(山口陽三筆)
日にち | 1月31日(月) | 2月1日(火) | 2月2日(水) | 2月3日(木) |
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主な行程 |
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球場 |
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甲子園 出場校 |
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新卒入社からまる10年。勤務先会社の配慮で、昨年2月から今年2月までの1年の間に、永年勤続のリフレッシュ休暇として 10日間がもらえることになった。恋人との長期の旅行も(漠然と)期待した時期もあったが実ることもなく タイムリミットが近づいてきた。どうしようかと思案していたが、ターゲットを2月の沖縄にした。 残り少なくなってきた「行ったことのない県」の一つであること、プロ野球のキャンプというものを 見てみたいことなどから、決めた。
とはいえ職場を2週間不在にすることで直前の業務がバタバタしていたことと、沖縄ゆえにレンタカーの移動を 予定していたために時刻表等を調べる必要がないこととで、行程をほとんど計画しない、 まれな一人旅となった。
1月31日(月)
羽田空港から那覇空港へ。2時間強の空の旅。11時すぎ、初めて降り立った沖縄は那覇空港。プロ野球キャンプを
歓迎する横断幕もある。空港ではマスコミも多少。斎藤佑樹が所属する日本ハムがキャンプのために
沖縄入りするとかで準備しているのだろう。もうすぐ到着だとかいう声も聞かれたが、
今回は混雑が予想される日本ハムのキャンプはあえてはずすなどしている自分なので、斎藤佑樹に興味はない。
日本ハムが到着した時間には、空港に1200人ほどが詰めかけたというがその時間には筆者はとっくに空港をあとにしていた。
レンタカーを借りてまずは沖縄セルラースタジアム那覇へ。空港から観光のために首里城に向かおうと 思っていたが、途中にこの球場、目当ての食堂、興南高校などを経由していくとちょうどいいことに気づく。 レンタカー出発。沖縄のアスファルトは滑りやすいので気をつけてと書かれていることもあり、 必要以上の安全運転。だが道もすいすいでもなかった。そんなに走らないうちに見えてきた、セルラースタジアム。 少し離れたところからでもそれとわかる、街中にバーンとした立派なヤツが現れたかんじ。 さいきん建て直してプロ野球公式戦も行われたという球場。このあといくつかのキャンプ地の球場を 見ることになるが、結果的にセルラースタジアムがハードとしては最も立派だった。 しかもイメージ色がオレンジというのがまた、巨人のキャンプ誘致を連想させるではないか。
(センター側から。傘が印象的) |
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レンタカーの最初の設定で地元FMラジオが入っている。変更の仕方もわからずCDも持参してきていないので そのまま流していた。今年は特に沖縄にプロ野球チームのキャンプが多く集結するということで、 野球関係の話題も多い。巨人こそ2月1日の沖縄入りではないものの、韓国プロ野球チームを含めると 14チームが沖縄でキャンプを張るという。これまでプロ野球キャンプでの経済効果が最大だったのが 2008年の63億円だったらしいが今年は巨人の沖縄キャンプと斎藤佑樹効果とで110億円規模が見込まれる、 とラジオで報じられていた。
沖縄での最初の食事、この日の昼食には沖縄そばを選んだ。訪れた店は那覇市寄宮の「いれい家」。 さいきんの旅行記では訪れた店名を明記しないようにしていたが、今回は悪く評する店もなかったことで、 紹介していこうと思う。店は、主に「るるぶ」で紹介されているところを訪れた。 しかしこの「るるぶ」が2007年版。当時1度は沖縄を訪れる計画があり、詳しく述べない理由で流れたが そのとき買った「るるぶ」をもとに今回の旅行を計画していた。
「いれい家」は、お店というよりも普通のおうちというかんじ。本で紹介されていなければ 見つけることはできずに通り過ぎただろう。席も、普通の和室。ただ、出てきた沖縄そばはおいしかった。 帰る際に主人(伊禮(いれい?)さん)が話しかけてくれる。関東からプロ野球キャンプを見に来たこと、 「るるぶ」でこの店を知ったこと、おいしかったこと、など話した。三線を手に写真を撮ってくれた。 東の海に行こうかと思うがどこがいいか聞いた。海中道路は、と聞いたが、それなら遠いので名護の方が 感覚的には近いくらいだと教えてくれた。とても温かい気持ちになれた昼食だった。
沖縄そば |
三線と俺 |
