陽三の「今週のひとりごと」集 |
平成22年12月27日 --激動--
覚悟していたというか自分でそうしようと思った部分もあるが、
激動の予感だった今月、本当に激動で終わったかんじだ。
今月のみならず今年がいろいろあった気がする。
年の瀬に「忘年会」の言葉を聞くたびに「年を忘れるとはいい言葉」と思った。
平成8年(1996年)・平成15年(2003年)に続き、平成22年(2010年)も
忘れてしまいたいような、きつい年、になってしまったのかな。
今年はいいこともあった気がしていたのだが...。
P.S 7年周期だったのか。
平成22年12月14日 --政治家--
自分も他人のことを言えた限りでもないが、口は災いの元。
政治家はしゃべらなきゃいいのにな、とさえ思ってしまう。
しゃべるのも仕事の一部だからそうもいかないのだろうが。
これだけ政治家のレベルが低いとがっかりしてしまうが、それでも、 「一部には良心的な政治家もいるんじゃないか」「悪い政治家だって心の一部には 国をよくしようという心意気は残っているんじゃないか」「批判されている 政治家だって議員になりたてのときはすばらしい初心を持っていたんじゃないか」 と、わずかな望みを持ちたい。ただ、それすら持てないかもしれないと思う 今日このごろだ。
TRくんとの雑談は印象深かった。彼は筆者より若いけれどたぶん、筆者より苦労が多い。 そうそう、TRくん、転職おめでとう。 筆者程度の苦労といっしょにしてはいけないかもしれないけれど、
「人生ってなんで大変なのかな? 神様みたいな人がいたとして、俺だけ楽に してくださいって言ったらバチが当たるからさ。全員、10%ずつくらい楽に してもらえないかな?」 |
これって自分で言っていてヒットと思った。賛同してくれる人、多いのでは?
平成22年11月22日 --プロ野球について思うこと(3)--
連載の最後。
プロ野球のドラフト会議は早稲田大から3人がドラフト1位指名されるなど 豊富な話題を振りまいて終わった。
最も知名度のある斎藤佑は、4球団が1位指名した。評価が高すぎるという声も聞くが 人気も合わせて獲得したい球団もあるとすれば4球団競合くらいはありえるか。 よくわからなかったのは大石の1位指名に6球団も集まったことだ。
この選手を筆者は、名前は大学1年生の時から知ってはいたがプレーを生では 見ていない。だから実力そのものに疑問を投げかけるものではないのだが、 獲得を意図したプロ球団がどうしたかったのかの疑問はある。身体能力抜群で 野手としての大学リーグ戦出場経験もあり、投手としても、投げる速球は 150km/hを記録するという。伸びしろにも期待できそうな話でもある。 ただ、早稲田大でのポジションは主にリリーフ投手だ。大学での先発・完投 などをあまり経験していない投手に対して、プロ球団は「リリーフ投手の専門職」 として獲得したいのか、将来性も見据えてエースとして育てていくつもりで 獲得したいのか、あるいは野手としての採用か? ドラフト1位抽選3連敗に終わった オリックス・岡田監督のコメントに「今年の大石の1位指名は球界の流れだった」 といったものがあったが、そのままとらえると、何かよくわからないけれど とりあえず指名はしておかないと、という気持ちも垣間見える。
リリーフ投手というのは非常に大事なポジションではあるが、技術・体力のみ ならず精神力も必要とされるので、アマチュアでの経験があったとしても プロで新人がいきなり務める例はあまり聞かない。そこまでしないといけない 人材不足の球団があるかもしれないが、6球団が6球団ともそういう状況とも 考えづらい。交渉権を獲得した西武は「先発投手として」と言っているようだが、 逆にそれはスタミナなど未知数の部分があり、即戦力というよりは将来性を 見据えてということになるだろう。それはそれで即戦力として未知数な選手に 6球団が集まったのもまた、不思議ではある。
結局答えは来年からの選手本人のプレーで見せてくれる、ことになるのだろうか。
平成22年11月15日 --プロ野球について思うこと(2)--
横浜ベイスターズの身売り騒動が一応、一件落着した。
身売り先候補の住生活グループが本拠地を移転させたい意向を持っていたことが
TBS側と折り合わず、売却交渉は破たんしたという。のちに報道された、
住生活グループが候補としていた新規本拠地に京都・草薙・新潟等があげられた。
住生活グループの本拠地・発祥地がどこなのか知らないが、
横浜市内にいる身からすると、なぜ横浜ではダメなのかと疑問には思う。
ただ、横浜という地になんの愛着もないと見え、球団経営に興味もないと
見えていたTBSが、瀬戸際で「横浜からのプロ野球球団撤退」を食い止めたことには、
初めて「TBS、よくやった」と思えた。
一方で、一連の騒動の途中からも言われており、また感じてもいたことだが、 横浜市民の関心も薄すぎる。もしも阪神タイガースがどこかに移転するとか いう話になったら関西は大騒ぎになっていただろう。 横浜市民が地元にプロ野球球団があることを誇りに感じていない、 当たり前に思っている、横浜というブランドに甘えている、 そういった言葉が新聞紙上で言われた。これについてはその通りとも思う。 大洋ホエールズ時代からの横浜ベイスターズファンを自称する筆者も、 痛い指摘をされた思いだ。確かに今年も横浜スタジアムに足を運んでプロ野球観戦もしたし、 今回の騒動で横浜市長宛の署名にも協力はした。ただし、ブランドに甘えている という指摘はその通りと思うし、まだまだベイスターズへの熱さは足りない。
3年連続最下位中という結果も受けて「強ければ応援に行くのに」「弱いから行かない」 の声も聞くが、これは少し違うようにも思う。いや、確かに野球の試合の質としては お金を取って見せるだけのレベルに足りず、1球団だけプロフェッショナルではない チームが混ぜてもらっている感は否めない。ただし個々人のプレー、村田の ホームランなり内川の打撃技術なり、三浦がいい時のコーナーぎりぎりに決まる球なり、 山口の速球なり、石川のスピードなり、多少玄人寄りに下園のスイングと選球眼なり... 目を引ける要素はある。プロ野球はもっとすばらしいはずだしそれは行政やブランドが 全部やってくれるものでもない。 来年はまず、ささやかな動きではあるが、横浜スタジアムに足を運ぶ回数を 増やしたいと思う。
平成22年11月8日 --プロ野球について思うこと(1)--
連載でもなく何回になるかもわからないが、何回かに分けてプロ野球について思うことを書く。
