陽三の「今週のひとりごと」集
(平成19年分)


平成19年12月10日 --北京バイオリン--

「北京バイオリン」というドラマを毎週楽しみに見ている。 バイオリンを弾く者として見ておこうか、と見始めたものだ。 途中からなのでストーリーがわからない部分もあるが、 天才少年バイオリニストを連れて父が地方から北京に上京(?)してきて 息子のバイオリニストとしての成功を何より願う、みたいなストーリーである。 勝ち気な少年、息子思いの父、そこに個性的なキャラクターが入り混じり、 父は実は北京で指名手配中だったり少年の出生にも秘密がありそうで、 ストーリーとしての興味もある。少年のバイオリンもとても上手だ。 ただ、個人的にはそのあたりは半ばどうでもいい。

始めと終わりの主題歌がよい。中国語で歌われていて意味が字幕で出ている。 言葉がわからないので結局自分で口ずさむことさえできないのだが、メロディーがよい。 音楽を軸にしたドラマだけある、というところか。 もう一つ、本筋と関係なさそうにも見えるがなぜかいつも出てくる 不思議な美人女性・莉莉に毎週会えるのもうれしい。


平成19年12月2日 --横浜の迷走--

かねてから文句は書いてきたが横浜ベイスターズの球団運営が あいかわらず迷走している。今度はスカウトを中心に、球団職員 9名と来季の契約を結ばないと報じられた。

近年、ドラフトでの補強が成功していない。今年についても、 抽選をはずしたなどの不運はあるにせよ、成功したかんじがしない。 地元・横浜高校出身の成瀬・涌井らが他球団で大活躍するのを見て 「なぜベイスターズは獲らないんだ?」の声も地元で聞く。 今年のオフ、横浜高校で成瀬と同期だった、東海大の荒波がどこからも 指名されなかった。ドラフト上位指名候補でもあって評価が高かった 選手である。これを横浜は指名してよかったのではないかとも思っている。 左打ちの外野手自体は横浜も多く抱えているが、若手が伸びてきていない 事情はある。多く抱えているから指名しなかったのかもしれないが 一方で巨人を戦力外通告になった中堅・小関を獲得している。 小関と荒波の比較自体は筆者からやりづらいが、将来的なことも 考えれば荒波の指名にチャレンジして小関への返事はドラフト後まで 待ってもらうという手はなかったのか。また、慶応大の加藤を指名できなかったのも痛い。 横浜市内の公立高校出身の加藤が横浜入団に難色を示していたとも報じられている。 地域密着も視野に入れて数年前から横浜市内の高校・大学出身の 元選手もスカウトとして雇っていてこの結果では悲しい限りである。 一方で種田に戦力外通告をしたあとに手薄になった二遊間の控えには 10年以上前に横浜市内の高校を卒業した斉藤(ソフトバンクから戦力外通告)を獲得している。

なんとなくちぐはぐな補強と感じざるを得ないが、例えばクルーンとの交渉打切りは 評価が難しいながら賢明な判断だったとも感じる。つまりは全部が全部 悪いわけではないと思う。今回のスカウト大量退団はまさに補強の 失敗の責任をとらせたこととは思うし、それ自体は妥当とも思う。 ただしここで極端なことをやる前にもう少し、他にできることは なかったのか。あるいは今後どのように改善されるか見通しはあるのか。 迷走はまだまだ続きそうだ。


平成19年11月19日 --負けられない試合--

小林繁と江川卓の「黄桜」のCMは秀逸だ。因縁の二人が酒を酌み交わす。 会話内容の違いで3編くらいあるかと思う。「避けて...きてたのかな」 「わかってるんだよ、感情は」「二人ともしんどかった」などの会話。 そんな中、あるバージョンで両者が初めて公式戦で先発投手として 対戦した試合を振り返る会話があり、どちらも絶対負けられない 気持ちだったと言っているが、どちらの言葉だったか 「野球人生で負けちゃいけない試合があるとしたらこの試合だと思った」 というのがあった。結局どちらが勝ったか知らないのだが。

これを受け、自分にとって負けられない試合はどれだったかを考えてみた。 「負けたくない試合」はたくさんある、というか、ほとんどの試合は 「負けたくない試合」である。ただし、「負けられない」、負けることで 野球人生まで大きく変わってしまう、という試合については、 現状思い当たらない。筆者自身が心の奥底から負けられないと思った 試合があるかどうかと考えると、思い当たらない。 少なくとも高校まででは、ない。高校野球の夏の大会などは、確かに 負けられない試合で、負けることで高校野球が終わってしまう試合 ではあるのだが、たぶん、小林・江川の言う「負けられない」とは意味に差がある。 筆者の価値観では、大学の入れ替え戦は最もそれに近い。社会人のクラブ選手権も 近いが「勝ちたい」「負けたくない」の気持ちの方が先行する。 「負けられない」とは、微妙だが意味合いが異なる。 結局挙げてみたのは

になった。前者は3部から2部に上がる入れ替え戦の第2戦。 第1戦をコールドで勝って先勝していたので、はた目に余裕はあったのかもしれない。 しかし、この試合に負けて流れを失って第3戦も負けるようなことがあれば3部優勝の 1シーズンが水の泡で、もう2度と2部に上がることもできないかもしれないとも 思って言い得ぬ不安感を抱えながらの試合だった。余裕はあるのに この1試合で勝たなければチームの将来に大きく影響する。 緊張感を感じた印象深い試合である。後者はさいきんのことだから 印象深いというのもあるが、クラブ選手権で神奈川から南関東への 進出を決めた試合。それだけでも意味は大きいのだが、1年前には 同じ組合せで負けていた相手だった。やはりチームの将来を考えたときに 同じ相手にまた苦杯を喫することになると、イヤなライバルの出現にもなるし、 自チームの自信も揺らいで混迷が続くのではないかとまで思い、 その意味でも絶対に負けられないと感じた試合だった。

ただ、チームはともかく自分自身の野球人生を左右するかもしれないという 意味で、あるいは自分の人生を賭けて「負けられない」と思った試合には まだ出会っていないと思う(負けたくないとは思っている。ニュアンスの 解釈の違いだけかもしれないが。)。 いずれ出会ってみたい気はする。

(しかし...昨日の試合はあの展開になったからには「負けちゃいけない試合」だったなあ...)