少し走って興南高校へ。甲子園に出場した高校のグラウンドを見学するコレクション。 興南高校と言えば単なる甲子園出場どころか、最も直近の甲子園優勝チーム。高校野球史上だって、 最強の候補にもなっていいかもしれないチームだ。いったいどんな環境で練習をしているのか。 多少怪しまれながらも(?)構内に侵入。校舎よりもグラウンドは、階段を下りた眼下にあり、 ぱっと目に入った光景が、レフトスタンドから一面を見下ろすような光景。これはすばらしいな、と感じた。 黒土、ゲージ、ベンチ、高いネット、ブルペンには屋根...。ただ、外野は芝生ということもないし 広大ではあるが野球場の形をしているわけでもなくライトの方はそのまま広がっている。 脇にもグラウンドはあるのでほぼ野球部占有で使えるのだろうが、グラウンドだけならば公営球場顔負けの もっと最新鋭の専用球場を持っている学校も、あるにはある。最強チームは、グラウンドだけで醸成されるわけではない。
ここでも女性教諭らしき人が話しかけてくれる。「3年生は今日が最後の登校日で、さきほど先生に(監督に?) あいさつに来ていたんですよ」など。「こちらの3年生はだいたい大学受験されるんですか?」の こちらの問いには「大学に行く子はみんなほとんど推薦で決まっているので...」といった回答。 興南高校の生徒一般のことを聞いたつもりの筆者に対して教諭の回答は野球部の学生に限っていたようにも 聞こえ、ちょっとコミュニケーションのすれ違いがあった。ほんの数日後、興南高校の島袋投手が 中央大学野球部の練習に合流したと報じられたので、この日を最後の登校日として上京したのだろう。
また少し走って首里城へ。もともと、城の鑑賞にも多少の興味はある筆者だが、そういえばさいきんは 少し薄れてきていた。今回も観光名所の一つとして楽しみに訪れはしたが、現在の首里城は、 戦後に建て直したものとのこと。少し残念。旅行客を引き連れた添乗員の説明も横で聞いてみたりするが、 屋根の上の飾り(?)の色も黒ずんで来てしまうので、今は白く塗り直す工事をしている最中とのこと。 独特な色や飾り、上の方から眼下を見下ろす景色には感嘆したが、他はあまり印象に残らなかったかなあ。 土産物屋に寄ると、ある店の若い女の子がすごくフレンドリーに話しかけてきて、銀やガラスを使った お守りの説明をしてくれる。「恋活(コイカツ)中なんですよ」と言うと、ピンク色のものをすすめてくれる。 結局買いはしなかったが、やはり、積極的に話しかけてくる人が多いのかな、と感じる逸話だった。
(正殿を外から) |
(上の方から市街を) |
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首里城のあとに東の海を、と漠然と思っていたもののいれい屋の主人に東の海はあまり見どころがないと 言われた。であれば名護方面をと言われたこともあり、地図を見てみると、名護中心部ではないが 辺野古があるではないか。昨年5月、ときの鳩山首相が沖縄の米軍基地を国外とか県外とか言って 騒いだのち、妥協案として出てきた土地だ。さいきんメディアで名前を聞かなくはなったが、 ごくさいきん「ときの土地」となったところだ。ここに向かい、さらに今日ならばまだ混んでいないであろう 名護市営球場にも足を伸ばそうかと画策した。 那覇インターから高速道路に乗り、宜野座インターで降りる。たまたま沖縄で高速道路無料化実験を していて助かる。宜野座インターを降りてすぐ、わりと立派な野球場およびドームを発見。 不自然な光景にもしやと思うとやっぱり。阪神タイガースのキャンプ地だった。 阪神と言えば安芸でキャンプをやっていた印象があり、沖縄でのキャンプはさいきんだろう。 であればこの宜野座のキャンプ地整備も最近か。芝がきれいな球場と立派なドーム。 ここで野球ができるのは幸せだなあ。 しかし球場はまだしも、ドームを造ったのはさいきんか? この地にこれがあってもキャンプ期間以外は 使い道がほとんどない気もするのだが、そうまでしてでもプロ野球のキャンプは誘致したいものなのだろう。
(宜野座村営野球場) |
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近くに宜野座高校も発見。甲子園に出ていたか自信はないが、敷地に入ってみると甲子園出場記念の モニュメントがあった。ごく普通のグラウンド、土は黒ではなく赤っぽい。ここからも甲子園へ。 たいしたものだな。
(モニュメント) |
(すぐ奥に阪神キャンプ地) |
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さらにしばらく走って辺野古へ。ただ、海も静かなたたずまい、飛行機がひっきりなしに 飛んでうるさいのかと思えば、そんなこともなく。なんてことなく帰ってきてしまった。