日本シリーズはすばらしい激闘だった。リーグ3位のチームが日本一になってしまうのがいいかどうかの 話は前からあったが、今年はセ・リーグの巨人にしても、パ・リーグのロッテにしても 1位チームと僅差であった。そう考えれば、僅差の場合の3位ならいいんじゃないかと、なんとなく思う。 クライマックスシリーズで、シーズンのゲーム差に応じたハンデをつければいいという考えは、 前にこの場で提案したときから変わらない。
中日はとてもしっかりした強いチームと思うが、結果的にそれでもパ・リーグ3位のロッテに及ばなかった。 交流戦のころから言われた「パ・リーグの方が強い」という見方は、当たっていそうだと 確認する材料にもなる。ロッテとの日本シリーズは互角の死闘だったとも見えるが、 中日は7試合で2勝しかできなかったし、自分のチームの野球を展開できたのも1〜2試合と 言っていいのではないだろうか。大勝した第2戦は中日らしい野球とも違う。 延長戦を辛勝した第4戦、15回に及ぶ延長戦を耐え続けて引き分けた第6戦などは、 救援投手力の強さを見せたと言えば見せたが、中日の理想とする先行逃げ切りの野球はできていない。 ナゴヤドームでの第6・7戦でも1勝もできなかった。 互角に見えて、野球は「やらされていた」わけで、自分たちの野球をしたわけではない、 と言ったら言いすぎか。
あれだけの戦いを見ると、弱い横浜ベイスターズが仮にあの場に立ったら(立たないので心配はないが)、 どうにもならないだろうし、ああいう切磋琢磨した激闘は見せてもらえないだろうと強く感じる。 優勝チームと最下位チームの差を、感じさせられる。 同じプロ野球チームなんだから、7試合戦えば2勝くらいするかもしれないが、 あれだけの雰囲気の中で、投手陣は四球連発から長打で大量失点、プレッシャーのかかった村田の相次ぐ凡退から 意気消沈したチームは淡白な攻撃を繰り返す...などのことになっていただろう。 あそこのレベルまで持っていくのは大変だ。ただ、プロ野球はまだ、すばらしい。
平成22年10月25日 --誰のせい?--
なんだか社会の流れなのか、他人(ひと)のせいにすることが多いと感じる。
自分もやってしまっているのかもしれないが。
少し前だが高齢者の不在問題が世間をにぎわせ、最高齢はウナギ登り、 200歳の人まで記録のうえでは生存している(死亡にはなっていない)といった ことがあった。一連の騒動の中でわりと聞いた声が「役所は確認していないのか、 何をやっているのか」といったことだ。ただ、この件は根本的には家族関係が 希薄になったことが問題であって役所のせいではなかろう。役所だって、 どこの誰がいつ亡くなったのか、本当に今日時点で生きているのか、など 能動的には全員分は把握できないだろう。年老いた家族がどこで生きているかわかりません、 という家庭がわりとあることがわかり、自分の親の生死にさえ 関心がないことを嘆くのが先と思うが「役所は何をしていたのか」 と役所のせいにするのはひどい。
NHKではミドルエイジクライシスと題して30代半ばくらいで仕事・結婚等が うまくいかず、人生が行き詰まっている人の例が紹介される。 話は少子化にもつなげられる。 定職に就くことができていて独身である筆者からは、両方の意味で この件にコメントはしづらいものの、経済対策・雇用体制・少子化対策等を 取り上げて政治のせいにするのは少し違う。政治に責任はあるかもしれないが、 基本は個人の責任ではないだろうか。ましてや番組で紹介されている30代が 「選ばなければ仕事はある、のはわかっている。でも実家への仕送りもあるので 月収40万円はほしい。」とか言っていては説得力がない。 職を選んでいるではないか。
ある県では縁結びプロジェクトに5700万円の予算を計上。 行政として男女の出会い・結婚をサポートすることになったと言う。 「県は、これまでも少子化対策として男女の出会いイベントなどを 企画してきたが、「知り合いは増えたが結婚にはつながらない」 などの意見が寄せられており、」(引用) との記事があったが、 そこから先こそは個人でがんばるところではないのか? 行政にやってもらうというのは違うと思う。勝手にやってくれるのはありがたい 気もするが、やってくれと意見するのは違う。
筆者は基本的には、ある組織(野球チームでも企業でも)において好ましくない結果が 出た場合に、直接はプレーヤーのプレーによる失敗であっても、責任としては リーダーが取るべきであるという考えでいる。一方で野球界には筆者と異なり 「選手がプレーしたんだから選手の責任」と考える人々も、無視できない数 いることも認識している。ただ、「基本はリーダーの責任」と考える筆者でさえ 高齢者不在問題、ミドルエイジクライシス、縁結びプロジェクトの件などは、 各プレーヤー側の責任であろうと思わせる。
ちょっと、あまりに「個人力」が弱まった現代だ。
平成22年10月4日 --おかしな人事--
これはおかしいなぁ。
横浜の田代2軍監督が退団になったことは少し前に報じられたが、
一方で他のコーチ陣は軒並み残留で外部招へいはほぼないとのことだ。
低迷の責任を指導者がとる必要はあるとは思うが、その責任の取り方は やめることだけではないだろうから、残留は残留でもいい。 監督やコーチが毎年のように入れ替わってもあまりいいことはないだろうとも 想像できる。改革を掲げた1年目ゆえに、1年で結果が出なかっただけでは 人事を動かさないという姿勢も、まあ評価できなくはない。 そうなるとなおのこと田代監督だけがやめなければいけないのがわからない。
球団は当初田代監督にフロント入りを打診して断られたという。 一方で空いた2軍監督のポストに編成部長の岡本(哲司?)氏の名前が挙がっている ことから、球団は単純な両者の入れ替えを考えたのだろう。ただ、それからして わからない。2軍は今年優勝争いをしたというし、田代監督の打者を育てる 手腕への評価は依然高い。1軍がこれだけ低迷して何かを変えなければいけないと 感じたとしてもその唯一のポイントが、2軍監督だったというのはいかにもおかしい。
一連の報道で田代監督が打撃コーチとして育てた打者として金城・多村・村田・内川 らが少なくとも挙がる。チームの、点を取る下手さは相変わらずとしても 名前の挙がった各打者は一流と言っていい打者だ。村田・内川はフリーエージェントの 権利を獲得しており、こうなった以上、球団への不信感から今季を最後にチームを出ていく 可能性が高い。そこまでを球団は見えていたのか?