(公開にあたって一部追加)


平成19年11月5日 --オジサンの成長--

日本シリーズは中日が日本ハムに勝って日本一になった。日本シリーズで 敗れた昨年から変わった点を聞かれた落合監督が「監督が成長したこと」 と答えていたらしい。筆者ごときが意見するのは誠に僭越ではあるが 同じことを思っていた。落合監督が成長した。

1年前のこの場で、「第3戦」というタイトルで中日と日本ハムの采配の 違いを取り上げた(→こちらから)。 1勝1敗で迎えた第3戦を全力で勝ちに行った日本ハムと、まだ負けても 次があると余裕を見せながら戦った中日との違いが、トータルの結果にも 影響したのではないか、といった見方である。今年のクライマックスシリーズ・ 日本シリーズの落合監督には油断・余裕を見せる雰囲気はなく、 一分のスキもなく相手をたたきつぶす戦いを展開したように見えた。 クライマックスシリーズ第1ステージの2連勝、第2ステージの3連勝に、 日本シリーズは1敗したあと4連勝。8回途中からの岩瀬の投入も何試合かあり、 最も象徴的なのは日本シリーズ第5戦は山井が8回まで 完全に抑えていたものを9回に岩瀬を投入した采配。あくまでチームが 目の前の試合に勝つことだけにこだわったと見え、1敗くらいしてもいい、 という姿勢がほとんど見られなかった。おそらくは余裕を見せながらの昨年の第3戦 (のみならず日本シリーズ全体)の敗戦がよほどこたえたのだろう。 筆者がやり玉にあげた小林・中里あたりの起用など、今回は当然なかった。

野球人だけではないだろうが、ある程度年齢がいってから、自分の考え方や 価値観を変えるのは難しい。悪い点と理解していながらも変えようと しないケースも多い。プロ野球の監督の場合は、何万人ものファンが いるからとか、何億円ものお金が動く組織を率いているからということがあり、 一般人とはだいぶ事情が異なるが、それでもプロ野球の監督みんなが 自己の悪い点を反省して次には改善しているというわけでもない。 正直、50歳を超えたオジサンが成長できるケースというのは、 レアな部類に入ると思う。実際、何も成長できていない人もいる。 でも、野球選手として、野球監督としてだって すでに実績十分だった落合監督ですら成長した。 人は自分次第で成長できる。勉強になる例である。


平成19年10月29日 --伝えること--

野球の強豪校の一つである、ある大学の野球部。4年生と2年生の投手を軸に 今春のリーグ戦を戦い、優勝には2連勝しかないという状況で迎えた最終週のカード。 4年生の投手で先勝したものの翌日の第2戦で2年生の投手が大量失点して敗戦。 優勝は夢と散った。

今秋のプロ野球ドラフト上位指名候補とも言われる4年生投手は試合後に 2年生投手のことを取り上げて「エースとして伝えなければならないことは 山ほどある」といった内容をコメントした。マスコミで紹介された。 興味本位だが、内容はどういう類のことなのだろうか、と思っていた。 また、本当に山ほどあるのだろうか、と少し不思議に思っていた。

大学での4年生と2年生の差は小さくない。一方で4年生投手はプロ注目の 好投手ではあるものの高校は公立高校の出身で甲子園とも遠い存在。 2年生投手の方は強豪の私立高校で1度の甲子園出場経験があった。 現在の力量で大きな差があるとしても高校までの実績ではむしろ後輩が上回る。 筆者くらいの年齢から見ると22歳と20歳に、差があることを認めつつも 大きな差もないように錯覚するのもまた事実である。それでも伝えなければならない ことが山ほどある、というところに興味を持っていた。

答えが得られたわけではないのだが、ひょんなことで、職場の飲み会で、 後輩に伝えなければならないことが山ほどある先輩の気持ち、というのが 少しだけわかった。むろん、そんなものと同じにしてしまったらその4年生投手にも 失礼であるが、言いたいことは少しだけわかった気がする。


平成19年10月23日 --毎年恒例--

30年くらい生きていればわかりそうなものだがまだ同じ失敗を繰り返す。

子どものころはよくかぜを引いた。さいきんは回数は減って来たが 時期が決まってきた。2月と10月。2月はよくわからないが、10月は 季節の変わり目でだんだん寒くなってくるのに自分の冬支度が追いついていない、 というのが例年のパターンである。わかってはいるはずなのだが 今年もやってしまった。疲れが出ておかしくないスケジュールのわりに 体調が大丈夫だったので油断してしまったか、また体を冷やして のどと鼻に来てしまった。いい加減、学習が必要である。


平成19年10月15日 --教育--

親の教育というのはとても大事で影響力が大きいのだろうと感じる。

先ごろ、亀田三兄弟の次男がボクシングの世界タイトルマッチを戦って負けた。 試合を見てはいないが、新聞やテレビでのニュースで、試合前から相手選手に 失礼な発言を繰り返し、試合ではボクシングなのに相手を抱えて投げ飛ばすシーンがあったことも知った。 今回の騒動で最も印象的だったコメントは浅井慎平の「ボクシングじゃなくてプロレスに行け、 との声もあるがプロレスにも失礼」というものだった。なるほど、 プロレスに真剣に取り組んでいる人からすれば、これがプロレスといっしょに されることもまた迷惑な話だろう。

それはそれとして、全体的に礼節・常識に欠けて精神年齢が低いと 思わせる彼らだが、三兄弟が三兄弟とも似たかんじに見え、 こうなってくると親の影響だろうと感じざるを得ない。親も同じに見えるが。 これだけの人格形成を実現できてしまう親の影響力というのはすごい。 亀田三兄弟のみならず親の教育の影響を感じるケースは他にもある。 人の親になるということは重いことで、今の自分にはまだなれないかな。 そんなことも感じるさいきんである。


平成19年10月9日 --土産--

食欲の秋だから、というわけではないが。

職場で旅行や里帰りのお土産として置かれているお菓子。 だいたいつまみ食いさせていただいているが、「これはおいしい」と思うものも いくつかあり、このたびはインターネットで注文までしてしまった。 鳥取の松葉がにせんべいと、富山のほたるいかせんべい。 海産物を練りこんだせんべい、という意味では系統は似ている。 商品の値段と同じくらい送料がかかってしまってもったいない気もしたが、 注文してみた。宣伝のためか、おまけやサンプルまでついて送られてきた。

職場でのつまみ食いも、購入したものを自宅で食べるのも味は同じなのだが、 「特に期待しなかったけど食べてみたらおいしかった」という意味で 職場でのつまみ食いの方がおいしい気がする。これからも様々な お菓子に期待して、ものによっては注文での購入もしていきたい。 小さな楽しみを見つけた。

(公開にあたって一部追加・修正)


平成19年10月1日 --郵政--

郵政民営化が始まるから、ということと関係あるのかないのか知らないが ここに書く気になったのは少なくとも関係ない。

さいきん、配達証明の郵便を受け取ることが複数回あった。 そうは言っても自宅にいないことが多いので受け取れず、指定された大きめの郵便局まで 22時ごろ受け取りに行った。ありがたいことに24時間受け取れるという。 郵便局員を誰かしら待機させておくのも大変だろうし、特に深夜ならば アルバイトでもいるのかな、と思ったが応対したのは若くもなく 左手薬指に指輪もあるので既婚かとも思わせる男性。だからといって アルバイトでないとも独身でないとも言い切れないのだが、とにかくそういう方が 応対した。ニーズもそこそこあるようで、同じ時間帯でも他にも 受取りのお客さんがパラパラいる。なるほど、こうしてくれると便利でもあるし、 実際に望まれてもいる。いい傾向だと思う。


平成19年9月24日 --プレイングマネージャー--

ヤクルトの古田監督が、監督辞任&現役引退となった。さびしい。 プレイングマネージャーに就任した際の「失敗には終わらない」との 筆者の予想は大きくはずれたと言っていい。