もともとは名護に向かう予定だったが、たなぼたで球場を1個見られたこと(宜野座村営野球場)と、 おかげで時間がなくなってきたこととで断念し、宿泊地である那覇に戻った。 沖縄ワシントンホテルにチェックイン。フロントに、ホテルの5分圏内周辺マップがあった。 地元を知らない人間にとって、こういうのは助かる。「るるぶ」では限界もある。 とはいえ夕食は「るるぶ」で紹介されていた、県庁前駅周辺の「吉崎食堂」。 ここもまた、若い店長が気さくというか話好きというか、いろいろ話しかけてくれたうえに、 かつおが旬だからとすすめてくれた。かつおというと高知が有名な気がするが、ここ沖縄でも戻り鰹の おいしいのが食べられるという。なるほど、おいしかった。海ぶどうもプチプチと堪能。 アグー豚の炒め物では、1人前だと量が多いからハーフにしておきますか、と気を使ってくれる。 「るるぶ」を読みながら翌日以降の行程を 検討していると「何読んでるんですか?」。るるぶとわかると、見せてくださいという話になり、 4年前のものだと言うと、「あ、これ俺の前の店長や!」とのこと。初めての泡盛への挑戦もこの店に なったし、初体験によい泡盛を紹介してももらった(なんという銘柄だったか覚えてないけれど)。
吉崎食堂での夕食もそこそこ食べたがさらに周辺マップで紹介されていた焼き鳥屋「吉兵衛」へ。 たまたま入ったこの店でもまた、不思議な出会いがあった。夕刊ゲンダイのスポーツ記者と遭遇。 横浜ベイスターズ・ヤクルトスワローズ担当で、翌日からのキャンプインに向け、 沖縄入りしているとのこと。プロ野球を担当する記者と同席することもなかなかないし、 それがまた夕刊ゲンダイというのがコアだ。ゲンダイの記事についての感想や、内部の事情など ひとしきり話したり聞いたりし、楽しい時間だった。やがて記者の逆側の隣の地元のオバちゃんが 会話に入る。筆者は主に聞いていただけだが、これはこれで、重く意味のある話をしていた。 太平洋戦争時、沖縄は本土の捨て石だった。沖縄は政府に言いたくても言っていないことがいっぱいある。 沖縄戦では米軍に多くの沖縄人が殺されたが、中には日本軍に殺された沖縄人もけっこういる。 中国残留孤児の問題は日本人が育てられなくて中国に子どもを捨ててきたも同然で中国人に育てて もらったんだから中国に一概に文句を言えない。戦後の沖縄人に対する本土の人からの差別はひどい ものだった。沖縄の言葉は五十音には乗らない、標準語になんかしたがえない...。 「言えばいいじゃないですか」記者は言った。筆者もそう思う。というか、夕刊ゲンダイでこそ 書いてほしい。ここでの話は非常に貴重な体験となったが、一方でもっと深く踏み込めばよかったと 後悔も残る時間となった。例えば米軍基地問題を沖縄人としてどうとらえているのか、そういうのも 質問すればよかったと悔いは残る。まあ、後悔は別としても、これだけしいたげられてきた沖縄人が なぜ声をあげないのかを考える、よいきっかけにはなった。一つには「何を言っても変わらない」 というあきらめかもしれない。あるいはそうではなく、異常なる精神力の強さを持っているのかもしれない。 だって、気さくでもあるし陽気でもあるではないか。これだけ不遇な扱いを受けてきて、 気さくで陽気でいられるのは、精神力が異常に強いからとしか考えづらい。 結局どうだったのかの自分なりの結論をも出せていないが、午前1時ごろまでかかった沖縄滞在初日は、 相当のボリュームを持つ、長い長い1日となった。
2月1日(火)
明けて2月1日。キャンプイン初日。初日に向かう球団をどこにするかは少し思案していた。
ファンであるのは横浜ベイスターズだ。ただ、No.1のチームからまわるのもいいなと思っていた。
No.1、日本一はロッテだが石垣島への行程は考えていない。ならばセ・リーグ1位の中日という手もある。
迷いはしたが、横浜にした。というのも、No.1の中日はじっくり1日見ることとし、横浜は他チームと
抱き合わせの1日にしよう、ということにした。そういう意味では、ファンである横浜よりも
No.1の中日が上回ったことになる。とにかくも宜野湾に向かった。
9時の宜野湾市立野球場到着。ただし早すぎたのか、選手もパラパラと現れてくる程度。 球場の観客席は開いていない。球場前でしばらく立ち往生していたので、いろいろな選手が入ってくる ところ、あるいは尾花監督、加地社長、若林オーナーらが球場入りするところも見られた。 山口はでかいな、大家も意外と肩幅があってでかいな、などなど。バレーボール選手を見慣れてきている せいか、身長だけで言えば驚くケースは少なかったが、やはりガタイというか体つきは、大きさを感じる。 それにしても下位に低迷するチームということもあるのか、訪れるファンも少ない。 一方でマスコミはそこそこいる。ゲンダイの記者も来ている。マスコミの方がよっぽど多い。 キャンプ初日ということでか、安全祈願が行われるらしく、ホームベース付近に準備がされている。 やがて9時半ごろから神事が始まった。1軍キャンプなので選手は1軍選手だけだが、他にオーナー・社長・ スタッフ・球団職員なども列席している。打撃投手役で有働もいた。筆者が大学生時代には開幕投手も 務めた経験がある投手だ。引退後どうしていたか知らなかったが打撃投手だったのか。 ガタイもよくなった感がある。
(安全祈念祭) |
