神の再三のいたずらにも負けず自力でつかんだ2部残留
駿河台大学4年生が最後まで見せた2部へのこだわり

(東京新大学野球連盟2部に所属する東京農工大学の山口陽三が東京新大学野球連盟の1ファンとして独自の観点で勝手に語ります)

平成10年秋、東京新大学野球連盟2部の公式戦は、4校による熾烈な最下位争いが 展開された末、4勝6敗の東京理科大学・工学院大学が3・4位に、そして 3勝6敗1分で東京農工大学と駿河台大学が並んだが連盟規定の得失点差が 適用され、なんと得失点差1点の差で(東京農工大学が -10点、駿河台大学が -11点)東京農工大学が5位、駿河台大学が6位という順位になった(星取表は こちら)。 駿河台大学にとっては平成9年秋、平成10年春に次いで3季連続となる最下位。 言ってしまえば「定位置」になりつつあったのだが今季ばかりは駿河台大学は 最下位を回避するに十分な戦いをし、最下位を回避する資格は十分にあるくらいの 戦力は有していたと言っていいだろう。今回のひとりごとではその今季の 駿河台大学の戦いぶりを振り返り、そして不運にも出場せねばならなくなった 3部1位校との入れ替え戦の様子を、特に第3戦に焦点を当てて振り返ってみたい。

平成10年秋、駿河台はある程度苦戦が予想されるだろうと思われてシーズンインし、 その通りのスタートにはなってしまった。開幕戦で日本大学生物資源科学部 の猛打に屈したあと、翌週の東京理科大戦では苦手とする相手エース・白坂公一 (2年生、仙台第一高校出身)から3点を奪いながら守備のミスで与えた余分な 失点が響き、1点差で惜敗。最終回も2死満塁まで攻めこむという、惜しい試合だった。 さらに3試合目の相手の東京国際大は、前のシーズンまで駿河台が一方的に やられていたのだがこの日はエースの駒木康祐(4年生、沼津城北高校出身) の好投で投手戦となり、延長戦へ。ところが延長10回から駒木に代えて継ぎ込んだ 上村圭介(1年生、鳩山高校出身)が2死から2四球等で満塁とし、最後は 押し出し四球でサヨナラ負け。翌日の4戦目は東京農工大と一進一退の 攻防を繰り返しながら中盤以降両チームとも決定打を欠き、延長12回の末 引き分け。そして9月26日の東京理科大戦は駿河台が初回に3点を挙げ、 5回表終了で3-2とリードしていたものの試合開始前から降っていた雨が 強くなり始め、降雨ノーゲーム。未勝利のまま、無敗の日大生物を迎えうった 10月3日の試合は、首位の日大生物相手にエースの駒木が初回に3点、6回に 2点は奪われたものの他の回をきれいに片づけ、打線も5点を取って駒木を援護。 終盤押されながら駒木が日大生物強力打線に捨て身の投球を挑み、追加点を 与えずに延長へ。ところがここでも延長11回から駒木に代えて継ぎ込んだ上村が 3連続四球で無死満塁の危機を作り、結局は4失点。この試合を5-9で落とし、 開幕5戦を終えて未勝利だった。
ただ、6戦目の東京国際大戦で、すでに最多勝確定的だった安定感抜群の 国際大エース・橋本直弥(3年生、坂戸高校出身)を攻略し、駒木の好投もあって ものにすると、翌日の東京農工大戦は、上村が11三振を奪う力投を見せ、 最後は4番の高野哲広(4年生、駿台甲府高校出身)の犠飛でサヨナラ勝利。 遅まきながら連勝を見せた。しかし8戦目の東京理科大戦を5-8で落とすと、 最下位争いを占ううえで非常に重要になると見られていた、工学院大学との 残り2試合、まず1試合目をサヨナラで落としてしまう。東京理科大戦・ 工学院大戦は駒木も登板したが敗戦投手は1年生の堀田若広(1年生、智弁和歌山 高校出身)。この2戦については不運というよりやや理解しにくい選手起用の せいとも言えたかもしれない。ただそれでも11月3日の工学院大との最終戦を 4-2で飾り、3勝6敗1分、得失点差 -11で全日程を終了。この日の時点で 3勝5敗1分、得失点差 -9の東京農工大の最終戦に最下位の行方をゆだねる こととなった。