筆者が失敗には終わらないだろうと予想したのは、古田監督の頭のよさに 期待し、チームのことはよく知っている人物であることなどが理由である。 選手専任時代からおそらく各場面で「自分ならどう采配するか」 を考えながら試合もしていただろう。また、もっとも難しい采配である 投手交代については、かねてよりそこに深く携わっていた伊東コーチが そのまま留任している。デメリットは少ないであろうと予想した。

ところが故障のこともあって「プレイ」の方がまったく振るわず。 采配については岩村の移籍、戦力不足、若手の伸び悩みなどかわいそうなところは あった気がするが、今年の勝率・順位という結果については確かに悪い。

古田監督でさえこの結果だと「プレイングマネージャーは無理」という 話になってしまいそうだが、そう単純に結論づけたくはない。 前にも触れたが、古田監督は多才だからこそ監督業・選手業以外のことも 担わされるようなことになっていた(集客を目指したF-projectなど)。 本業に専念させてほしかったと思う。 難しいことで誰にでもできることではないと思うが、誰がやってもまったく無理、 という結論にはしたくない。でも次に出てくる人は、ちょっと見当たらないかなあ。


平成19年9月10日 --大学--

学歴がどうのという意味でなく、大学に行っておいてよかったと感じる。

育ったのが神奈川で就職後の勤務・在住も神奈川。東京の大学に 行っていなければ、まず物理的な意味で行動範囲の狭い自分になっていた 気がする。新宿で飲食する機会もぐっと減っていたかも知れず、 ましてや新宿に行きつけの寿司屋ができるなどということもなかっただろう。 行動範囲という意味では一人旅の趣味も大学時代に 学会でいくつかの土地を訪れたことから始まったものだ。 ただ、大学に行っておいてよかったというのは、行動範囲のこともあるが、 見聞を広める、多くの人と接する、人脈を作るという意味でよかったと感じる部分が大きい。

地方の出身で大学だけ首都圏の大学に進学し、卒業後に地元に就職するという 人がけっこういる。自分の大学の先輩・後輩・同輩にもいる。 毎年の野球部OB会に熊本から来られる大先輩がいらっしゃる。 今となっては東京に来るのも年にこの1回程度、とおっしゃる。 ただし東京の大学に進学していなければまったく縁遠い土地だったかも知れず、 そう考えるとこの先輩にとって東京は、あるいは大学生活は、 特別なものだったのだろうと勝手に想像する。想像するにあたり、 地理的には東京の隣県だが筆者にも似たことが言えることにも気づく。 高知、長野、長崎、鳥取、三重、広島、福井...。 思い返せばあちこちにそんな仲間は散っているが、大学に行っていなければ その彼らとの出会いすらなかっただろう。異なる文化・価値観に触れる機会が、 今よりもっと少なかっただろう。

野球人生において大学野球との出会いは非常に、非常に大きな意味を 持つものであったと確信しているが、野球だけではない部分で 大学生活が貴重なものであったことを強く感じる昨今である。


平成19年9月3日 --阿久悠--

阿久悠氏が亡くなった。毎年、夏の甲子園を欠かさず見て「甲子園の詩」 という詩をスポーツ新聞に掲載していたという。たま〜に読んだことが あった気がする。このたびテレビで、その中で印象的なものを紹介していた。

桑田・清原を擁するPL学園が圧倒的に打ちまくって得点か安打か本塁打かの 甲子園の記録になる試合を演じたことがある。昭和60年の大会で 東海大山形に29-7で勝った試合らしい。子どもながらに筆者も、 そんな試合があったことは覚えている。その後、山形県が県をあげて スポーツに力を入れ始めたということはだいぶあとに知ったが、 それくらい衝撃的な出来事である。

この試合で東海大山形の得点が「7」であることは、今回阿久悠氏の ことを紹介したテレビ番組で知った。9イニングで7点、桑田が投げたのか どうか知らないがあのときのPL学園から取ったならば大したものとも言えよう。 さらに番組で、このうち5点は9回表に返したものだと知った。 阿久悠氏はそこに目をつけ、雌雄は決していても3年間の努力の結晶を 見せた最終回の反撃を「甲子園の詩」で取り上げていた。 この視点には恐れ入る。記録的な点数を取ったPL学園側に目が行くか、 後の山形県のように「取られて恥ずかしい29点」ととらえるか、 どちらかになりそうなものだが、そこを東海大山形の反撃に目をつけた ところは恐れ入る。

おまけ(初めての甲子園。かちわりとともに)


平成19年8月13日 --野球界(下)--

(先週から続く)

一方で後発の北信越リーグについては筆者はレベルの点では期待していなかった。 というのも、四国リーグが「知らない」選手が多い中で、北信越リーグは 「知っている」選手が多い。どういうことかというと、四国リーグは 力がありながら有力校で埋もれていたタイプの選手が多いのに比べ、 北信越リーグは筆者の周囲でクラブチームでやっていた選手がわりといる。 ついこの間まで同じ土俵でやっていたような連中、それさえもプロの2軍に 1勝を挙げてしまった。だから衝撃的なのである。

プロ側は言い訳はできないだろう。圧倒的ビジター、などプロ同士の 試合でもあること。野球に打ち込める環境という面でも プロの方が当然、恵まれているだろう。プロの経験年数が少ない選手が 中心かもしれないが北信越もリーグ立上げから1年もたたない。 油断したとか選手選抜を誤ったとかはあるかもしれないが、 厳しいドラフトを経てプロに入った者が ドラフトではひっかからなかった者に、1敗を喫してしまった。

プロの2軍以外で育成ができるならば2軍組織そのものの存在意義が 大きく揺らぐ。プロアマ交流も進んでは来ているが、今の組織のまま もっと交流を深めるのか、独立リーグを格上げ(?)させるのか、 プロ側が門戸を開くのか、2軍を切り離してアマや独立リーグと 並列化させていくのか...。いろいろやり方はあるだろうが、 1チーム70人しか保有できないという現状のシステムを、 底辺の広い大リーグやジュニア組織も持つJリーグなどと比べると あまりに閉鎖的である。意外とあちこちに野球のうまい人はいるし 野球自体をやりたいと思っている人もまだまだ多い。 野球界は大枠で改造を考えるときに来ている。北信越の1勝が筆者にそう、強く思わせた。


平成19年8月6日 --野球界(上)--

(2回続きを予定)

野球界の動きが激しいことはよく感じるが、また一つ衝撃的なことが、 あまり人知れず起きた。国内2番目の独立リーグ・北信越BC(ベースボールチャレンジ)リーグ。 このリーグの選抜メンバーと、プロ野球イースタンリーグの選抜メンバーとの 交流戦があり、1勝1敗に終わった。

何が衝撃的かというと、北信越が1勝を挙げたことである。 試合を見ていないし、どういうメンバーが出場していたかも、 しっかりとは把握していないのだが、筆者の予想としてはイースタンの 大勝であった。この2試合で両方のレベル差がどうのこうの、とも 言えないだろうが、1勝1敗という結果は驚きである。 北信越からすれば大変意味のある1勝である。

この一件は「プロ野球の2軍のあり方」についての議論の呼び水に なるに十分な一件である。もとより、若手選手の育成と不調な1軍選手の調整という 二つの役目を持たされていることに疑問・懸念の声はあった。 先日、クラブチームの監督も務めるタレントの萩本欽一氏の話を 聞く機会もあったが、やはり「2軍の試合はお客が少ないにも関わらず 選手は(給料を)もらいすぎ。恵まれすぎている」という話もしていた。 その一意見の賛否はともかく、どうするのか考えるべきときに来ている。