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神事はわりと時間が長かった気がするが、10時ごろから練習開始。まず外野に集まってウォーミングアップ。 トレーナーの先導で外野を3週ほど走り、体操・ストレッチ。続いてランメニュー。トレーナーは 動き方の指示も出しているが、「○番、いいねぇ〜」と声をかけたりして、楽しく取り組もうという 配慮も見られる。競争の要素も取り入れている。また、ここまでのメニューは投手も野手もいっしょだ。 筆者の所属するクラブチームではときにより人により、「アップは個人でもいいんじゃないか」 「投手と野手は別にアップする方がいい」など言う者もおり、筆者はあまり賛成ではなかったが、 プロもみんないっしょにやっているんだぞというのは一つの説得力になる。 まあ、メジャーは逆にみんなバラバラだったりするのかもしれないが。 監督・コーチもそばについて選手の動きを見ている。特に横浜は昨年、尾花監督とスタッフ、尾花監督と 選手の間の乖離が指摘されて低迷の遠因にもなったように言われていたが(乖離がなくても戦力的に 低迷した気はするが)、そのへんを改善していこうという気持ちの表れだろうか。
ウォーミングアップが終わると投手と野手は分かれる。野手はベースランニング。二手に分かれ、ホームから 1塁に走る組と3塁に走る組。3塁に走る意味はいまいちわからなかった。やけにうるさく声を出している コーチがいる。走塁コーチに新しく就任した米村コーチだ。「イシ、いこうか!」「マツ、いこうか!」 「よ〜し、いいね、シュウ!」「ひちょりもいいよ!」。このあたりの元気も取り入れるために 新しいコーチを他球団(オリックス)から呼んだのだろうか。これは当たりかもしれない。 ただ、この米村コーチの「五分でいいよ」のアドバイスもよくわからなかった。まだ初日だから ケガをしないようにという意図なのか、走り方(?)を作っている段階だからなどのことがあるのか、 ちょっと素人目には理解しづらかった。
ベースランニングが終わるとキャッチボール。始まる前には集合して守備担当の馬場コーチから説明がある。 説明の内容までは聞こえなかったが、キャッチボール一つでも意外と細かいことをやっているんだな。 ベースランニングの時間からストレッチ、キャッチボール、遠投を始めていた投手陣数人と合流し、 キャッチボール後に投内連係。1塁ベースカバー、ファーストゴロダブルプレー(投手が1塁カバー)、 バント処理(2塁送球)、バント処理(3塁送球)を織り交ぜてやっていく。 初日ということもあってか、若手が多いこともあってか、あまり上手じゃない投手が多い。 明らかなエラーはないまでも、微妙に送球がずれたり取りづらいところにいったりしている。 投手力が低迷する一因でもあるのか。
投内連係が終わると投手は退いて、野手は4ヶ所ノック。4チームに分かれ、サードはファースト送球、 ショートはセカンド送球、セカンドはバックホーム、センターはフライ捕球。1ポジション7分で ローテーションする。おもしろいのはキャッチャーも外野手もいっしょくたなので、左投げの 下園がサードやショートでゴロを捕球したりもする。プロでもタイミングが合わないとエラーしたりする。 そして当たり前だがノッカーのノックは上手。各ポジションの後ろに3人ずつくらい、トンボを持った アルバイトが控えており、7分のローテーションが終わればさっとグラウンドをならす。ベースランニングの ときも走ったあとをならしていたし、のちに行われるフリーバッティング中のティー打撃でもサポートの 人員は必要だ。見渡してみると相当の人数が手伝いにまわっており、当たり前だが選手たちは、 野球だけやればいい。こういう意味でも恵まれている。と同時に、選手・スタッフの滞在費だけでなく、 それ以外にも相当お金がかかっているんだろうなと、よけいなことまで考える。 自分もサポートスタッフのアルバイト、やってみたくもなった。
球場の外に出てみると売店のところで練習メニューが書かれたタイムテーブルを入手できた。 結果論だがこのあとまわるキャンプ地、どこでもタイムテーブルは球場に貼ってあって把握できるように なっているが、自由配布していたのは横浜だけだった。昼食をはさんで午後は13:20開始とのこと。 昼食に出ることにした。北谷方面に少し走り、「SEA SIDE JET CITY BURGER'S」というハンバーガーの店に。 上から下までとてもがぶりとかみつけないほど大きいハンバーガーを食べた。1個で十分満足し、少しビーチを見て、宜野湾へ。 4グループ(1グループ5人ほど)に分かれてのフリーバッティング。バッティングは2ヵ所なので、バッティングのチームは バックネット裏でティー打撃も。他に、フリーバッティングに多少合わせながらの走塁チーム、 ファウルグラウンドでノックを受ける守備チーム、ファウルグラウンドでマシンによるバント練習をする バントチームとに分かれ、30分ほどでローテーションする。グループ分けが同じではないが、 筆者の所属するクラブチームでも合宿時にはいくつかのグループに分けてフリーバッティング中に いろいろ練習したりはする。