そして11月7日に行われた東京農工大VS東京国際大の試合、農工大は先発の 中島敬蔵(4年生、飯田高校出身)が初回1死もとれずにKOされ、初回から4点の ビハインドを背負う。5回には2番手で投げていた柏井伸二(2年生、土佐高校出身) が5点を奪われ、国際大が9-1とリードした。この時点でもう駿河台大の最下位脱出は 確定的だった。ところが国際大・橋本が降りた5回から農工大が反撃を見せ、 5・6回に集中打を浴びせてなんと7点を返した。終わってみれば農工大が 8-9で負けたのだが得失点差1点差で駿河台大の最下位が決定する、という 非常に僅差の最終順位だった。まして農工大は3勝2敗1分から4連敗でシーズンを終了。 我々・農工大が最下位になっていたら3部に転落していた可能性は多分にあったと、 筆者は思っている。


我々・農工大のシーズン終了前の連敗中には、普段神などあまり信じない筆者も神に、 「何が目的で我々にこんなことをするのですか?」と問いかけてみたい気分に なったものだが、今となってはそんな自分が恥ずかしい。駿河台ナインこそが 神に問いかけたかったはずである。2季連続最下位に加えて善戦の続いた 今季もまた最下位。この不運の連続にもめげなかった駿河台ナインには、 本当に敬意を表したい。そして3部1位校の東京電機大学との入れ替え戦では 駿河台を応援させていただいたのは言うまでもない。そして入れ替え戦を前にした ホームページでの展望でも「圧倒的に駿河台有利」を唱え、駿河台の勝利を筆者は信じた。

さて、そして始まった入れ替え戦だが、結果は他のページ( こちら)を見ていただくとするが、簡単に振り返る。第1戦は駿河台の駒木と 電機大の落合学(4年生、足立新田高校出身)の両エースの投げあいとなったが、 駿河台1点リードの8回、電機大が代打山川(1年生?)の適時打で追いついたあと さらに満塁と攻めて桜井雄司(4年生、東京電機大付属高校出身)がカウント0-3から 打った打球は、国際大グランドの1番浅いセンターのフェンスを越え、満塁本塁打となった。 桜井はこの日駒木にタイミングが合わず2三振を喫していたが、それゆえに 打つならこの球しかなかったというかんじの高め直球を0-3から打った。 3部のチームながらこういう打撃ができるあたり、電機大も侮れない、と筆者は 感じたのだが、巡り巡って考えればやはり駿河台にまだ不運がある。この国際大の グランドは右中間が極端に狭くてそこは本塁打が出やすい形になっており、 あまり公式戦をやるうえでふさわしいグランドではない。まあ、両チーム同じ 条件でやっているのだが、筆者個人的にはこのグランドで入れ替え戦のような 大事な試合はやってほしくない(もう少し言えば普段のリーグ戦でも使わなくて すむなら、と思っている)。まして連盟は当初、工学院大のグランドを 借りることで準備を進めていたと聞く。結局こうなったのだが、むりにこじつければ 駿河台にとっては不運だ。リーグ戦の不運を入れ替え戦第1戦にも引きずり、 駿河台は第1戦を落とした。

ただ不運とひとことで言えない側面もある。電機大の実力が文句なくある。 エースの落合は一つ一つの球に特別な威力があるように見えないが低めへの縦のカーブと ゆったりとしたフォームが功を奏して、駿河台打線がつまっている。そして 雰囲気も電機大の方はすごくよく、入れ替え戦に慣れているはずの駿河台の方が やや硬かった。そして何より駒木から6点を取った電機大の攻撃も侮れない。 これも突出した選手はいないがつなぎの攻撃ができている。3年の春から 軸として投げ始め、シーズンを重ねるごとに投球内容がよくなって最後のシーズンに チームの順位はともかく最高の投球ができるようになってきていた駒木から 6点を奪ったのだから侮れない。しかし 筆者はこの段階でまず電機大の強さを素直に認めたが、その上でまだ駿河台には 多分に可能性があると信じていた。信じたかった、と言った方がいいかもしれない。 と言うのも入れ替え戦に慣れているのは駿河台の方だし、実力的にも駿河台は 負けていないと思っていた。第2戦を取れれば、駿河台有利の状態で第3戦を 迎えることになると思っていたわけである。