最初の独立リーグである四国アイランドリーグも、単独チームや選抜チームで プロの2軍と試合をしている。今年7月分が3勝1敗3分。リーグ立上げの時には練習試合で 企業チームに負けて「あれでプロを目指すのは厳しいと思う」のコメントが 相手監督から出た。筆者が四国リーグを観戦したのは平成17年8月なので ほぼ2年前。そのときも「クラブ以上、企業以下のレベルだがだいぶ企業に近い」 と評価した。企業チームはプロの2軍より少し強いと思っていいだろうから、 四国リーグもそこに肩を並べるレベルと見られ、着実にレベルが 上がってきているのだろうと想像させる。


平成19年7月30日 --ドタバタ--

6時に長野にいたはずの男が9時に横浜に姿を見せ、昼には小金井で 野球をやっている。こんな無謀な生活をしているせいか、 やるべきことを忘れていたり、遅れたり、いろいろ後手に回って ドタバタしたり、生活全般がてんてこまいである。

体を壊さないよう、食事と睡眠はちゃんととろうと思う。


平成19年7月23日 --新江ノ島水族館--

神奈川新聞で連載する「我が人生」では県内の著名な(?)人が60回くらいの 連載で自分の人生についてのエッセイを書いている。どう選ばれているのかは 知らないが、誰も知らない一般人のものを載せても仕方ないので、 ある程度地位がある人や特別な実績を残した人などが選ばれているようで、 印象的なところでは横浜高校野球部の渡辺監督、有名なところでは 歌手の加山雄三、あとは教育分野では桐蔭学園や昭和音大の学長、 事業分野ではJAセレサ川崎の理事長や崎陽軒の初代(?)社長や湘南信用金庫の会長、 芸術分野で画家、などなど。

さいきんまで連載していたのは、新江ノ島水族館館長の堀由紀子という女性。 知らない人ではあるが、女性で組織のトップに立っている人となるので 興味を持って読んでいった。いろいろなことに対してすごくしっかりと した考え方を持っていて、またそれをはっきりと表現・実現もしてきている人生。 強さや思い切りのよさ、そして水族館へのこだわりもしっかりとある。 そしてなにより、海の生き物を愛しているということも伝わってくる。 すがすがしい気持ちで読めたし、すばらしい女性と感じた。

その中で不思議だったのは家族に対しての記述が少ないことである。 もちろん、幼少期・少女期の家族の話では特に父がよく出てくるし、 結婚するまでの話では夫となる人の話も出てくるし、出産したあとでは 子どもの看病の話なども出てはくる。ただしある時期からあと、 おそらくは水族館の仕事に関わるようになったあとくらいだと 思うのだが、家族の話がほとんど出てこない。少し離れた年上の夫は すでに他界しているらしいのだが、子どもも複数授かっているらしい中で、 「母性」を表すような記述がほとんどない。水族館の生き物を我が子の ように思う、あふれんばかりの愛情が文章から伝わってくる一方で、 実際の家族に対する思いはほとんど表現されていない。 何か理由があるのかとか詮索するつもりはないが、これはこれでとても新鮮だった。 堀由紀子さん、すばらしい。


平成19年7月17日 --プチ体験--

しばらく前だが、18時から球場が取れているのでナイターで練習試合、という予定があった。 さしづめ、プロ野球のナイターの気分である。チームの集合はだいたい 試合開始の2時間前としているので、16:15の集合。自宅からちょっと遠いので 14時すぎに家を出た。

なかなかどうして、こういうスケジュールだと時間がわりとある。 朝はゆっくりと10時まで寝て、朝食。家事・バイオリンに、 もろもろの雑用もこなすことができる。そして14時すぎの出発。 結局、球場に向かう途中で雨天中止の連絡が入ってしまって、 試合のあとの時間の過ごし方を経験できなかったが「プロ野球選手って こんなかんじのタイムスケジュールなのかな? 悪くないな」と 勝手に思ったりした。

先週は球場を借りて入場料も取り、7500人のお客さんの前で練習試合を 戦う機会にも恵まれた。9時に球場入りして午前中に打撃練習。 昼食をはさんで午後、相手チームが到着。相手が打撃練習する間に 自分たちは空いたスペースでノックなど。16時に試合開始となった。 これまた試合前に練習し、やがて相手が到着してお客さんも入り始め、 気持ちを高めて試合に臨む、というプロ野球っぽい体験ができた。 毎日こんなならうらやましいな、とも思えた。

むろん、プロとして野球に取り組むからには大変なことも多いだろう。 我々と違って疲労回復や体の手入れに割く時間も多いだろうから 時間がたっぷりあるとも言い切れない。 でもなんだか、非日常を経験できておもしろかった。 野球のみならずだが、今年はエキサイティングな、いい経験をさせてもらっている。


平成19年7月10日 --差--

出たことのない「全国大会」、あと2勝にまで迫っていたチャンスは、 3時間を越す激戦の末に敗退し、全国への道は絶たれた。 自分自身およびチームとしての反省はあるが、出場した選手は 各場面で全力を尽くしてくれたと感じている。残念ではあるが 得た財産も多い。ただし...県の代表として南関東に進出したからには 初戦敗退という結果は厳しい。申し訳ない気持ちもあるし、 県に帰ればいやみも言われるかもしれない。あまり帰りたくない気持ちにはなった。

迎えたその日の第3試合。第1・2試合の勝者同士の、全国大会代表決定戦(他人の試合)は すばらしい試合になった。4-4の9回表に4点を勝ち越して勝負があったかと 思いきやその裏に3点を返してなおも2死満塁、カウント2-3。 「代表決定戦」「9回裏」「1点差」「2死満塁」「カウント2-3」の 本当の土壇場を目の当たりにした。実は同じく9回裏1点差2死満塁2-3は 2年前にも大学野球の入れ替え戦第3戦という大きな舞台で目撃している (→重い打席)。 意外にあるものだ。今回、結果は守備のチームが三遊間への ハーフライナー(ショートライナー)でしのいで全国大会初出場を決めた。 ストライクを投げ込んだ投手も、あわや安打かという当たりを打ち返した打者も、 追いかけて腕を伸ばして捕った遊撃手も、みなすばらしい。 果たして我々のメンバーならどうだったのか。チームとして彼らに 勝てるかはわからないが大きく劣るとも感じない。しかし果たして、 あの場面でストライクを投げ、打ち返し、難しい打球をさばけるのか。 できる選手は誰なのか、何人いるのか。全国に出るチームと出られない 我々との差を考える意味でもいい場面に遭遇した。

市営大宮球場、19:50。我々は朝一番で神奈川から来たとは言え この貴重な場面を見ていたチームメートは筆者ひとりで、他はみな、帰宅の途。 埋めるべき差は他にもありそうだ。


平成19年6月12日 --解説--

10日の巨人VS日本ハムの一戦での達川の解説(ラジオのニッポン放送)は 「聞きごたえ」のあるものだった。テレビ中継は終わってしまって いたのでラジオで聞いていたのだが、テレビも中継しなかったとはもったいない。