フロントの人事も大きく変わっているのでこれまでの流れがあまり引き継がれていない という懸念もある。ただ、新社長に就任した人は横浜という土地に強い愛情と こだわりを持っていた人のはずで、それを考えても、田代監督の退団に通じる 人事が行われたことは理解に苦しむ(逆に昨年までのフロントならこんなドタバタが 起こってもあまり不思議に思わなかったが)。
などという文章を用意はしていたが、球団自体が身売りという。 一人の人事どころじゃない、はかりしれず大きな騒動になってきたな。
平成22年9月28日 --反省--
プロ野球はセ・パ両リーグとも空前の混戦となった。
1位争いもさることながらクライマックスシリーズ出場のための3位争いも
目を引き、12球団のうち9球団はどちらかの可能性を賭けたギリギリの戦いを
シーズン最終盤まで繰り広げている。現場は極限の緊張感ながらも充実も感じながら、
そしてファンも1日1試合に一喜一憂してやきもきしていることだろう。
プロスポーツのあるべき姿を考えたときに好ましい。
そう考えるとここに参加できていない3球団、広島・横浜・楽天は球団として 大いに反省すべきである。上位がこれだけ混戦、優勝チームでも勝率54〜56%である ことを考えれば、下位ももう少しがんばればここに参加できてよりおもしろい ペナントレースにできたのではないかとも思う。まあ、楽天はまだ比較的 終盤まで3位を狙える位置を保っていたと思うのでまだしも、広島・横浜の 低調ぶりはひどい。ましてや今年だけの話でもなく、両チームはクライマックス シリーズの制度ができて以降、1度もクライマックスシリーズに出場できていない。 横浜など、90年代に弱い弱いと思っていた阪神よりも、平気で勝率で下回る。 前にも指摘したことがあるが、やはりリーグの介入が必要ではないか。 罰金もありえるが「金を払えば弱くてもOK」と曲解されても困るので、 もう少し精神的にこたえる罰則や指導がいい。
平成22年9月21日 --変わらない体質--
ヤクルトが小川監督代行を来年監督とすることを発表した。
これだけの戦績を残せば当然と言える。早稲田大・斉藤投手の獲得と
早実出身の荒木新監督とで売り出そうとの来年の集客面での青写真は
あったと思われるが、集客だけでなくチームが勝つことをより優先的に
考えた点は高く評価できる。
監督代行ということではオリックスのコリンズ監督辞任のあとを受けた 大石監督代行も非常にがんばった。大石代行の場合は指揮を受けた時点でも チームがそんなに壊滅的な成績ではなかったと思うが小川代行の場合は 勝率2割台と壊滅的だった。ダントツで負け続ける今年の横浜ベイスターズも、 まだ.333くらいの勝率はあるので2割台の勝率というのは異常だ。 それを5割台まで持ってきたのも異常と言っていい躍進だ。
それではふるわないシーズンは途中で監督を代えればいいのかとも思うが、 あてはまらないのは横浜だ。昨年、途中で田代監督代行に代わったが 状況は上向かなかった。ヘッドコーチからの就任か2軍監督からの就任か、 現有戦力の違い、など小川・大石両代行と田代代行とは状況も環境も同じではない。 ただし横浜だけうまくいかない。
横浜だけうまくいかないのは投手陣の整備もそうだ。ソフトバンクで投手王国を 作った杉本投手コーチを招いても、ヤクルト・巨人等で強力投手陣を作り上げた 尾花コーチを監督として招いても、横浜の投手がよくならない。 指導者だけでなく、ダメな選手が退団に追い込まれるなど人も入れ替わっている にもかかわらず「投手陣が悪い」ことだけは毎年同じだ。
おそらくチーム内の奥深くに蔓延する、こびりついた体質みたいなものがあって、 何かをよくしようとしても変わらないのだろう。社長やフロントなどの人事を一新した。 監督・コーチも入れ替えた。選手も、全員とは言わないまでも例年にないほどの 大補強で顔ぶれはだいぶ変わった(盛りを過ぎた年代が集まってきたという懸念はあったにせよ)。 神奈川新聞で読む限りでは2軍改革とか体調管理などの点にも手をつけているという。 しかし1番変わらないといけない戦績が変わらない。 横浜の再生は至難だ。
平成22年9月13日 --民主党--
民主党の国会議員に、高校の後輩(1学年下)がいる。と言っても高校時代知っていた
わけでもなく、選挙に出馬する少し前に、高校の同窓会で会って名刺交換した程度だ。
選挙区も違うので彼に投票したわけでもないし民主党を支持しているわけでもない。
ただ、今回の民主党代表選挙に彼がどういう行動をとるのかは気にしていた。
そもそもこのタイミングで与党の代表選挙を開催しなければいけない ことに大きな違和感がある。もともと期日が決まっていたからということらしいが 菅首相になったばかりということで、今回は中止とか延期とか臨機応変に できないものなのか。そんなことをやっている場合なのかとの疑問も湧く。 重ねて鳩山首相が降りたときに「あなたにも降りていただきたい」 と言われたはずの小沢一郎が立候補することにもっと大きな違和感を感じる。 筆者が一般国民と同じ目線を持っているかどうかは自信がないのだが、 似た理由で違和感を感じる国民は多いのではないかと勝手に想像する。 菅首相に期待してよいかわからないながらコロコロ首相を代えることが適切ではなく、 なおのこと代わる相手が小沢一郎ではもっと適切ではない、と感じる人が 多いと思うのだが違うだろうか。
後輩議員の彼とは政治のことを深く話したりはしていないが、 個人的には一般国民と同じ(あるいは近い)目線でいる議員が身近にいてほしいとは 思っている。彼のホームページによると、菅首相に投票するらしい。 選挙の開催自体に疑問を投げかけてくれたらなおよかったが、それは簡単ではないのだろう。 なにはともあれ、最低限の安心は得られた。
希望は光 絶望は糧 想い出は盾 未来は自由 |
笑顔はあかし 涙はしるし 痛みはヒント チャンスは無限 |
この世でひとつ 大事なものは 掴み取るまで 負けない心 |
パワフルな歌詞・旋律で、こちらが勇気づけられる、AAAの「負けない心」。 いい曲だなあ、と思って何回も聞いているが、小室哲哉の作曲だったのね。 う〜む、さすがと言えばさすがか。
平成22年8月18日 --見えない目的--
筆者も男女問わず少人数で語りながら飲んだりするのは好きだし、
議題を明確にせず会議を招集することもあるので、あまり他人のことも言えないのだが。
野球関係の知人から「夕食でもいかがですか」の誘い。普通ならば十分に前向きに 考えられるのだが、知人はさいきん保険会社に就職した。 似たケースが前にも別の知人であったのだが、話が始まるとどこかで保険勧誘の 話が出てしまう。筆者はマルチ商法に巻き込まれそうになったこともあるためか、 人脈を利用して顧客関係を構築していくビジネスに、もともと前向きになれない。 であるならば断るか、なんの話か明確にしてもらってから会えばいいではないかと 思われるかもしれないが、野球の話ならばむしろこちらは乗り気だし、また、 あまり議題を明確にしない誘う側の気持ちもわかる。お互いの人間関係を 考えたときにただ「会わない」という結論も出しづらいし失礼だ。 一方で夕食を食べながら野球の話であるならば、保険会社に就職する前にだって できたわけだから、ビジネスの話が出るであろう予測はしておかしくない。 対応に迷うところではあるが、保険というビジネスに前向きではないことを伝えて会うことにした。 結果はまあ、杞憂に終わったと言えるのでよかった。
振り返れば誘っても会ってくれない女性や、事実かどうかよくわからない理由で 会う約束を先延ばしにした女性も自分の周りにはいたわけだが、会うことに前向きに なれない気持ちもわかってきた気がする(理由が同じではないとしても)。 何事も反対の立場に立ってみることは重要だ。
平成22年8月9日 --見えない選択--
こういう人間関係もあるかもしれない。男女の間に友情が成り立つかどうか
という議論に少し似ている。