なるほど、我々のやることもまったく的が外れているわけではないのね。 そんなことも確認できた。そして始まってみると、フリーバッティングはともかくとして、他のチームは 意外と適当だったりもする。走塁だったはずのチームがやっていなかったり...。バントしちゃってたり。 配られた予定表から変更があったのかな。これまた、自分のチームでも、スケジュールをあらかじめ 決めておいても監督のさじ加減でいろいろ前後したり変更になったりすることはあるのだが、 同じようなことがプロの練習でもあるのかな、と思ったりもした。 フリーバッティングは初日ということもあるのか直球だけのようだった。打者もブンブン振るというよりは しっかり打ち返すのを心がけているかんじ。村田も、ホームランバッターではあるが、ティー打撃にしろ フリーバッティングにしろ、下半身をどっしりして右に打ち返すのを心がけているかんじ。 ホームランはほとんどなかった。今年から打撃コーチに復帰した高木コーチが熱心に練習を見つめる。 若手の北が打席に入っているがろくに前に打球が飛ばない。 直球だけを打っているがそれでも前に飛ばない。 高木コーチ、なにやらメモもしている。ビデオを確認するためのテレビ機材もグラウンドに置かれている。 かつてマシンガン打線の生みの親と言われた打撃コーチ、チーム浮上のきっかけを作ることができるだろうか。
(ティー打撃) |
(打撃練習を見つめる高木コーチ) |
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村田の打撃練習を見たあたりで球場をあとにした。ブルペンで投手陣の投げ込みを見る。 6人がいっぺんに投げられるブルペン。山口の直球もそうだが、高崎がもっとよかった。 高崎なんかまだ1軍キャンプに呼ばれていたんだ、と思ったが、確かに球だけ見ると期待はさせる。 この球でもあれだけパカパカ打たれるんだから相当打ちやすいんだろうなあ...。 当たり前だが球場に姿がないと思った尾花監督はこちらに。昨年まで現役だった木塚がいきなり 1軍投手コーチに就任した状況を考えると、尾花監督の「投手コーチ」としての役割も大きいものに なるだろう。キャッチャーの方を見てみると、なるほど、フリーバッティングで1番最初に打ったのは キャッチャーグループだったが、打ち終わってみんなこちらのブルペンで受けている。 投げ終わった投手ともコミュニケーション。1軍キャンプ帯同のキャッチャーは4人なので6人投げる ブルペンでは足りない...と思ったら芦沢コーチ発見。四国の独立リーグで見ているはず、 いつのまにか横浜のコーチになっていたのか。 独立リーグの監督から復帰した金森コーチがロッテの若手打者を育てていることで脚光を浴びている。 キャッチャーのレギュラーが決まらない横浜、芦沢コーチの手腕にも期待したい。
バックネット側のスタンドの1番上に上がって球場の外を見ると眼下に海が広がる。この球場は実は 海のすぐそばなのだ。球場は多少古い感じはあるが両翼100m、広々していて海も近い。なかなかいい環境だ。 スタンドからの海の光景も見たが、球場をあとにしてあらためて海岸近くに行ってみる。 なかなかきれいな海だ。自分も入れて写真を1枚(巻頭のもの)。
(スタンドから宜野湾) |
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宜野湾をあとにして読谷へ。中日の2軍が練習している。プロ野球のキャンプの見学をメインの目的と した今回の旅行だが、プロの中でも2軍はまたどんな練習なのだろうかと、漠然と興味もあった。 1日の練習を通して見学するのは明日の中日1軍としておいて、今日は横浜1軍と中日2軍のはしごとした。 順調に読谷には入ったが、肝心なところ、この道を曲がっていけば、とカーナビが案内してくれている ところが一方通行で入ることができない。代替策を探って走り回ったがその道を通らないことには 近づく手だてがすぐには見当たらない。もともと横浜のキャンプに長居してしまったことで時間も 遅めになってきており、あきらめてしまった。もう一つ予定していた読谷高校のグラウンドは見学できた。 当初読み方すら知らなかったこの読谷(よみたん)高校は、実は筆者の学年の春のセンバツ出場校である。 当時スポーツ新聞で各出場校が紹介され、学校出身の有名人として読谷村村長があげられており、 そんな人しか有名な卒業生はいないのかと、高校生ながらに笑ってしまった読谷高校。 卒業生としてKiroroが有名になるのは、そのおよそ5年後である。筆者の記憶では、ごく普通の公立進学校が 甲子園に出てきた、ということだったと思うのだが、なるほど、グラウンドはごく普通だった。 他部と共同。ちょうど野球部が練習もしていたが、普通の高校生というかんじで、特別にガタイが いい選手や特別に上手ぽい選手も見当たらない。これこそ「よくぞここから甲子園に行った」という グラウンドである。土は黒より赤っぽいかな。