試合は3-2で日本ハムが辛勝したものだったが、9回裏だけで達川の解説に いろいろな要素が詰まっていた。3-1日本ハムリードの9回裏に1死で どこかに走者を置いて二岡が左中間に打球を打ったらしい。 これを中堅・森本が取れずに走者は生還して二岡は二塁打となったのだが ここでの達川の解説は「(レフトの)紺田がすばらしいカバーリングをした」である。 なんでも、場合によってはランニングホームランか三塁打になっても おかしくない打球だったらしいのだがうまくカバーして二塁打で 止めたと言うのである。そしてこのプレー、この1進塁が結果的に勝負を決する。 次の達川の解説は「2塁走者になった二岡を代えてもいい」であった。 ベンチには球界トップクラスの俊足・鈴木がいた。ところが巨人ベンチは 代えないまま、次打者・脇谷はレフト前安打を打つも二岡は還れず3塁止まり。 1.3塁になったところで3塁走者となった二岡に代走・鈴木を送った。 達川とすれば悔いるところであるが「何か理由があったのでしょう」 とは話していた。

さらに次の場面、1死1.3塁から巨人ベンチが矢野に敢行させた作戦はセフティースクイズ。 ところが今度は3塁走者・鈴木がスタートを切れず、アウトだけ増えて 2死2.3塁。日本ハムは高橋由を敬遠して満塁として実松と勝負。 実松を代えてしまうと捕手がいなくなるので代打を送らない巨人ベンチに 対して達川は「小笠原も木村拓も捕手で入団している。できないことはない。 代打を送ってもいい」の解説。結果は2死満塁から実松がサードゴロで試合終了。 巨人は惜しい試合を落とした。

すべて達川の言う通りの采配にしておけば巨人が勝てたのかはわからないし、 言うのとやるのは違うというのもわかるが、すべて達川の言う解説は当たったと感じた。 1個の進塁、1個のアウト、一人の打者、一人の走者、 そこにこだわった細かな解説で、とてもよかったと思った。 冒頭で「テレビ中継していなくてもったいない」とも書いたが、 日本テレビの解説でこのレベルを期待するのも難しい。 どっちみちラジオでよかったか。


平成19年6月4日 --ZARD--

ZARDの坂井泉水が亡くなった。理由もはっきりしない。メディアに ほとんど露出せず神秘性を保っていた彼女が、死に至るときまで ベールに包まれてしまったかんじだ。

数少ないコンサートなどにも行ったことはなかったが好きなミュージシャン ではあった。CDをほとんど購入しない筆者が、ZARDについては何枚かは購入した。 ZARDのよさについて、あちこちで言われてきているが、やはり筆者も 言われてきている事柄と同感で「透明感のある声」と「歌詞」だと思っている。 特に歌詞がすばらしかったと思っていて、自分が一時期まったく 恋愛ができないというか、やろうとしてもうまくいかないときの心情が、 ことごとくZARDのどれかの歌の歌詞にあてはまっていた。 「まさにこの気持ち」「そう、当たってる」「なんでわかるの?」。 この人はすごい、作っている詞の数だけ失恋の経験があるのか、 そんなことを思わせた。

まったくうまくいっていなかった恋愛がうまくいき始めた。 着実な前進のもと、失恋ソングも必要なくなったかと思ったころ、 そんなことは望んでいないのに坂井泉水が亡くなってしまった。

戒名「澄響幸輝信女」らしい。ご冥福をお祈りいたします。


平成19年5月28日 --英断--

坂井泉水さんのご冥福を心よりお祈りいたします。

太田さん(西武ライオンズ球団・太田秀和元社長)のことをここで書くのは いかがなものかとしばらく悩んではいたが、思うところを書いてみる。

最初にアマチュア選手への現金供与を太田さんが明らかにした際、 他球団のある監督から「西武は公表しなくてもいいのに」といった コメントが出た。暗黙の了解としてみんながやっていたことなのだから わざわざ騒ぎにする必要はない、という意味だろう。事の是非はともかく その意見はわからなくない。ただし太田さん自身の考えとして、 今回知り得た事実につき、一人の人間として黙っておく選択ができなくなった のだろうと、筆者は解釈している。筆者はそれは「正義感」「倫理観」に 近いものだろうと思っているが、ある卒業生は「野球界を根本から洗浄しなおすための 第一歩を踏み出す意図があった」とも言う。後者の意見はちょっと美談すぎるというか 大げさな気もしないではないがありえる解釈ではある。

次に調査委員会の結果が出たあとの身の振り方をめぐってマスコミから 厳しい指摘もされた。責任をとってやめるでもなく副社長降格止まり。 他のスカウト陣の処分も含めて、全体的に中途半端で甘いという指摘である。 ただしここは、責任感があるからこそ、強く責任を感じるからこそ、 あえて現場への留任を選択したととらえている。「責任をとってやめる」 ことは一般によく行われることだが、やめてしまうと、とれる責任も とるチャンスがなくなってしまうとも思う。決して保身の意味ではなく、 やり残していることがあるからこそやめなかった、という選択だと信じている。

ここでの文章は相当の身びいきがあるとも思われてしまうかもしれない。 一方で大先輩を取り上げてあれこれ語ること自体が失礼との批判もしかるべきと思う。 そういう意味で、ここで筆者自身の考えを書く必要はないのではないかと 思ってはいたが、野球界について思うことを記しておきたくて、 書くことを選択した。気分を害された方には申し訳なく思う。

(公開にあたって一部追加・修正)


平成19年5月21日 --野球連盟--

コーヤレンは何をやってるんだ。

最初が特待生制度の調査。はなからそんなもの「禁止と言ってもやっている学校が ないわけないだろう」とは野球への関わりが薄い人でさえ思っただろうが、 申告してきた学校数・学生数を聞いた会長だかが「こんなに多いとは思わなかった」の言葉。 おいおい、それはないだろう。知らないわけないだろうと思うがそれなら発言がうそだし、 本当に知らなかったならばそれまた(その方が)問題だ。そして暗黙の了解のように なっていたものを悪者扱いして騒ぎにしておいて、その後の対応は「各校に任せる」。 やるなら徹底的にやる、見ぬふりするなら見ぬふりする、 どちらかにすればいいものをなんとも中途半端な対応である。

高野連に限らず野球の連盟というものは全体的によろしくない。プロ、社会人、大学、高校...。 共通しているのは野球をやっていたかいなかったかもよくわからない、あるいは やっていた面影もないような "おっさん" "じいさん" が幅をきかしていることである。 彼ら自身が連盟に関わる(名を連ねるだけを含む)ことで何か利得があるのかよく知らないが、 どうも現場からずいぶんかけ離れた発想・雰囲気・体質を感じざるを得ない。 もちろん、全部がそうというわけではなく、自分の知る野球連盟の中でも真剣に現場に 耳を傾けていい方向にリーディングしようと努力しているところもあるのだが...。 全体的に考え方が古いし、だから新しく変えていこうという雰囲気が出てこない。 末端からの意見を聞く姿勢も見られないが、だからと言って○○長なるトップが リーダーシップを持っているわけでもない。野球界全体が重苦しいムードなのも当然か。 なんにもできやしないよ、これじゃ(少なくともいい方向には)。 野球界の行く末は明るくはない。