結局第2戦は駿河台が取った。筆者は見に行けなかったのだが8回コールドで 12-5で勝ったということである。スコアのコピーは手元にあるのだが、 電機大はエースで4番の落合を登板させないどころか試合にも出していない。 完全休養で第3戦に備えた、といったところだろう。挑戦者の立場なのだから 一気に決めにいってほしい気もあったが、まあ、この戦法は十分にわかる。 ただ、電機大としてはコールドで負けてしまったというのはあまりいい形では なかったかもしれない。

そして迎えた第3戦、電機大が満を持して落合を先発させてきたのに対して 駿河台の先発はリーグ戦での実績があまりない、1年生の堀田だった。 第1戦で駒木が完投、第2戦は7回まで上村、ということで負担を考えて3投手を短い イニングでつなぐことを駿河台サイドは考えたのかもしれないが、筆者としては 駒木に先発でいってほしかった。そしてもう一つ、1勝1敗で迎えた秋の 入れ替え戦、勝っても負けても4年生にとって最後の試合にもなる。当事者たちは そんなことを考えていられる余裕はないが、筆者は長く見てきた駒木や高野や 佐藤竜也(4年生、前橋商業高校出身)のプレーを目に焼き付けたい、という 思いもあった。
そして第3戦は、序盤から動きのある試合になった。電機大が初回に1死満塁の 危機を迎えるものの堀田が5番の喜多(1年生?)を併殺にとり、無得点。 その裏駿河台は失策で出た佐藤を2塁に置き、4番の高野が右前に幸運な当たり。 浅い安打だったが2塁から佐藤がうまいスライディングで生還を果たし、 駿河台が1点を先制した。高野は2部で最多本塁打も獲ったことのある、 長打の打てる打者なのだが走者を置いた場面でただ振り回すのでなく、 状況に応じた打撃ができるようになってきていた点を、筆者はわりと高く 評価していた。今の2部には自分の個人成績ばかり考えてしまう選手が多いからである。 そして試合に戻るが、2回に電機大は1死2塁としたがここも堀田が切り抜け、 無得点。続く3回に今度は電機大が1死満塁。堀田は平気で真ん中や内角に 直球を投げ込める度胸はある投手だが、他にこれといった特徴がなく、 序盤からヒヤヒヤの投球は続く。この場面、暴投で1点を失ったがその後の 1死2.3塁で喜多・富沢洋介(3年生、専修大松戸高校出身、主将)を打ち取り、 結局堀田は3回を1失点で切り抜けた。その裏、駿河台は先頭の佐藤が セカンド前へのバントヒット。サード前、ファースト前、ピッチャー越え、 と4年間でいろいろなバントヒットを見せてくれた佐藤のプレーも、この日が 最後だ。昨秋・今春には主将も務め、選手としても毎シーズン高打率を残してきた佐藤、 学生生活最後となるこの大事な試合はピンチの度にライトから先発の堀田を 励まし続けた。その佐藤が作ったこの反撃の糸口、続く2番の中岡秀紀(4年生、 智弁和歌山高校出身、同校が甲子園で活躍したときの3年生である)が ストレートの四球で続き、3番の清家大(3年生、豊南高校出身、主将)の中前安打で 無死満塁。4番の高野を迎えた。こういう場面で結果を残してきた高野、 ただこの場面はバットを振ることなくストレートの押し出し四球で1点が入った。 電機大先発の落合は第1戦より直球も来ていないようだし、低めに決まっていた はずのカーブも高い。この日はあまりよくないようだ。5番玉内利宏(3年生、 都立府中東高校出身)の2点適時打、そして第2戦ではダメ押しの3点本塁打も放った 6番南智則(4年生、中条高校出身)の適時打と一気にたたみかけ、 駿河台はこの回4点を挙げた。伝統的な打線のつながり、ここ数シーズンは下位に 低迷していてあまり見られなかったのだが駿河台は本来こういう攻撃ができるチームである。

