファールフライ。2死満塁となって打席に5番の金子毅を迎えた。

張田の金子に対する初球はボール。2球目は低めへの変化球(スライダー系)が ワンバウンドに近いかんじではずれてボール。3球目は内角への直球の ストライク・・・と筆者は思ったし、張田-大越のバッテリーもそう思った だろうが、球審の判定はボール。カウント0-3。1死2.3塁からの満塁策。 予定通り4番の鬼沢を打ち取っての2死満塁。張田の気持ちにスキができたのか、 もともとそれほどコントロールが悪いわけでもない張田だが、審判の辛い判定にも逢い、 不意に絶体絶命に追い詰められた。味方打線は相手投手・橋本からやっとの思いで 犠飛による1点を取るのが精一杯の状態、8回表での1点は攻撃が2イニング残っているとは言え、 その大きさは計り知れない。高校からの先輩、大越がマスク越しに大声で必死に 励ましの声をかける。覚悟の第4球が投げ込まれた。

第4球、ボール球を投げられない張田が投げたのはまんなか周辺の直球。 これを打者の金子が捕らえた。???。カウント0-3からなんと金子が 打ちにいった。予想外の展開に少なくとも筆者は驚いたが次の瞬間には当然、 打球を目で追う。ライナーとなった打球は遊撃の頭を襲ったがやや失速したか、 ほぼ遊撃手正面のライナーとなった。3者残塁の無得点。杏林大は大ピンチを しのいだ。このあと国際大は9・10回と無得点。落ち着いた張田から走者を 一人出しただけだった。杏林大も8・9回と無得点だったが10回に先頭打者の 大越がライトへサヨナラ本塁打。息詰まる投手戦に決着がつき、国際大の 1部昇格は惜しくもならなかった。


結果論である。筆者は結果論でものを言うことも多いし、ときには「結果論では なく、最初からそう思っていた」とことわりを入れてものを言うこともあるが、 ここでは結果論を言う。もしも、は勝負ごとに禁物だが、金子がカウント0-3 からの4球目を打たなかったなら、この試合を国際大が取っていたように思う。 この試合の勝利、それは1部昇格を意味する。 つまりとらえ方によっては金子が第4球を打たなければ国際大は1部に昇格 していたかもしれないということになる。金子はこのシーズンのリーグ戦中盤から 打撃の調子が上がっていたし、この場面も当然、それ相応の期待はできた。 張田もいい投手ではあるが、けがもあってこのシーズンのリーグ戦も前の シーズンのリーグ戦もほとんど登板していない。やや経験不足の中で、 あの場面で3球続けてストライクを投げられたか、ちょっとわからない (少なくとも1球は投げたが)。

しかし、である。この金子の選択は責められないと筆者は考える。国際大 ベンチの中に、心の中ででもこの選択を責めた人間がいたかどうかはわからない。 しかしいずれにせよ、筆者は責めるつもりはない。見逃せば1部昇格を 果たせたかもしれなかったという考え方は依然捨てないがそれでも金子には あの選択が許されると筆者は考える。むしろ責める方が筋違いかもしれない。