平成19年5月14日 --成長--

野球以外のことをほぼすべて犠牲にしたゴールデンウィーク、 目指していた大事な大会で優勝を果たすことができ、上位大会への進出を決めた。 チーム創部12年目で、この大会での優勝は初めて。充実した大会だった。

チームは12年目で筆者は入部9年目になるが、9年の中でもチームは大きく変わった。 何が変わったか、についての自分なりの見解はいくつもあるが、 まだ最終ゴールを果たしたわけでもないし、あまり触れずにおく。 ここではあまり本質的でない部分の変化を、一例を出して紹介してみたい。

今大会の初戦、3点リードの4回裏2死1塁。1塁に主将のM、打席に前主将のFを 迎えた場面。ちなみに主将かどうかはあまり関係がない。 1走がランエンドヒットのスタートを切った投球でFが打った打球は フラフラとセンターの前へ。ショートとセンターの間にポテンと落ちて 人工芝で跳ね、センターの頭もわずかに超えた。と言ってもフェンスまで 転がっていったわけでもなかったが、いずれにせよ走者のMは一気に ホームまで走り抜けて貴重な1点を追加した。西武と巨人が戦った 日本シリーズで常勝・西武が見せた「シングルヒットで1塁からホームイン」。 むろん、打球や相手守備などは違うが、似たようなことを実践できた。 さらに特筆したいのが、センターから内野への返球のスキをついて打者走者の Fが2塁を陥れたこと。これだ。これが筆者がやりたかった野球だ。そう思った。

28才のMは学生時代に「黒ヒョウ」とも呼ばれたらしい俊足の持ち主。 特に瞬発的な走りよりも、走り続ける方がよりスピードが出ると学生時代の 指導者に言われており、1塁から一気の生還は理解もできるプレーである。 一方で31才のFはチームの中でも決して足が速い方ではない。 ただし10年を越えるベテランになってもなお、真摯にレベルアップを 考えている選手でもある。相手をよく見て、スキをついて、先の塁を 陥れたプレーは、走塁は足の速さだけでなく意識の部分が大きいことを示し、 また、自分たちが企業チームにやられることが多かったプレーを学び吸収することで 自分のものにしたという意味もある。

こういったプレーや姿勢を、ベテランが直接後進に伝えるにしろ 若手が盗むにしろ、なんらかの形で受け継いでいくことで伝統みたいな ものができていくのだろう。そういうチームを目指していきたい。


平成19年4月23日 --選挙--

横浜ベイスターズ、三浦・工藤の不調に打線の得点力不足まで 筆者の懸念は当たっているのに、予想に反するのは貯金2のチーム成績。 2試合連続逆転サヨナラ勝利まで演じた。よく戦っている。 シーズンを通してどうなるか?

選挙というのは不思議なことも多い。まず当選しなさそうな人は 当選しないので、それは不思議でもないのだが。昨日はなぜあんなに あちこちで市長選が行われていたのか。効率の面でいっしょにやった方が いいのかもしれないが別の市と合わせなくてもいい気もする。 投票日は1日じゃなければならないのか。何日か設けた方が投票率も 上がる気がするのだが、それも効率面でできないのだろうか。 投票率の低さを危惧する声が出るわりにそれに対する対策は 「みなさん、選挙に行きましょう」の呼びかけくらいしか見えてこない。 たぶん主軸を担っている人たち(与党?)は投票率が上がってわけのわからない 票が入ってくる方が、自分たちのためには困るのだろう。 辛うじて投票率を上げるための施策に見える不在者投票。 筆者も今回実施したが、投票日の不在理由を選択肢から 選ばなければならないのも解せない。別に隠す気持ちもないのだが、 言う理由も見えてこない。

長崎市では大変痛ましい事件も起きたが、投票日の延期などは できなかったのかとも思う。事件後に出てきた立候補者については 選挙活動の時間もなかっただろう。一方でそれだけ時間のない中でも 「なぜ出てきたの?」と思う立候補者もいて、それはそれで不思議。


平成19年4月16日 --顔ぶれ--

プロ野球が開幕して各チームの先発投手をながめたりもするが、 1年でだいぶ顔ぶれが変わるものだと感じる。

自分がファンである横浜ならば今年は三浦・土肥・工藤・寺原・加藤・川村で まわしているが昨年も先発ローテーションに入っていたのは三浦だけ。 土肥も入ってはいたが抜けていた時期があったはず。あとはいったい 誰が投げていたのかと、不思議な気持ちにすらなる(門倉はすぐ思いつくが)。 有名球団である巨人は内海・門倉・高橋尚・姜・金刃・木佐貫で まわしているがこれまた昨年もローテーションに入っていたのは内海くらい。 姜は途中からローテーションに入ったし、高橋はチーム事情で 抑えにまわったりもしていたが、年間を通して投げていたのは内海くらいか。 井川が抜けた阪神は能見・小島に外国人二人がローテーション入りで 開幕投手は下柳。そんなにごっそり抜けたか? と思わせるような 顔ぶれの変わりようである。

一つにはトップレベルの選手が大リーグに移籍してしまう問題があるだろう。 もう一つには、ちゃんとは調査していないが実働の年数が短くなっている のではないかとも思う。オフの合同トライアウトに多くの 選手が参加しているかんじがするし、ちょっと前まで主力だと思っていた 選手もわりと混じっている。雇用がよりシビアになっているということか? また、故障も多い気がする。ここについてはあまりよくわからないが、 トレーニングの理論などはどんどん進んでいるのに、そのわりに 故障が減っているのか疑問ではある。 そして、長く一チームで活躍する選手の数が減少してしまうことは 人気低下にも結びついている気もする。

一方で仕方ないかと思う面もある。自分のやっている野球はプロフェッショナルでは ないが取り巻く環境は自分が入った10年弱前から大きく変わっている。 クラブチームの増加と企業チームの減少。大会の運営や方式も少しずつ変わる。 解雇などないのに自分のチームの選手の顔ぶれさえもだいぶ変わった。 野球界全体の動きが大きいということか。でも、自分の取組み方(のよい部分)や 真剣に勝ちたいと思う気持ちなどは変わらないでいたい。


平成19年4月9日 --戦いぶり--

横浜ベイスターズに対する心配は当たってしまい、三浦・工藤が それぞれ2試合投げて0勝2敗ずつ。打線もなかなか得点が取れない。 ところが予想外なのは三浦・工藤以外で4勝1敗であり、両投手の 借金4をカバーして5割弱の勝率。さてこれからどうなるか。

昨年1試合も観戦しなかったVリーグ(今年からVプレミアリーグ)女子を 今年は何回か観戦した。10チームがまずファイナルラウンド(4強入り)を 目指してのレギュラーラウンド(総当りリーグ戦)、 途中から4強入りは5チームくらいにしぼられてしまったが全体として おもしろいリーグ戦だった気がする。どの対戦も、どちらが勝っても おかしくないような実力拮抗だったように感じるからだ。