フリーの男女はお互いを認め合ってはいる。いいところも悪いところもそれぞれあるが、 それをそれぞれ理解もし指摘もできている。片方は片方にだいぶ好意があるし それも相手に伝わっている。もう片方は好意がないと公言はしているが根本の部分では 悪く思っていないようにも見える。外から二人を見れば「いっしょになっちゃえばいいじゃん」 と見える距離感でもある。 当人たちも望むかは別として「選択肢としてあるかもしれない」と感じながらも、 たぶん実現がしない。いまさら素直になれないことや若くもないことが理由にあがるだろうか。 正面突破が適切ではないことが証明されていることも痛い。
囚人のジレンマは学生時代に習ったが、このタイプの相談を持ちかけられても 実現までのプロセスが思いつかない。少なくとも筆者には経験のない人間関係だ。 両者にとっての最適解がありそうにも関わらず個々人はその解を選びそうにない。 こんなことが起こりえるものか。本当に人間社会は難しい。
平成22年7月26日 --忘れ物--
北を漂う一人旅に出ている。安比高原を過ぎた。インターネット環境の都合により、
これが更新されるのは少し先か。
年齢のせいなのか、細かな忘れ物が多いさいきんだ。今回の旅は、移動の時間も多いから、 ふだんなかなか読み進まない情報処理学会誌(毎月発行)を何冊か持ってきて読もうかと 思っていたらそれをまとめて忘れた。それでは意味がないではないか。いや、まあ、やることは たまっていると言えばたまっており、パソコンを持ってきているので、道中完全にヒマ というわけではないのだが。旅に出てから、歩き回るのにらくだからと短パンを着用するはずが 忘れたのに気づき、折りたたみ傘も忘れたのに気づいた。今回は東京での祖母四十九日から始まり、 岩手・一関での野球の試合が続き、その敗退直後から自分の時間としての旅が始まったものだった。 喪服で家を出て野球のユニホームを持参して一人旅の準備もしていくということで、 いろいろ盛り込んだから準備が後手後手になったという、自分への言い訳がないこともない。 ただ、なにかと晴れない今日このごろだ。
平成22年7月19日 --兵糧攻め--
連載小説「三人の二代目」では兵糧攻めのシーンもいくつか紹介される。
なかなかに壮絶だ。「人は生きるために食べる」「食べないと生きていけない」
のは確かだが(誰かが食の番組だかで「人は食べるために生きる」と言っていたことがあって
なるほどと思わされたことはあるが)、食べさせないことで殺していくというのは、
直接傷つけて殺すことよりもある意味で残酷だ。豊臣秀吉が得意としたというが、
なるほど天下を取るくらいの人はそういうことをやりきれる人なのだろう。
読んでいくうちに、食べるものがないという直接的な効果に加え、士気を低下させる、 精神力をそぐといった効果も大きいだろうということに気づく。 食べるものが減っていく恐怖、いずれなくなるかもしれない恐怖、目前の敵だけでなく そういうものと戦わなければいけないのは、非常に負担が大きかろう。 兵糧攻めは相手の命を奪うというよりも精神力を揺さぶる精神戦だ。
「生きるために食べる」ことを遮断されるという直接的な精神戦とは比べ物にならないが、 現代のメール社会においてのメールの遮断も、小さな精神戦だと思うのは 大げさすぎるか? 信頼している人間関係を少しずつ崩していく、思いをそいでいくのに なかなかに有効ではある。電子メールを発明した人もユースケースとして、 どういうふうに使われるかは考えていたのだろうが、使わないことによる効用までは 考えていなかっただろう。なかなかに難しい世の中だ。
平成22年6月28日 --世論--
日本人の国民性というか資質みたいなものを、なんとも不思議に思う。
鳩山首相にしてもサッカーの岡田監督にしても、日本のリーダーの立場にいる 人が頼りないな、と思っていたが、岡田監督の方は結果を出した。 直前までの方針のぶれ方に加え、進退伺を出して翌日には「冗談のつもりだった」と 言い訳するなど、精神が大丈夫かとさえ心配させたが、結果がすべてのスポーツの 世界で結果を出した。
余談だが、デンマーク戦で日本が優勢になるたびに夕刊ゲンダイの編集部 ではため息をついていたのかと想像すると複雑な気分だ。 まあ、負ければ「そらみろ、勝てるわけがない」、勝てば 「相手に恵まれて勝っただけ」など両方の記事を準備していただろうが。 |
それにしてもサッカー日本代表や岡田監督を称賛する声にしても、 数週間前までは「勝てるわけがない」「岡田監督やめろ」の声が主流だったのではないか。 政治についてもそうだが、鳩山首相から菅首相に代わったからと言って政権与党が 代わったわけではないのに、あれだけ騒いでいた沖縄米軍問題が話題にもならなくなった。 支持率が10%台から60%台に急騰し、消費税増税を言い出したら 50%台に少し落ちたと言う。与党が代わったわけではないのに焦点が外交から経済に 変わる(すりかわる)のも不思議だが、支持率の急変も不思議。 政党の支持というより、個人の人気投票みたいだ。 結局内部の細かいことまでよくわからずに大勢や雰囲気に流されやすい国民性、 そして政治家もそれを見抜いているから国民をバカにした態度・考え方で いるのだろう。
かく言う自分も10週間ほど前は「今年の横浜に注目」などと書いていた。 見る目がなかった日本人の一人らしい。
平成22年6月14日 --週休1日--
大先輩から筆者のホームページがとてもおもしろいと言われてうれしく思っている。
「野球小僧がそのまま大人」とも言われ、それはそれで自分としては
褒め言葉と思っているので、これもまたうれしかった。
先日、土曜日に母校(高校)に足を運んだ。道すがら、近隣の小学校がやけに にぎやかだと思ったら、小学校は小学校で運動会をやっていた。 母校に着いてみれば後輩の野球部のみならず、いくつかの部活動が練習中だ。 夏の到来を思わせる暑さの中、なかなか大変だ。
そんな中ふと思ったが、筆者が高校生の時は土曜日も午前中だけ授業があった。 今はおそらくほとんどの高校で、少なくとも母校では土曜日の授業がない。 それでも部活動はあって登校はしてきているので、まあそれはそれで大変か。 大学に入ったころから大学の土曜日休みが始まり、何年かして高校にも 土曜日休みが浸透していったはずだ。小中学校がいつからそうなったかは よく認識していない。
「上から」土曜日休みが浸透していったと考えると、サラリーマンが土曜日午前中だけ 出勤していた時代はもう少し前か。思えば父もそんな時代があった気がするが、 小学校のころに土曜日のプロ野球のデーゲーム観戦に連れて行ってくれた ことがあったので、もしかしてそのころには企業も週休2日で土曜日が休みに なっていたかもしれない。
半日とはいえ土曜日にも出勤するということは、今考えるとえらく大変なことと想像する。 自分も土曜日に学校には行っていたが、それは友達と会えて楽しかった。 ただし「勤務」となると楽しいことばかりでもなかろう(あるいはまったく楽しくなかろう)。 週に1日だけの休みである日曜日がどれだけ貴重なものか、想像を絶する。 いや、土曜日の午後だって休みではないかと言われるかもしれないが、会社への 往復の時間もとられるし、午後だけ休んでどれだけのことができるか。 飲んで帰るには早いし、帰って昼寝でもして体を休めるのか。 今自分が取り組むクラブチームの野球も、メンバーの中には土曜日に出勤する者もいるし 筆者自身も休日出勤の経験がないわけではないが、土日問わず活動が入ることが多い。 ひと昔前であれば活動の形態も異なっていたことだろう。活動を日曜日だけに したとしても、週に1日しかない仕事が休みの日を、野球に費やす選択を皆がするかどうかも 微妙である。野球に限らず趣味というものの位置づけがおそらく今と大きく 異なっていただろう。
「土曜日出勤」が当たり前に通用していた時代が、今から考えると恐ろしい。 とにかく仕事の量を増やすことで経済を上向かせ、国を豊かにしていったのだろう。 今は人件費を削減することで一人当たりの仕事の量が増えて、国は豊かにならない。 ほんの20年とか30年とか前のことだろうが、いろいろな意味で時代は大きく変わっている。 土曜日の母校の部活動および土曜日の運動会に足を運ぶお父さんを見かけて、 そんなことまで思いめぐらせた土曜日の午後だった。
平成22年6月8日 --情報化社会--
先日は情報化社会を嘆きもしたが、いやはや便利な世の中というか時代も移り変わってきた。