東の海に行った昨日に対して今日は西の海。残波岬を目指した。白い砂と静かな海が印象的な ざんぱビーチも悪くなかったが、灯台のところから見た濃い青色の海が、より印象に残った。
(灯台) |
(断崖と東シナ海) |
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ホテルに戻って、すぐ近くにある那覇商業高校を見学。甲子園出場経験のある学校だが、残念ながら グラウンドは見学できなかった。というのも、校舎の建て替えがあるのか、プレハブが建てられており、 グラウンドらしきものがほとんどない。残念。
ホテルで風呂。続いて国際通りでの買い物も考えたが、疲れも感じており、夕食だけにした。 夕食はモノレールから数駅行った安里駅から歩く「ぱやお」。地元民が毎日のように集うと「るるぶ」に 紹介されていた。地元民が行く店ほど本当においしい店。そう思って行ってみたら、地元民どころか 客が一人もいない。筆者だけだ。まあそれはそれでいい。海産物を中心に注文。刺身盛り合わせ、 島らっきょうのてんぷら、グルクンからあげ、など。泡盛もおいしくいただいた。 夕食のはしごも考えたが、この日は疲れており、1店だけで終了。心配しているかもしれない親に電話。
2月2日(水)
今日は中日の北谷公園野球場。宜野湾から車で10分程度だ。球場は造りが多少古そうだが中は十分。
広さも両翼98m、センター122m。
2年前だったか、中日の関係者がシーズン中に「横浜には星を落としようがない」と口にしていたというのを 神奈川新聞で読んだ。戦力の比較だけでなく、練習内容だとかチーム運営とかまでを含めて「あの程度の チームに劣るはずがない」という意味なのだろう。なるほど、これだけ近いところでキャンプを張っていれば いろいろな情報は入ってくるのだろう。そういうこともあって、低迷する横浜のキャンプに対して、 中日はどれだけ違うのだろうかという興味もあって、見に行った。
前日同様、9時少し前の球場到着。 しかしまだ選手の到着まで時間があるようだ。球場に昨日の練習スケジュールが貼ってある。 9:15ホテル出発の10時練習開始。どこもプロ野球チームの朝は早くないのかな。9時半ごろバスが到着して 選手が多く降りてきた。
球場入口 |
スタンドおよび球場風景 |
谷繁・和田 |
グスマン・ブランコ(似...) |
今日のタイムテーブル |
10時ごろ外野でみんなでストレッチが始まったが、2人だけはショートで特守を受けている。 ユニホームではないので背番号・名前などわからなかったがタイムテーブルによれば井端・岩崎達らしい。 そういえば少し前に平田だったかが特打で室内練習場に向かった。多少、全体メニューとは動きが違う (個人練習のために先に動き始めている?)選手がいるらしい。そして特守組の後ろにも整備要員がスタンバイ。
ストレッチのあと、外野を3週くらいランニング。整列しているし声も出していて、中高生っぽい。 そのあとランメニュー(5人×6組くらい)で、ここまでが投手・野手いっしょ。順番や内容が多少 異なる気はするが前日の横浜とほとんど同じだ。そして野手はベースランニングとキャッチボール。 投手はサブグラウンドでキャッチボールやトスバッティング。岩瀬もトスバッティング、当たり前だが なかなか上手。見ているファンから「(投げる方と打つ方の)どっちの練習なんだろう?」などの声も。
(外野をランニング) |
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タイムテーブルではキャッチボールのあと3ヶ所ノックのはずだがいきなりフリーバッティングが始まった。 「バッティング」「走塁・ティー打撃」「室内打撃」「守備」の4グループ(1グループ5人程度)。 多少、内容は異なるものの4グループに分けてローテーションすることや、フリーバッティングをしている フィールドを有効に使おうというのは前日の横浜と同じだ。最初のグループは和田・谷繁・ ブランコ・グスマン・カラスコ。3人の外国人がみんなブランコっぽくてなかなか見分けがつかず、 笑ってしまう。丸っこくて黒くて大きくて。和田の打撃練習を見ていると、バットがスムーズに出て、 うまく打ってるなあ、と思う。そこにさらにゲージの後ろで見ていた落合監督がアドバイス。 和田の練習が終わっても落合監督がバットも手に細かなアドバイス。これはいい光景を見たと思った。 和田なんて、ほっといても3割3分くらい打ちそうな、プロでもトップレベルの打者だ。その打者に対して 三冠王を3度獲得、これまたトップレベルの落合監督がアドバイスを送る。内容はもちろんスタンドまで 聞こえないが、おそらく常人ではわからない、すごくレベルの高い、細かい話をしているんだろうなと想像する。
ファウルグラウンドでマシン打撃 | ブランコ |
バックネットでティー打撃 | 荒木・森野・岩崎・藤井 |
みんなの注目、一身に | 荒木の打席 目ならしに審判も参加 |
3割打者の打撃 | 森野の打席 |
現役投手も登板 | blue storm 中田 |