例えば4強入り最後のイスを目指して猛追したNECは1巡目の総当りを 1勝8敗の最下位でスタート。最後に5位まで浮上したから実力はあったと思うが、 何かが噛み合わなければこれだけ敗戦が続いてしまうということが示された。 あるいは例えば最下位を争った末に9位となった日立佐和。 レギュラー選手の引退などによる戦力不足の部分に対して十分理解の できる補強をしたと思う。慣れているとは言え(?)敗戦が混む中でも 前向きに取り組んでいるとも見えたし、試合展開も必ずしも悪いとも感じない。 ただし結果だけを見れば6勝21敗と大きく負け越してしまって 入れ替え戦にまわることになった。まさか降格することはないと思うが、 このバレーを展開していて9位というのは全体のレベルが上がっている のだろうと感じさせられた。リーグ戦を首位で通過した久光製薬の 勝率.741も歴代首位通過チームの中でも低い方であり、楽に勝った わけではないことも垣間見える。

全体としての大目標としてオリンピックでの上位進出がある。 楽しみにして見守っていたい。


平成19年3月31日 --心配--

横浜ベイスターズが心配だ。多少期待も持てるかと思った今季、 オープン戦から調子がよくない。投手陣の柱となるべき三浦・工藤が オープン戦でもちょこちょこ打たれ、「本番は大丈夫」といったコメントが 出ている。さすがに信じていいだろうとは思っているが、公式戦に 入ってもなお打たれるようであれば投手陣が総崩れになりかねない。 打線にいたってはオープン戦でもっと調子が悪い。ベテランの仁志・石井に 頼りすぎていいのかと心配でもあるが、イキのいい若手が台頭している 雰囲気もあまりなく、どう転んでも心配だ。中日・阪神の背中は遠いかな。

自分の野球も、勝っていくにはどうするのか。自分の人生はどうして いくべきなのか。考えるべきこと、悩むことは多い。


平成19年3月19日 --確定申告--

大人の階段をまた一歩上ろうと、確定申告に行ってきた。 多額の金銭の出入りがあったわけではないのだが、行ってみた。

期間の終了間際だからか、だいぶ混んでいた。プレハブの中に 長机が並べられていて、列を作って空くのを待ち、空いたところで 申請書の作成。税務署員(?)が歩き回っていて、つかまえて質問はできる ようになっているがかなり急がしそう。ただ、配られた記入説明書が わりと丁寧にわかりやすく書かれており、最終的に質問はしなくてもすんだ。 申請書ができたらできたで、今度は提出用の列に並ぶ。 手帳を机に置き忘れ、大声でフルネームを呼ばれる失態も。 午前半休で税務署に行ったが午後の出勤はギリギリ。 税務署に行ったがための交通費430円。還付されるお金、900円。 それでもいい経験になった。まったく税というのはなんであんなに 種類が多く、計算も複雑になっているのだろうか。全員一律で いいとまでは言わないが、そんなに複雑にしなくてもいいのに、とも思う。 考えた人はすごい。


平成19年3月12日 --感じること--


平成19年2月26日 --火曜9時--

2009年に活躍を期待する横浜ベイスターズの選手に、山口と石川も入れておこう。

日本テレビの火曜日午後9時の番組といえば「火曜サスペンス劇場」。番組自体 長く続き、筆者もある時期からあとはだいぶ長く(10年以上)見ていた。 毎週わりと楽しみにしていたので、1年半前に終わってしまったのは残念だった。

そのあと同じ時間帯は「ドラマコンプレックス」「火曜ドラマゴールド」などと 名前を変えて(コンセプトも変えて?)2時間ドラマを放送し続けている。 ただしこの枠の視聴率が悪いとかで、日本テレビが「火曜サスペンス劇場」以来 長く続けてきた火曜日午後9時の2時間ドラマをやめることも検討している との記事をどこかで読んだ。

今もこの枠のドラマを見ているが、なかなかどうして、これがおもしろい。 「火曜サスペンス劇場」は筆者も楽しんで見てはいたが、 長く続いたこともあってか、いくつかのシリーズについてはマンネリ化しているような、 犯人がわかってしまうような、そういうところはあった。今の「火曜ドラマゴールド」は サスペンスだけではないのだが、毎週のように「おっ」と引き込ませるものがある気がする。 おもしろいと思う。ただし大衆的じゃない。マニア向けとかニッチ市場と言ったら 言いすぎだろうが、一般の受けは得づらいかもしれない。 これはこれで悪くない試みにも思えるが、視聴率という 現実もあるだろうし、視聴率が上がって来ないならばそれもわからないではない。 難しいところだが個人的には「継続に一票」。


平成19年2月19日 --櫻井由香、最接近--

それは予期せぬ突然の出来事だった。

平成19年2月18日、尼崎市記念公園総合体育館。Vプレミアリーグ、デンソーVS日立佐和の 試合直前。両チーム先発メンバーが発表されてコートに出てくるときにスタンドに 投げ入れるサインボール(本物のバレーボールよりは小さい)。デンソーのリベロ・櫻井由香の 投げたボールは一直線に筆者の方向に向かってきた。取れると思い、大事に胸で抱えるような 体制をとったが後ろの人から手が出たか、とにかくはじいてしまった。床に落ちたボールは 女子中学生二人と取り合い。ここでしがみつくのはさすがに大人気ないかと思って身を引いた。 惜しいことをした。

Vリーグを生で観戦し始めた、自身24才の平成11年。たまたま見たデンソーの試合で、 やはり24才の櫻井は目に止まった選手で、その後 "つかず離れず"(大ファンになって のめりこむこともなく、忘れることもなく)気にかけてきた選手だ。 リベロという新しいポジションで抜群の存在感を表して 日本代表にも何度か選出。32才となった今もチームのレギュラーとして活躍しているのは、 同い年がほとんど引退して現役に残っていないことを考えれば立派である。

自分自身がサインボール目当てで観戦に行っているわけではないこともあるが、 ボールが自分の付近に飛んでくることすらほとんどなかった気がする。 それが初めて、自分に一直線に向かってきた。それもこちらが勝手にずっと 気にかけてきた櫻井からである。千載一遇のチャンスであった。これを逃したショックは大きい。 試合中はなんとか切り替えて観戦に集中したが、新横浜駅到着時、やはり軽い失恋のような 喪失感を感じた。

自分も多少年齢を重ねたからか、「一期一会」というものを意識することがある。 なんだかんだ言っても、人との出会い自体はまったくないこともなくてけっこうある。 ただし1度の出会いを大事にしておかないと2度目から先がないことも多い。 今回の櫻井が投げたボールの軌道はまちがいなく筆者から見た「最接近」を感じさせる ものだった(物理的な最接近は過去にどこかの会場でもっと近い場所で見ているはず)。 ただしこれを逃したわけだからもうないだろうな...。宝物は立て続けに簡単には手に入らない。 でもこの選手をこれからも気にかけていきたい。限界までがんばれ、櫻井。


平成19年2月12日 --16年の時を越えて--

先日、野球関係の集まりで、かねてから話してみたいと思っていた人と、 少しだが話すことができた。プロ野球からドラフト指名される 選手を2年連続2名輩出(2年で4名輩出)したN社硬式野球部。そのK監督と お話しさせていただくことができた。