とある平日。平日にもかかわらず筆者の所属するクラブチームの都市対抗予選、 筆者が卒業し現在もホームページ管理という形で携わっている大学野球連盟の入れ替え戦、 いずれもが行われていた。できれば両方、せめてどちらか片方には行きたい自分だし 今まではたいがいそうしていたが、このたびは会社勤務を休めず(休まず)...。 だがしかし日本野球連盟のホームページや知人からの電子メールで逐一 試合状況が確認できる。大学の方は自分が管理者なのでこっそり更新して他の人々のお役に立ってみたり...。 都市対抗予選の方はこれまでテレホンサービスが設けられていたが、 日本野球連盟のホームページの充実によって不要になってきたのではないかとの声も出てきた。 そんなに遠くない昔、5年くらい前でもここまでいち早く野球の試合の状況をつかむのは 難しかったと思うが(プロフェッショナルは別として)、世の中は進むなあ。
平成22年6月1日 --宇宙人--
世の中の事柄で、「明らかに正しい」「明らかにまちがっている」と判断できるものは
意外に少なく、賛否双方の意見があってしかるべき、な事柄が多い気がする。
ただしそうは言っても「正しいかわからないけれど、だいたいこう思うよな」
というものは各自持っていて、それというのはたぶんみんな、そんなにずれているわけではない。
まあ、それが常識とかいう言葉で表わされるのかもしれない。
例えばYahooのニュースに対するコメントに「そう思う」「そう思わない」を
投票できる機能があって票数を閲覧できるが、そういうところで垣間見る限りの
世論とは、筆者自身の考え方・感じ方は大きくずれてはいない。
なお、ここでの「だいたい」は「多数が」「大ざっぱに言って」などの複数の意味合いを含む。
メディア等で報道される評論家の評論、記者の記事、有名人の発言なども、 悪意を感じるものは別としても「なるほど一理ある」「そう思うよな」と 感じるものは多いのだが、あまり感じられない例が鳩山首相だ。 いろいろ難しい問題に直面もしているだろうが、彼自身の感じ方が、 世間一般の感じ方と乖離があると思わざるを得ない。 全部多数決がいいとは思わないし、他人と異なる発想には特徴があってよいとも思うが、 そういうことではなくてピントがずれていると思わざるを得ない。 沖縄の米軍基地の問題にしても、何をどうするのがベストなのかはよくわからないが、 少なくとも大臣を罷免された福島議員の方が、発言がまともというか 「だいたいそう思うよな」と思わせることを言っている。
平成22年5月25日 --上意下達--
神奈川新聞連載小説の堺屋太一「三人の二代目」を読んでいる。
毛利輝元・宇喜多秀家・上杉景勝。それぞれ毛利元就・宇喜多直家・上杉謙信の
有名な武将の、後を継いだ「三人の二代目」をとりあげた歴史物である。
まもなく本能寺の変になりそうだ。
本能寺の変についてはそもそもわかっていない事柄も多いということらしいのだが、 疑問に思い感心するのは、よくも末端までリーダーの意図が伝わったということだ。 1万人くらいの明智光秀の軍勢が数十人の織田信長の軍勢を倒したということだから、 指示や伝達があいまいでも結果的には勝てたかもしれないが、末端の武士個人まで どうやってリーダーの意図が伝わったのか興味はある。絶対的な君主である 信長を討つという意図。明智光秀の中でどのタイミングで決断したのか知らないが、 おそらくはそんなに長く時間をかけて周到に準備したことでもなく、 また、漏れてはならない機密事項だから、末端の武士がある程度前から知っていたとも考えづらい。 事前に知らされたとしても当日の出陣前とか本能寺に着いた時とかの「直前」くらいか。 直前に知らされたとして、1万人に伝達するのも大変そうだ。 まして大がかりな謀反だから、号令がかかってなお信じきれないというか 意図を理解していない武士も何パーセントか、いたのではないか。
小説は「三人の二代目」それぞれの、リーダーとしての意思決定とか人・物・金の 動かし方を紹介し、それは時代は違っても現代にも通ずるものがある、 ということを示していくらしい。明智光秀は「二代目」に入っていないが、 本能寺の変でのリーダーシップを詳しく紹介してくれることを期待している。
平成22年5月18日 --FMラジオ--
仕事柄というか土地柄というか、FMラジオを聞く機会が増えてきたこのごろだ。
前々から少し気にはなっていたのだが、FMラジオのパーソナリティというのは
どこか不自然だ。無理がある。FMとひとくくりにするのは適切ではないかもしれないが、
どうもそう感じる。
全部の話を盛り上げなくていいし、楽しくノリよくしゃべっていれば番組自体が 楽しく聞こえるというものでもないし、飾ったから格好よく聞こえるわけでもない。 と、思うのだが、どうも彼ら・彼女らはそうは思わないらしい。 興味がなかったりわからなかったりする話には無理にそれらしいコメントを つけなくていいでしょう。FM横浜の昼の番組、「ギュっホッュ〜」って何かと 思ったら番組名の一部「good for you」を英語ぽく読んでいるらしいのだが、 ネイティブの英語圏の人たちがそう読むのかもよくわからないし、そうだとしても そんなところを無理しなくていい。「子ども」を「こどもちゃん」もおかしいでしょう。 あなたも呼ばれる子どももかわいいと思われるわけではありません。 アシスタントの揚げ足を取るようになんでもつっこんで困らせてはしゃいでも、 番組自体が楽しく聞こえるわけでもない。 ラジオショッピングへの反応も過剰。スポンサーとの兼ね合いがあるだろうから、 いい商品であることをアピールしなければならない事情は理解するとしても、 毎日毎日、どんなジャンルのものが出てきても「ほしい〜」「すごくいい〜」 「(こういうのがなかったから)今まで困ってた」「ええ? その安さで!」と持ちあげすぎるのも どこか節操がなく、無理がある。そう考えると、ニッポン放送(AM)でいろいろな タレントが番組を持っていて今はほとんど自分が聞いていないが、 そちらはしゃべりが上手じゃなくても「素」が感じられる番組が多かった気がする。
ラジオなんだから不満があるなら聞かなければいいじゃないかと思われるかもしれないが、 音楽を多く流してくれるFMのラジオ番組は、不自然で無理がある雑音があっても重宝できる。
平成22年5月13日 --敗退--
クラブ選手権。2年連続での神奈川県予選での敗退。
昨年は大会前のチーム状況があまりよくなかったと感じてはいたが、
今年はそんなこともなかった。それでいての予選敗退。
チーム内に甘さがあったかもしれないことを反省しなければならないが、
そもそも力・努力が足りていないことを突きつけられた格好だ。
厳しいな、勝負事は。
平成22年4月29日 --情報化社会--
情報工学を学んでソフトウェア開発の業務に携わる者が言うべきではないかもしれないが、
進みすぎた(?)情報化社会におぼれている気がする。
毎週月曜日、遅くても火曜日に更新しようと思っていた「今週のひとりごと」がここまで延びた。 書こうと思っていた事柄はあるし、返信しようと思っていた電子メールもなかなか返信できなかったりもした。 いくら電子メールを出しても出しても、いくらホームページを更新してもしても、 アプリケーションソフトにいくら情報を打ち込んでも打ち込んでも、 とにかくやるべきことが終わらない。いつからこんなに忙しくなったのか? リアルな世界でも2拠点を股にかけた出勤、祖母の見舞い、祖母の法事、野球の遠征、などなど 忙しい要素もあり、時期も野球の大事な大会の直前ということもある。 しかしとにかくデジタルの世界で、しかも主業務と無関係のことで ビットに追われている。いろいろ抱えすぎているのかな?
コンピュータは人間が作り出したものとして、いつから人間の方がコンピュータに 合わせなければいけなくなったのだろう? 開発側にいる立場から言ってはいけないこと なのかもしれないが、素朴な疑問でもある。使い勝手の悪いOSのおかげか、 一時的にコンピュータの処理が著しく遅くなったりいきなり落ちてしまったりといった コンピュータ側の勝手な都合にも、結局人間側が合わせなければいけない。 生活基盤として情報技術が不可欠なものになったことは動かしようのない事実で、 それで助かっている事柄もたくさんあるが、いろいろな意味でこれでよかったのだろうか?