フリーバッティングといえど、そんなにホームランがポンポン出るわけでもない。球場も広いし 使用球も今年から飛ばないボールになったとか。それもあるが、よく見ると2ヶ所ある 打席のうち、片方は打撃投手だが片方は現役の投手が投げている。ならば、そんなにポンポン打てる わけでもないか。それでもブランコに限ってはホームランが出る。さすがのパワーだな。
この日球場で入手できた沖縄キャンプのガイドブック。各球場の紹介の他、近くの飲食店も数店紹介されている。 その中の一つ、「かめぜん食堂」で沖縄そばとジューシーを昼食に食べる。球場に戻るとまだ フリーバッティング。若手が打つ番になってきていたがもう落合監督はおらず。いや、ゲージの後ろに いなかっただけでベンチにいたのかもしれないが...。フリーバッティングのあと、4ヶ所ノック。 これも横浜での練習内容とほとんど同じだ。和田の班はひどかった。和田はともかく、谷繁はけっこう ゴロをエラーするし、丸くて黒い外国人3人衆にいたっては外野フライになるとろくに追いかけもせず 飛球に抜かれていく。試合でしっかりやればいいでしょ、というスタンスなのか。 練習の順番は当初のタイムテーブルから変更になっていたがここまでで全体練習は終わり。 内容にしても、なかなか予定通り進まなかったりすることも、ここ2日間だけで見てしまうと、 横浜も中日も同じようなかんじだった。居残りの特打は、堂上直、森越、吉川らだった。
沖縄そばとジューシー |
サンセットビーチ |
4ヶ所ノック |
居残り特打 |
見学中のスタンドで気になる光景もあった。筆者の少し後ろあたりで、マスコミ関係と思われる男が、 若手女性ファン2名にインタビューのようなことをしていた。12球団それぞれに取材してあとでまとめるんだ とかなんとか言っていたが、何が本当で何がうそかもよくわからない。好きな選手は誰かとか、 今年の中日のどういうところに期待するかとか、そういう質問はいい。ただ、次第にスリーサイズは いくつかとか、抱かれたくない選手は誰かとか、そんな質問になっていった。記者を語って 単にセクハラしているだけではないかとさえ思わせる光景。結局は「紙面の都合で記事として載らないかも しれない」とかも言い出す。記者だったのかさえあやしい。見聞きしたくない光景だったな。
15時半ごろ北谷をあとにして沖縄市野球場へ。沖縄市って、少し離れているのかと思ったらこれまた 車で10分ほど。浦添のヤクルトも合わせて、セ・リーグ4球団が相当近い範囲に集まっている。 中日の全体練習を1日見たあとに広島のキャンプというスケジュールは、自分としては意図があった。 数年前までの記憶ではあるが、広島のキャンプはきつくて、毎日遅くまで練習しているというように 報道されていた。16時に球場に着いても、例えば18時ごろまで練習しているならばそれはそれで 見学できると踏んでいた。ところが着いてみると、もう居残り練習に入っているうえに、その居残り練習も 終わったところらしく、撤収が始まってしまった。おいおい、広島は遅くまで練習しているのでは なかったのか? まあ、それで近年結果も出ていないのと、球界全体の流れもあって他チームと同じような 形になったのかな。タイムテーブルが貼ってあったので見てみたが、やはり4グループに分かれて フリーバッティングがある。第1クールということもあって、どこも同じような練習内容なのだろうか。
少し違う発見もあった。沖縄セルラースタジアム那覇から始まって、ここまでいくつか球場を見てきた。 宜野湾や北谷も、プロの公式戦を開催するほどでもなく、造りなどは古い感もあるが、球場内は 広さも施設も十分な印象があった。関東のそこそこの地方球場と同じくらい、か。ただ、沖縄市営球場は ぼろい印象だった。バックスクリーンも電光ではない。広さも他より少し足りない(両翼96m、センター118m)。 他球団が越谷市民球場レベルでキャンプを張っている中、習志野の秋津球場(より少し落ちる?)でやっているようなかんじか。 わかりにくい比喩だな。ブルペンも、宜野湾が6人、北谷ではブルペンを見られなかったが10人いっぺんに 投げられると報じられたことがある中、沖縄市営は4人。少しずつだが、施設が落ちるな。
(撤収が始まったフィールド) |
(球場風景。電光掲示板ではない) |
(帰り際、サインにこたえる選手) |
早くも沖縄最後の夜を迎えた。食事は再び「夕食2回」にすることとし、まずお土産の購入に出た。 国際通り。栄えている通りらしいが、最初の3〜4店で十分、お土産を買えてしまったので、そこまでで 帰ってきてしまった。職場に、クラブに、親に、自分に。けっこうな分量になった。 2000円を超える買い物をするとエコバッグがもらえるらしい。それも横並びで、どこのお店もそうらしい。 数店しか入っていないが、並べられている商品も同じように見えてしまい、オリジナリティは あまりなかったかな。 ホテルに戻ってレストランで夕食。1回だけバイキング形式の夕食をとれるクーポンがあった。有効利用。 寿司やカニもあり、ここは沖縄ならではの料理ということではない。そこそこに終わらせて、外へ。 5分マップで見つけた焼鳥屋「向井」に。泡盛と焼鳥。 おとといは「吉兵衛」だったが、近くに焼鳥屋が乱立しているものだ。 鳥は有名なのだろうかと、店で聞いてみると、地鶏が有名というわけではないが県内産ではあるという。 ふむ。