駿河台は4回から上村を2番手投手として投入。4回に1点を失ったが続く 危機で電機大・瀧下(1年生)の右前打で右翼の佐藤が好返球で2走を本塁で刺し、 追加点を阻む。中岡・清家・佐藤の外野守備は2部最高と言われただけある。 そして上村は5・6回を無難に抑え、7回2死まで来た。しかしここで電機大は 2番の瀧下の安打(文章の中で今後触れる機会がないだろうから今書くが、この 瀧下という選手は地味だが仕事のできる、いい選手だ)、3番の桜井の四球で 2死1.2塁として、チームの大黒柱である4番の落合につないだ。落合はこの場面、 上村のスライダーにしつこくついていって粘り、最後もスライダーを叩き、 しぶとく三遊間を抜いた。2走・瀧下が好走塁で生還を果たし、電機大は 3-5と追い上げた。すかさず捕手の高野がタイムをとる。8回頭からの登板を 匂わせていた駒木は投球練習を終え、ベンチ前で軽いキャッチボールを続けている。 監督のいない駿河台の選手起用は、基本的には主将の清家が行っているものと 筆者は思っていたが中堅の清家からは何のサインも出ない。どうするのだろうかと 思っていたが内野陣がマウンドに集まった中から、高野がベンチ前の駒木を 指さした。上村がゆっくりマウンドを降り、駒木がマウンドに向かった。 勝つための最後の切り札をこの場面で切った。当然の策と言っていいだろう。 シーズン中はどちらかと言えば継投がうまくいっていなかった駿河台だが、 高野が決断したこの継投、ぜひとも成功してほしい。
7回2点差2死1.2塁、駒木はわりと思い切って振ってくる喜多に対して、 立ち上がりということもあってややコントロールに苦しみカウントを2-3 としたが最後は高めのボールの直球で三振を奪った。どちらかと言えばかわす タイプの駒木もこの入れ替え戦ではかなり攻めの投球を見せて打者を抑えている。 7回裏に駿河台が2点を追加し、8回の電機大の攻撃は3者凡退。7-3で 9回を迎えた。駿河台の勝利は堅い。筆者個人的には、駒木のラストピッチングを 目に焼き付けることに興味がいっていた(普通、「焼き付ける」は意図的にやる ものでなく自然になるものだろうが)。1死1塁からくせものの瀧下を三振に とり、3番の桜井を打席に迎えた。最後になるかもしれない打者が、第1戦で 満塁本塁打を喫した桜井とは、微妙な因縁だ。借りを返すには絶好の場面。 しかしカウント2-3から桜井に一二塁間へ安打を打たれてしまう。2死1.2塁と なって4番の落合を迎えた。2点差ならおもしろいところだが7回に駿河台が 挙げた2点が効き、駒木にとってはまだ落ち着ける場面だ。カウント1-1から 落合は高めの球をレフトへ。わりと距離は出たがレフトの中岡が追いつきそうだ。 レフトフライで試合終了。駿河台ナインにいっせいに安堵感が見られ、 高野と駒木が軽く手を合わせた。いい戦いをしながら不運続きの駿河台の今季、 あと1敗で3部転落というところまでいったもののそこから自力で不運をはねのけ、 実力を見せつけての2部残留。高野・駒木ら4年生にとっての最後の試合、 筆者も大学野球生活の中で見る、最後の試合となったがともに最下位を争った 末に僅差で最下位にまわった駿河台が3部転落ということにならなくて筆者も かなりほっとした。


何度も書いているが、駿河台は平成9年秋から3季連続の2部最下位。それでも いずれも3部1位校を入れ替え戦で退けて3部転落を免れているわけだが、 その秘訣をここでは探ってみたい。ただ、秘訣も何もまず大前提として駿河台と3部校との 間にそれ相応の実力差があることは挙げられる。ここ3季、3部では東京都立大、 東京都立大、東京電機大と、いずれもわりと圧倒的な戦績で(9勝を挙げている) 優勝を飾っているのだがそれでも勝てないのだから駿河台が強いのだ。ただ、 入れ替え戦というのは独特なもので、雰囲気や流れで負けなくていいチームが 負けることもある(普段のリーグ戦もある意味でそうだろうが)。そういった 「不遇の敗戦」も駿河台にはないのだが、その背景に筆者は駿河台の先輩たちが これまでにやってきた方針のようなものが思わぬ形で生きていると見る。