平成22年4月19日 --そのままの君でいて--
上海万博のテーマソングが、岡本真夜の「そのままの君でいて」の盗作ではないかとの
疑惑が出た。誤解を招く可能性もあり、また筆者自身の誤解もあるかもしれないがその件について少し。
岡本真夜の方の曲を、そういえばちゃんと知らなかったことに
今回気づいたが、あらためて聞いてみるとメロディは酷似している。
もしかすると大勢に影響のない部分でちょこっと音やリズムを変えている
かもしれないが、大部分が「同じ」だ。盗作の疑惑は免れない。
岡本真夜が歌ったのが1997年らしい。13年前だ。さいきんすぎるわけでもなく、 誰しもがすぐピンと来るほど大きく売れたわけでもない(?)ものを オリジナルとしたあたりには悪意も感じる。ただしなぜそんなことをするのかと わからないことも多い。聞いてみると確かにいい曲であり、 旋律に心踊らされる要素はあるにせよ、それにしてもそのまま全部というのは やりすぎだ。国を挙げてのイベント(?)にかつぎあげるほどすばらしい と判断したのかどうかの疑問もある。 しばらく前であるが、中国の遊園地でニセのミッキーマウスが 現れていたりもした。人気にあやかりたい気はわかるが、 独自で多彩な文化も築いてきた中国が、なぜよそのものをそのまま引いてくるのか。
筆者が知る中国人は数少なく、学業もしくは職業の兼ね合いで 知り合った人たちだけなので非常に限定的ではあるが、 みな優秀であり、温和でやさしさがあり、日本に対しての反発的な 感情もなく親日家でもある。むろん、日本に勉強や仕事に来ている人たちなので そちらが少数派かもしれないし、対日感情などのことはひとくくりに 語れるほど単純なものではないのかもしれないが、 筆者が知るごく一部の中国人と、メディアでニュースとして報じられる 中国人の行動とに、大きなギャップがある。
よそのいいものを ひっぱってくる必要もなく、彼らには独創的な新しい、いいものを 作り出す能力、資質、文化、国民性が十分に備わっていると思う。 だからこそ盗作などの疑惑が残念だし、うまく理解ができない。 それこそこちらからひとこと送りたい。
「そのままの君でいて」 |
平成22年4月5日 --横浜--
勤務先が、横浜に変わった。会社が横浜駅近くに、バーンとした新社屋を建てた。
たいしたものだ。3月末から働き始めている。できたての建物に入るのは
なかなかないことだが、なるほど気分がよい。新しい建物のにおい、
開放感ある居室(これから大勢移動してきたら狭いかも...)、
16階居室からの良好な眺め。横浜駅周辺のビル郡、ネオン、ランドマークタワー、
横浜マリノス練習場、海...それぞれの場所からいろいろなものを見られる。
気分がいいしやる気も出てくるかんじ。自分が横浜育ちであることを誇りに思えた。
横浜育ちでなくてもここで働くことになったかもしれないが、横浜育ちである
自分がここで働くことに意味があるというか感慨深いというか...。
まあ、育ったのは横浜駅周辺ではなく、少しはずれるが。
まったく別件にはなるが横浜ベイスターズも少しは期待を持たせる滑り出しだ。 細かいミスが多く出るあたりは改善の余地が大いにあるのだろうが、 メンバーや戦い方に改革を感じさせるものはある。また、新しい球団社長が、 チームを強くすることのみならずとことん横浜にこだわろうとするスタンスも買える。 新入団会見、監督就任会見、遠征スーツ新調などなど、オフの間の動きでも 横浜色満載だ。横浜には大きなポテンシャルがあることをベイスターズを軸に 発信しようという意図が強く見える。補強や改革で急にチームが強くなるか どうかは未知数とは言え、仮に弱くても今までよりも気にかけてみようか、 次に何か出てくるのではないか、という気にはなる。 さらに関係ない方向に話は飛ぶが横浜マリノスにも中村俊復帰、横浜FCも昨年よりは期待を持たせる。
思えば昨年が横浜市にとって大きな年のはずで、開国博 "Y150" も行われた。 ただしY150はいろいろな意味で失敗だったイメージが強く、ベイスターズに ついてはどん底、マリノス・横浜FCも低迷。市長も突然退任した。 むしろ散々の年でもあった。 筆者個人についてもY150に出かけたりもしたものの勤務先の横浜の事業所はオープンしておらず、 勤務は3拠点を転々。別段「横浜」を意識することもない年だった。 1年遅れはしたが、Y150をきっかけにしたムーブメントが、自分も含めて 起きているではないか。151年目の横浜に、注目あれ。
平成22年3月23日 --命の流れ--
祖母が亡くなった。
通夜・葬儀は家族葬でこじんまりとしたものだったが、親戚一同のほとんどは 二日のうちいずれかには顔を出した。95歳の大往生、子3人、孫9人、ひ孫10人を もうけた人生、おつかれさまでしたと言いたい。一堂に会す機会もなかなかなかった いとこ同士も、久々に顔をあわせた。多くの子孫に送られて安らかに幸せに眠ったと思いたい。
通夜のあとに和尚さんからお話があった。長くはなったが、その中の一つに 一人の人間は二人の親から生まれ、その親にもそれぞれ二人ずつの親がおり... と計算していくとたかだか奈良時代までの1400年程度をさかのぼるだけでも 2兆人(2の40乗規模)の先祖がおり、それらから命を受け継いでいるものなのだ、 という話があった。確かに兆の桁になるとすごい。先祖に兆の桁の人数がいるのは 想像がつかないとしても、今回葬儀に集まった子孫(およびその配偶者)の人数は 30人前後になり、一人の祖母からそれだけ生まれた(今後も生まれる?) ことは、それはそれで立派なことだ。命について少し考えさせられた。
祖母の人生に思いをはせたこと、昔話を尋ねたことは、あまりなかったが、 戦争中(第二次世界大戦中)はおそらく大変な思いをしたことと思う。 戦中・戦後に3人の子どもをもうけ、うちの父が戦後の小倉生まれであることを考えると 終戦時は小倉にいたのだろうか(ちゃんと確認しろよ)。 確かアメリカ軍が原子爆弾を落とす候補地の一つに小倉も入っており、 どういう事情で最終的に落とさなかったか知らないが、 もしも落とされていたら自分は生まれてもいなかったかもしれない。 そんなことをまったく考えはしなかったが昨夏に小倉および祖母の出身地・広島を たどる一人旅をしたことも何かの縁か。
祖母の冥福をお祈りします。
平成22年3月8日 --石原監督のJT--
Vプレミアリーグ女子を見に行った。今年初めてだ。今回のリーグ戦はJTが、
筆者が観戦に行った時点で開幕から21連勝で首位を独走していた。
前回10チーム中9位で、チャレンジマッチ(入れ替え戦みたいなもの)に
まわったチームである。何が変わったのか、漠然と興味はあった。
プロフィール的な情報として、外国人選手1人と新旧全日本メンバーのセンター、 山本(旧姓大友)・石川を補強。監督が前任の寺廻監督から、廃部になった 武富士の監督を務めていた石原監督に交代。チームの根幹ががらりと変わって 別のチームと言えばそれまでではあるが、生え抜きの選手も残っているし、 いい選手を入れれば、いい監督を連れてくれば、急に勝てるわけでもないことは 過去のVリーグの多くのチームが物語る。ある程度勝てるようにはなっても 21連勝というのはやはりすごい。逆にこれまでだって、新旧全日本メンバーの 竹下、菅山、蓬莱、坂下らがいながらにして下位低迷が多かった。