学生時代に必ずしも有名でもなかった選手が入社してからよく育つN社野球部 (プロ入りしていない選手も含めてよく育つ)。むろん、チーム力は全国トップレベル。 まさに指導者の指導力の賜物だろうと前々から思っていた。 そこでそのチームを率いるK監督はどんな指導をしているのだろうかとは、 前から興味があった。時間も少なく、あまり深い話は聞くことが できなかったが、自分のおかげでもなく選手やコーチのおかげ、 と言うあたりは謙虚に感じた。

実はK監督と話したのは初めてではない。高校1年の冬、自分の高校の野球部の 練習にN社野球部の選手二人が1日だけ指導に来てくれたことがあった。 強くもない公立高校だったから、外から指導者が来ることすら珍しかった。 筆者個人もそのうちの一人からキャッチボールのことでアドバイスいただいた のを覚えていた。 それがK氏だったかもしれないと気づくのは10年以上あとのことであり、 さらにそれを高校時の監督に確認したのはまたそれよりしばらくあとのことなのだが、 今回K監督に当時の話をぶつけてみた。もちろん筆者個人のことは向こうは覚えておられないし、 学校の名前すら覚えておられなかったが、どういう部だったか、選手が どういう姿勢で取り組んでいた部だったか、などはちゃんと覚えておられた。 うれしかった。平成2年12月から16年以上の時を越え、その間、 非常に強いチームを率いるK監督への眼差しは尊敬に近いほどのものになり、 そして実はその「尊敬の人」と過去に話していたことにあとから気づき、 このたび再びお話しできた(16年ぶり2度目の...。ちなみにK監督は 20年くらい前だと思っていたとのこと。まあ似たようなものか)。

長く続けているといろいろなことが起こる。宝物のような数分間だった。


平成19年2月6日 --技術のプラットフォーム--

職場でもプラットフォームの話はよく出るが。

ハードウェアにしろソフトウェアにしろ、「これがプラットフォームです」という、 一つの形があると思う。開発にあたってはプラットフォームの改良を重ね、 不具合を減らし、新機能を加え、よりいいものにしていく。 ベースになるものがしっかりできていれば短期間に、安価に、新しい製品を開発できる。 ハードウェアの場合はわからないが、ソフトウェアの場合には 基本的に経年変化によるプラットフォームの劣化はないと考えていいだろう。

昨年、9月と12月に結婚式でバイオリン演奏を頼まれて、技術のプラットフォームを 作ることができないかと、本当に思った。どちらも同じ曲を弾いたのだが、 9月の式でひと段落したあとはその曲を弾いておらず、11月に入ってから次の依頼が あって再び練習を始めた。完全に一から始めなければならないものでもないが、 ある時点を目標に「1度仕上げた」状態から、しばらくその曲に手をつけていなかった 期間を置いてしまって、結局「もう1度仕上げる」に近いことをやるのはなんとも むだが多い。4年前の職場でのロビーコンサートは、 発表会直後だからこそ、曲が仕上がっていたからこそできたという事情もある。 まったくやらなくてもある程度のベースができているという意味ではそれが 技術のプラットフォームでもあるかもしれないのだが、せっかく1度身につけた技術は とっておきたい。ただし、この手の技術(テクニック)についてはそれが難しい。 野球の技術を保つのも同様だろう。身につけても、やらないと失ってしまう。 結局継続しか方法がないんだろうけれど、何かいい方法ないかな。 ずっと継続しておくのは、絶対必要だが効率としてはよくはない。 工学技術で言うプラットフォームのように何かできないものか。

(公開にあたって一部修正)


平成19年1月29日 --野球選手の値段--

松坂が一人で60億円を動かしたとかいう話を昨年書いたが、 人間一人の値段がこうも激しく変動する世界も珍しいかもしれない。

直撃を受けているのが中村紀。オリックスから大減俸を持ち出された という話から始まるが、その提示金額が8000万円(推定)。金額の問題以外で 話がこじれたのだろうが、自由契約になると本人は「2000万円でも3000万円でも 獲ってくれればいい」の発言。一方で他チームからは「450万円でも獲らない」 「1000万円でも獲らない」の声。たった1年前には2億円以上、 近鉄が破綻するときには「なんで数十億の赤字なのに中村には5億円の年俸が 払えるのか」と引き合いにも出された選手がなんで短期間でこうなるのか。 故障があったとは言え2〜3年の間に出せる成績がそこまで大きく変わるとも思わない。 こうなってくると通過点だった8000万円という金額も妥当だったのか 高かったのか安かったのかもまったくよくわからなくなってくる。 そもそも5億円が高すぎたのではないかとも思えてくるがなんで1度は 5億円になったのかもよくわからなくなってくる。

横浜に移籍した工藤は年俸9000万円と言われているが、減俸額が2億円に なる(前年が2億9000万円)とかで史上最大幅の減俸らしい。 9000万円なら同世代のサラリーマンよりだいぶいいではないか、 という声はどうせ出てくるのだろうが、1年でこれだけ変動すると ギャップゆえの生活への影響というのがあるだろうと、勝手に心配してしまう。

結局決め方とかも「てきとー」なんだろうな。ポイントをつけて 査定はやっているんだろうけど。「てきとー」ではないにしても、 それが通るような雰囲気の世界なんだろうな。


平成19年1月23日 --いつ横浜に期待?--

横浜ベイスターズの今季陣容がだいぶ固まったと言っていいだろう。 わりと選手の出入りは多かったかもしれない。多村と寺原の交換トレード、 仁志と小田嶋の交換トレード、門倉のフリーエージェント人的補償で工藤獲得、 などなど。

横浜市が2009年に開港150周年を迎えるというのでその年に ベイスターズも優勝したい、そのために3年計画的に考える、 というような話も新聞では読む。一昨年暮れからすでに言われていたと 思うが筆者はそこには疑問を感じていた。それなら翌年に優勝 する可能性の方が高いよ、と思っていた昨年が最下位だったので 筆者の予想自体ははずれたのだが。今季の補強にしても2009年の優勝を にらんでいるかと言われると疑問である。大矢監督が「2番に石井。 1番は仁志か、レギュラーを取れば内川」とも言っているようだが、 仁志・石井の1・2番が2009年にバリバリ活躍しているとも考えづらい。 実績十分の工藤には今年の活躍は期待するし、若手へのいい手本という 面があるのもわかるが、2009年にバリバリ活躍している姿は想像できない。 新人のみならず寺原ら、若い選手も入っているが、2009年に主力としての 活躍をしているだろうと想像できるのは村田・吉村くらいか。 目指すのが2009年の優勝なのか、今年いい戦いをすることなのか、 非常にあいまいである。

筆者は2009年だったら今年の方がまだ期待できる気がする。 今年に期待しよう。まあ、それならそれでいいのか。


平成19年1月15日 --年始の願い--

年始から体調を崩して初詣も行けなかった。願い事もしていない。 体調が直ったかと思ったところでまたおかしくなったりして苦しかった。 「野球で全国大会へ」「幸せになるぞ」「交通安全」とかいくつか願い事は ないことはないが、まず健康がなにより大切である ことを年始から強く感じさせられた。


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