駿河台はさいきんはそうでもないのだが数年前は部員も多かった。そして、 毎年4年生は秋までチームに残るのだが秋のシーズンの優勝の可能性がなくなると 上級生を引っ込めて積極的に下級生に試合を経験させることをしていた(2〜3 年前までは最下位の方の心配はいらなかった)。平成6年秋がそうだったし 平成7年秋に至ってはシーズン前から4年生を1人除いて半引退扱いにし (チームには帯同していたようだ)、1シーズンまるごと若手のために投資する ような戦い方を見せた。その恩恵を受けた学年が今の4年生ともう一つ上の 学年である。筆者個人の意見を言えばこういうやり方はあまり好きではないのだが (筆者の所属する東京農工大が、最下位を心配しなければならないシーズンが 多くてそういう戦い方を考えることがほとんどなかったこともある)、この投資が 平成8年春には2部で最終戦まで優勝争いをする、という形で一応の結果は出た (ちなみにこのシーズン、駿河台は7勝3敗で東京国際大と並んだが、これも やはり得失点差という連盟規定で優勝を逃している)。

ところがこのシーズンが駿河台の頂点で、以後4位・5位・6位・6位・6位と 2部の中で低迷している。投資を受けたはずの学年が最高学年になったころに 低迷が始まったあたりはなんとも皮肉なものである。駿河台の先輩たちは、 おそらく将来2部で優勝を争い、1部を目指すチームとなることを期待して いたことだと思うのだが、結果論で言えば平成10年の段階でそれは失敗に 終わっているといっていいだろう。ところがこれが、2部優勝を勝ち取るまでに 至らなかったものの2部残留を勝ち取る大きな要因になったと考えることができるのである。 現在駿河台には佐藤・高野・駒木・中岡・南の5人の4年生がいるのだが、 佐藤は1年の春から試合に出ているし、また、平成7年秋から平成9年春まで 投手陣の軸として駿河台を支えた細貝章(4年生、駿台甲府高校出身、3年の 途中で退部したらしい)もこの学年である。高野も1年の秋から代打等で経験を積み、 2年春から捕手のレギュラーだった。現在エースに成長した駒木あたりはやや遅咲き ではあるがともかく今いる5人の4年生は比較的早い時期から試合経験を積んでいる 選手たちで、ましてこの5人が今季の駿河台を支えていることは言うまでもない。

試合に出ることで単に実技的な経験を積むことも意味があるのだが、周囲の 環境を肌で感じることも非常に大きな財産になるはずである。少なくとも 駿河台の選手たちにはなったはずである。2部のチームはどういう野球をするか、 どこのチームにどういう特徴があるか、何をすれば勝てて何が足りないと 勝てないか、といったことを、誰に教わるでもなく自然と身につけていくことが できる状況に、駿河台の4年生はあった。残念ながらなかなかチーム全体が 噛み合わず、2部の中で十分な戦績を残すことはできなかったし、まして 先輩たちが期待したであろう「2部優勝→1部昇格」も果たしにくい状況には なりつつあるが、長く2部で試合をしたことでいい意味でも悪い意味でも 2部に染まることができたのが今の駿河台ではなかろうか。2部残留は 最低限守らねばならない絶対のラインであること、2部で戦い続けていれば いずれまた浮上の機会が訪れること、そういったことを先輩たちから無言では あろうが教わった駿河台ナインは、"2部に対する強い執着" "2部へのこだわり" は 多分に持っていたはずである。やはり2部で4年間戦った筆者もそれを 持っている。「自分たちは2部のチームである」という、自然に身についた自覚。 それが2部残留の原動力であり、3部のチームをある意味で見下ろせる、 1敗を喫しても持ちこたえられる強さになっているのだろう。今回の駿河台の 戦いは、ぜひ我々農工大のナインにも知ってもらいたいし、また、後輩たちには もう3部転落の心配などしなくていい強いチームになってもらいたいと、 あらためて感じた。

高野や駒木や佐藤が見せた「2部へのこだわり」。これを今下級生の 小玉・上村・堀田・井上あたりが(学年・出身校略)継承していけるかどうか、 ささやかながら駿河台の今後は気にかけていきたい。もちろん農工大の 動向を第一に気にかけたうえでであるが...。


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環境が変えるチームカラー
「染まる」ことと4シーズン理論の話


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