新戦力の影響は大きいが、例えば石川は筆者が観戦した試合で早々に退いており、 代わりに入部以来10年近い生え抜きの久保が活躍した。 外国人選手1人に集中してアタックを打たせたとも見えない。 新戦力の影響だけでもなさそうだ。監督が代わることの影響力は大きいだろう。 まずこれだけ勝ち続けるチームにできる下地がありながら、1度の2位躍進はあるにせよ、 大半は優勝争いどころか最下位争いにとどまっていたわけだから 前任の寺廻監督の能力には疑問符をつけざるを得ない。 それでは石原監督がどうかと見てみると、こちらも前回リーグまで武富士を率いていたが、 1度2位に躍進したシーズンこそあれ下位低迷が多く、前回もJTとともにチャレンジマッチにまわった。 JTはJTでよくその監督を招いたとは思うが、見る人は見ていたということか。
試合を見て、専門的なことまではわからないものの、ブロックを中心とした JTの守備が堅いということを感じた。直接のブロックポイントの個数が どれだけ多いか知らないが、やけに相手のアタックがブロックにひっかかる。 跳ね返ったのを相手はまた攻撃しなければいけないし、自分のコート内に 跳ね返ればチャンスボールとして攻撃できる。相手は何度もアタックを打ち続けるうちに ミスも出てくるし、チャンスボールになって攻守交替してしまうことも出てくる。 相手は戦いにくさを感じるだろう。
石原監督というのは、コメントなどを見るに、かなり細かいことを考えることが 好きというか得意な監督のようだ。そしてブロックについてもかなりこだわりも あるようで武富士時代にセンターのポジションに好選手もいたし人数も多く ベンチに入れていた。結果的に戦術面で武富士時代にあまり成果は出なかった かもしれないが、JTで世界を代表するセッター・竹下と出会ったことで 自分の考えを体現できる状態が出来上がった、とかそんなようなことがあるのでは ないかと思わせる。堅くなった守りと、竹下が操る多彩な攻撃...それらが うまくかみ合っているというか、まあそんなかんじか。また、筆者が観戦した試合は 2セット先取されて連勝が止まるかとも思わせたが、なんとなく試合運びが落ち着いているというか チーム内に安心感があったようだ。3・4・5セットを取り返して3-2で逆転勝利してしまった。
であるならば磐石かとも思うが、4強になってからの戦いを制して優勝できるか どうかはまだなんとも言えない。セミファイナルラウンドでは勝率10割の1位でも8割の1位でも、 あるいは4位でも、条件は同じだ。観戦した試合においても、8勝13敗と 苦戦するNECとも、戦力や個人の技術にそんなに差はないとも見えた。 まあ、NEC側が若手への切り替え過渡期であって、やや精神面というか試合運びに 不安な部分があったようで、その分JTより劣っているかもしれないのだが。 なによりJTの優勝というイメージが沸かないのだ。
このJTは本物なのか。セミファイナルラウンド・ファイナルラウンドが楽しみだ。
平成22年3月3日 --35--
30歳を超えてからはジェットコースターのような我が人生。いろいろなことがあって
おもしろいのだが今年も無事誕生日を迎え、35歳になった。
毎年それぞれに感慨深いものはあるが、35というのはなかなかハードだ。 四捨五入すると40歳になってしまうではないか。アラサー、アラフォーなどの 言葉もあるが、ひとまずはどちらにも属さない、ということでよいのかな? これは昨年の34歳とあまりかわらない。多くのスポーツ選手は一線を退いている年齢。 多くの同級生は配偶者・子どもを持つ年齢。ドラマ「age,35」では 夫婦がダブル不倫していた年齢。焦りはしないが、重いな。
関係ないが先日とあるドラマで、どこのおばさんが出てきたかと思ったら 「age,35」主演の田中美佐子だった。いやいや時間は恐い、テレビも恐いなと、 あらためて思わされた。
35歳なんて、下から見ていたらとても大人というか、悪く言えばいいおじさんにも近い と思っていたが、自分が追いついてしまった。時間は恐いが、最高の35歳のスタートを 切ることもできた。大切な人との1日、1時間、1分の時間を大切にし、いい1年にしたい。
平成22年2月16日 ----
声を大にして言いたい! が、もうしばらく控えておこうか。
平成22年2月9日 --10周年--
東京新大学野球連盟ホームページが、平成12年2月9日の開設以来、10周年を迎えた。
開設したとき、どこかでやめることを考えていたわけでもないが、どこまで続くかも
あまり考えておらず、10周年ということに静かな重みを感じ、感慨深い。
当時インターネット自体もだいぶ普及しており、大学野球の連盟としてホームページを
持っていたところもそこそこあったが、今でもホームページのない連盟があったり、
持っていても管理がずさんだったり、を考えると、一人で品質を保って管理し続けてきた
ことにはささやかな誇りを感じてもいる。「何事も続けることに意義がある」という意見を
自分が持っていることや、動きの速いインターネットの世界で10年継続させたこととで、
よりそれを強く思う。
直接の管理者は「一人」ではあるが、多くの方々からの情報提供のご協力をいただいて 続けてこられたのは言うまでもなく、感謝している。大学時代に取り組んだことで、 大学野球が、そして自分の出身連盟が、とても好きになり、もともとは卒業後も自分のところに 情報が集まる仕組みが構築できればという動機もあり、必ずしもほめられた動機だけでもないが、 多少なりともお役に立てたかもしれないとも思う。ただ、10年の経過の中で、 いっしょに戦っていた後輩はとうに去り、大学生との年齢も離れ、精神的な距離感が 広がってきていることは感じている。
10年間の印象的な出来事を続々紹介する「10年回顧録」をしばらく前からトップページで 続けている。最も印象的な一つを挙げるのは難しい。上位大会での活躍ならば 創価大が大学選手権での法政大や東洋大に勝利したこと、か。創価大と流通経済大の 決戦についてはここ10年は創価大優勢というかんじでガチンコ勝負がなかなか見られず、 印象深いものは少ない。その中でも八木にサヨナラ勝ちした平成15年春の流通経済大の優勝か。 やはり自分が好きな入れ替え戦になるか。桐原・原橋の投手戦、若尾の133球、 ホームページ開設少し前だが工学院が高千穂を苦しめた大熱戦の入れ替え戦、 などなどあるが、倉上の「重い打席」はやはり印象深い。 筋書きではなく本当にこんなことが起こるのか、と思った。
10年回顧録、10周年のそのときにトップページを飾るのはどれにしようかと思っていたが、 やはり連盟を代表する両雄がぶつかりあった、森川VS大田の激闘3連投にした。
平成22年2月2日 --ぶれない人生--
いやいや、人間関係、いろいろなことがあるな。
さて、神奈川新聞で「我が人生」のコーナーが再開された。落語家の桂歌丸さんが 3ヶ月ほど連載したあと、新年から女優の小山明子さんになった。 歌丸さんは見るからに苦労が多かった人生なのかと思い、小山さんは 夫の大島渚監督の病気の介護をしながらの生活と聞くのでいろいろ苦労も 多いだろうと思うのだが、いやはや、話はなかなかにおもしろい。 第2次世界大戦時代も生き抜いており、いずれも並々ならぬ苦労があったことが想像され、 端々にその紹介もあるのだが、「私はこれだけ苦労しました」と 自慢げに書くわけでもなく、嫌味がない。また、逆にけっこう恵まれていると思うこと、 うらやましいと感じるエピソードも出てくるのだが、これまた嫌味がない。 人柄がにじみ出ているという表現になるのだろうか。 文章で人を引き込むということまで意識して書いているか知らないが、 こちらは楽しく読めている。