金子という選手はどんな選手か。右投げ右打ちの外野手、このシーズンは5番左翼の レギュラーだった。肩と足が特別ある方でもなく、打撃で2部優勝に貢献した 選手だ。この金子がレギュラーとして試合に出場し始めたのが、自身3年の秋 (平成9年秋)。1学年上、2学年上は選手の人数も多く、また実力のある選手が 多かったので平成9年春まではほとんど試合経験がなかった。ただ、平成10年春 のチームのメンバーの中で、数少ない、平成8年春の「100点打線」の血を引く 選手ではある( 国際大は平成8年春に強力打線を看板に7勝3敗で2部優勝を飾っている。 どこからでも大量得点でき、10試合で99点を叩き出した当時の打線を筆者は勝手に 「100点打線」と名付けていた)。 さて、平成9年秋にはレギュラーをとった金子だが打者としては、 長打も打てるが外角に変化球を投げられるとボール球でも空振りしてしまう、 という粗い印象の強い打者だった。このシーズンは打率も低く(.154)、試合途中で 代打を出されることもままある選手だった。その金子が平成10年春には打撃で 優勝に貢献することになるわけだが、それではこの2シーズンの間のオフに 打撃開花したのかというと、それもそうでもない気がする。平成10年春も、 最初の1カ月くらいは前のシーズンと同じような打撃を繰り返していた。 しかし何があったのか、5月の頭あたりから急に打ち始めた。それまでは 到底打てていなかった外角の変化球もうまいこと右に左に打ち返す。 シーズン終盤の5試合で17打数10安打10打点、 そしてチームは3勝2敗からの5連勝で逆転優勝を飾ったわけである。 このシーズン全体の金子の成績が30打数12安打12打点であることを考えれば、 いかに後半の5試合で打ったかがわかる。 他の "ひとりごと" で筆者は、平成10年春の国際大の優勝には天田の影響が 大きく関わっていると書いているが、このシーズンのチーム内首位打者となった 金子のいきなりの打撃開花と国際大の優勝も無関係ではない。国際大が 入れ替え戦という試合に臨むことができたのは金子の力によるところもあるし、 そして自らの打撃によって優勝に貢献した金子には、先にあげた場面、 8回2死満塁のカウント0-3からヒッティングに出る選択が許される、 そう筆者は考えるのだ。あるいは誰もが1点勝負と考えたこの場面を金子が そうとらえていかなったとも考えられる。1点ではわからない。試合を決めるには 2点がほしい。押し出しによる1点ではなく適時打による2点を取りにいく打撃、 勝負を決める打撃、カウント0-3からの打撃、それが許されてそれをやりきれると すれば、このチームではやはり天田か金子しかいない。 そういう考えの末の選択だったかもしれない。

選択は悪くなかった金子の打撃、惜しくも結果が出なかったあたりは野球の おもしろいところでもある気がする。この結果について考察するには、 後に天田がもらしたひとことが参考になる。「金子さん、なんであそこ あせっちゃったんだろうなあ。あせる場面じゃないんだけど・・・」。 この言葉だけだと天田が金子の選択を責めているようにも聞こえるかも しれないが、筆者はあまりそういうニュアンスは感じなかった。天田も多分、 わりと筆者に近い考えを持っていたと思う。選択は悪くないがその選択を していなければ勝てたかも・・・、そんなかんじかもしれない。ただここで 焦点を当てるのは選択の善し悪しに対する考え方ではない。「あせる」の 言葉である。筆者はしばらく気がつかなかったがあとで天田のこの言葉を 思い出したときにはっとした。金子はあせったのだ。打つか打たないかの 選択をあせったのではない。打つことは決めていたが打ち気にはやりすぎたの かもしれない。自身の打撃の感触、張田が必ずストライクを投げてくる状況、 ましてストライクが入りにくくて1度ワンバウンドのボールになっている スライダーは投げにくい状況。そして予想通りまんなか周辺にきたハーフスピードの 直球。一瞬、芯に当たったかと思われた打球がやや失速して遊撃の頭を超えなかったのは 金子のタイミングが若干ずれたからだった気がする。国際大の8回表の逸機、 もっと言えば1部昇格の逸機、それは金子のタイミングをやや狂わせた わずかな気持ちのあせりが原因だったと考えたい。入学早々1年次の春に 目の当たりにした2部転落の衝撃、なかなか果たせなかった1部復帰への気持ち、 打力で相手をねじ伏せた「100点打線」の血、自分が勝負を決められる数少ない一人 であるという責任感...。金子の気持ちの部分までを推測するとこの1打席はわりと奥が深い。 しかしいずれにしても筆者の結論は、「金子の選択にまちがいはなかった」である。 あの打球が少しでも右か左か上にでもずれていれば金子はチームを1部に引き上げた ヒーローとして少なくとも1〜2年はその打撃が、その選択が語り継がれたであろう。


1年後の平成11年春、国際大はもう1度2部で優勝し、入れ替え戦でも勝って 1部昇格を果たした。入れ替え戦では後輩の試合を観戦に訪れた金子の姿もあった。 平成10年春を最後に現役を引退した金子にとって、実はこの "ひとりごと" で 取り上げてきた打席は、学生野球最後の打席となった。1年遅れはしたが チームは1部昇格。金子が学生野球生活に悔いを残していないことを願いたい。


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