総じて、あの世代の方々は戦争を生き抜いている点で今の時代では考えられない 苦労をしているだろうし、また、著名人ということであれば何か人と違う ものを持ってもいるだろうから、尊敬される要素は多い。 その中でも文章の中から感じる、大きな尊敬できる要素として「ぶれないこと」がある。 頑固であることとも多少関係があるかもしれないが、歌丸さんにしても 小山さんにしても、人生の中で考え方がぶれずにしっかりしていることを感じる。 だから文章にも好感・関心・尊敬を持てるのかもしれない。 まあ、神奈川新聞側がそういう人を選んで連載をお願いした側面はあるのかも しれないが、いやはや、苦労して成功された先人はすごい。
P.S 神奈川新聞、120周年、おめでとうございます。 かつて批判もし、今も不満な点がないわけではありませんが、これからも読み続けます。
平成22年1月25日 --日本一の大宮工業高校--
「訪れた甲子園出場校リスト」を更新し続けているが、
今回大宮工業高校に行ってみた。埼玉県勤務も、当初の予定より延びたとは言え残り数ヶ月もない。
毎日通っているうちにどこの甲子園出場校のグラウンドを訪れようかと漠然と考えていたが、
大宮工業高校に決めた。ちなみにわざわざ訪れるようになってリスト作成の趣旨が変わってきている
ことは以前にどこかで触れた通りである。
大宮という駅はずいぶんと大きく、旧大宮市内にも「大宮」と名がつく高校だけでも それなりに多いが、大宮駅から歩ける範囲の高校はあまりない。 この大宮工業高校も、大宮駅からニューシャトルという、埼玉勤務が始まるまでは 知りもしなかった電車に乗る。ちなみに鉄道博物館という、これまた今まで知らなかった 施設もまた、このニューシャトル沿線にある。
埼玉県の甲子園出場校、それも通勤圏から離れない範囲、ということでもいくつか候補は あるのだが、大宮工業高校を選んだのは埼玉県で唯一の全国制覇を成し遂げている 高校だからだ。また、大学時代のライバル校の中に大宮工業高校出身の好投手がいたことも 頭の片隅にはあった。かくしてどんなところなのか見に行ってみたら、十分行く価値があったと 思えるところだった。とある日の午後、突然半休を取って勤務を切り上げ、大宮駅から 初のニューシャトルに。今羽駅から少し歩く。 人がごった返す大宮駅からは想像できない閑静な住宅地の奥。 ここも「大宮」と呼ぶのかと少し不思議な気分にもなるが(現在は高校の住所に 「大宮」の名前はない)、それは横浜市もそんなものだ。
正門から敷地に沿ってぐるりと周囲を回ると、正門の反対側あたりの位置に JRの電車駐留エリアをまたぐような歩道橋がありその路上からグラウンドを見下ろせる。 位置的にはレフトスタンドから球場を見下ろすような位置だ。 野球専用エリアとしてネットで区切られたエリア。 きれ〜いに整備された土のフィールド。 球が外に出ないようにと3塁側に張りめぐらされた高いネット。 ベンチ、放水施設、奥には部室棟か室内練習所かと思われる建物。すばらしい環境。 一公立高校の中にレフトスタンド付きの(?)野球専用エリア。いやあ、ぜいたくだ。 そして見に来ただけの自分までもぜいたくな気分になれた。
グラウンドは野球専用エリアのみならず、他部で使えるグラウンドやテニスコートも それと別にある(写真の左側に広がる)。校舎も見えるが、なかなか大きそうな校舎だ。 公立高校にして、学校が持つ敷地としては相当広いと想像される。 やはり歴史があるところは違う、ということか。 そんな大宮工業高校も、甲子園出場は全国優勝した昭和43年の春と、同年夏で、 以後出場経験がないらしい。ささやかながら健闘を期待したい。
平成22年1月12日 --学生の本分--
先週の小谷先生のコメント、引用されているページを見つけた。ブログの中の一部ではあるが
(→こちら)
通勤で乗ることのある朝6:50横浜駅発の湘南新宿ライン。大宮駅までジャスト1時間、 ちょうど半分が新宿駅までの30分。せめて新宿駅から座れれば30分眠ることが できるもののこれがなかなか座れない。この時間は私立中学生と思われる学生が 何人か乗っている。当初は恵比寿・渋谷あたりで降車するのかと思っていたが これがなかなか降りない。新宿を過ぎた池袋駅でようやく降りる。そんなこともあって 池袋まで座れないこともしばしば。池袋まで気持ちよく眠る中学生が、 憎いようなかわいそうなような。
横浜駅で筆者が乗るときにはすでに座っている彼らは、それより南から通学しているのだろう。 6:50横浜駅通過だから相当早い時刻に起きているのだろうから車内で睡眠を取る ことは重要だ。気持ちはわかる。その彼らを送り出すためにおそらく母親は より早く起床し、朝食を作って場合によって弁当まで持たせているのかもしれない。 年末のひとりごとにも通じるが「母親というものはよくもまあ、そこまでやる」 と勝手な想像ながら感心する。その年齢にして、横浜以南から池袋の中学校に通わなければならない 理由はよくわからないが、なんだか不憫にも思う。学歴主義がどう、いじめがどう、 などいろいろあるだろうがなんだか当事者がかわいそうな気もする。 池袋までの睡眠時間が彼らにとって唯一安らげる時間なのだとすれば、その寝顔を一概に憎めない。
平成22年1月4日 --2010年--
西暦2010年を迎えた。数ヶ月遅れで読んでいる情報処理学会誌では
9月号で昨年のコンピュータ将棋選手権の報告が掲載されていた。
両者を重ねて思い出した。
これは筆者の大学時代の恩師である指導教官、小谷善行教授の当時(1990年代後半)の 予言である。予言というのは少し大げさで、何かのコラムで、あるいは日常の 雑談の中でも「(コンピュータが人間に)永遠に勝てないと言う人もいるし、 50年かかると言う人もいるけれど、自分の生きているうちに見たいので 願望も込めて15年後くらいには勝ってほしい」といった意味合いの言葉だったと 記憶している。その後2000年代に入ってからのコラムでも「2010年」を 指していたので、時がたってもぶれていないんだな、と感心させていただいた。 すべて手元に出展を見つけられず、参照等によって紹介できないのは申し訳ないのだが。
それでは今年コンピュータが勝つのかと考えると、昨年9月号の情報処理学会誌の 報告では、そこまでは望めないようである。しかし2006年の東北大・保木氏の 出現によって、それまで少しずつ強くなっていたコンピュータ将棋の「強くなり方」が スピードアップしたらしい。9月号ではプロ棋士が「4年の間には人間のトッププロに 追いつく」と予想している。2010年という小谷先生の予言は、たぶん当たっては いないのだが現実的なところまで来たというのは、このうえなくわくわくすることだ。 直接この世界にタッチしていない筆者だから、言うことが正しいかわからないが、 突発的なスーパースターの出現も、それまでに土壌を絶やさず継続して育ててきた 先人がいればこそ、と言える。人間のトッププロに勝ったときには、現在コンピュータ将棋協会会長を 退いておられるようではあるが小谷先生のことがまちがいなくクローズアップされるだろう (されてほしい)。
その小谷先生の定年による退官が、確か再来年3月だ。「あと4年」のところ、
なんとか「あと2年半」に縮めてもらえませんか?
(翌週に小谷先生のコメントの引用ページを紹介)