ここまでの旅程、いつもの一人旅との違いを感じている部分があった。沖縄の人たちはずいぶん積極的に 話しかけてくれるなと思いながらも、一方で、それでも沖縄の話をあまり聞いていないという気もしていた。 理由は移動手段にレンタカーを使ってしまっているので、これまでタクシーの運転手からいろいろ 聞いていた地元の情報が、ぱったりとなくなってしまっていたからだった。初日に「吉兵衛」でオバちゃんの 一方的な話を横で聞いていた以来、地元の話を聞いていなかった。そんなことも期待して店に入ってみたが...。 「向井」の若奥様は沖縄の出身ではあるというがそんなにしゃべる人ではなかったようで。 基地問題を地元の人はどうとらえるかも聞いてみたが、「ない方がいいと思うが基地で 働いている人もいるのでなんとも言えない」といった答えだった。那覇近辺では米軍飛行機もそんなに うるさくはないという。
純粋に焼鳥と泡盛をまったり楽しんできた。
2月3日(木)
最終日はドタバタとあちこちをめぐる結果になった。ホテルをチェックアウトしてまずは浦添市民球場に。
ヤクルトのキャンプ地だ。どうせ10時ごろまで始まらないのだろうと、この日は遅めに出発した。着いてみると、なるほど球場には
誰もいないが、室内練習場でウォーミングアップしているらしい。前夜、雨が降ったのか、グラウンドが
悪いので室内練習場で始めたようだ。室内練習場の出口に、選手が出てくるのを待つファンが少し
待っていた。
宿泊した沖縄ワシントンホテル |
ホテルでの朝食バイキング例 |
今日のタイムテーブル |
選手を待つファン |
球場は、いい。ご多分に漏れず、室内練習場・サブグラウンド・ブルペンなども一通りそろっている。 球場は、観客席などが他球場よりも整備されていて、宜野湾や北谷よりも立派なかんじだ。 今日のタイムテーブルを見ると、午後は4グループに分かれてのフリーバッティングだが、午前中に 内野のバントシフトなどもあるらしい。こういうのを見たかった。楽しみだ。やがて室内練習場から 選手が出てきてキャッチボール開始。室内練習場から球場への移動が、ファンからすれば選手を間近で 見られるチャンスになる。でかい0番がいるな、0番は青学の志田?、そんなにでかかったっけ、とか 思ったら、浜中だった。そうか、今年からヤクルトか。 キャッチボールが始まると、雨が降ってきた。次第に強くなり、選手たちは避難。 内野にはビニールシートが敷かれた。少し待ったが、球場を出ることにした。雨はあがるかもしれないが あがってもシートを片付けてキャッチボールを再開して...あるいはそのまま昼食休憩にしてしまって 再開は午後かもしれない。いずれにしてもけっこう待ち時間が発生してしまうだろう。 もともと南の方をめぐろうと思っていたこの日なので、ここで浦添市民球場をあとにした。
(球場風景) |
(外野席から球場風景) |
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選手たちがまだ室内練習場にいる間、1度球場を離れて浦添商業高校を訪れていた。宜野座村営球場と 宜野座高校ほどではないが、わりと近い。これだけ近くにプロ野球のキャンプ地があるというのは、 野球の勉強がしやすいという意味でいい環境だ。グラウンドは、これまたそこそこ面積はあるが 他部と共同ぽい。訪れた時は体育の授業なのか、サッカーで使われていた。 ブルペンが、雨の日でも使えるようになっているのと、鳥かごはある。「闘志・前面」の看板が ネットにかけられる。読谷高校を見ただけでは確信できなかったが、ここを見て何かを確信した思いになった。 沖縄の高校野球が強いのは、グラウンドのおかげということではない。それよりは、気候に恵まれて 1年中練習ができるとかの方が大きいのだろう。ただ、それだけでもないかもしれない。 読谷高校は甲子園に出たと言っても1回だけである。 1回出るのも大変だが、たまたまいい選手が同じ年に集まったとか、たまたまずば抜けた投手がいた、 とかで出られることもあるだろう。ただ、浦添商業高校は「たまたま1回出た」わけでもなく、 甲子園ベスト4の経験だってある学校だ。出るだけでなく甲子園でベスト4まで勝ち進むのは、 他県と比べて優れていることの証明になる。それでは、グラウンドがとても印象に残るものだったかと 問われると、そうでもない。ハード面じゃない強さの秘訣が、沖縄にはある。そんなことを感じた。 もしかして「吉兵衛」で立てた「異常なる精神力の強さ」の仮説も、理由の一つにあるのかもしれない。
次に向かったのは糸満。「上原屋」でアグー豚ベースのラーメン。続いて美々ビーチで海を見る。 ここはきれいだった。沖縄の海はエメラルドグリーンだとか聞いてきた気がするにもかかわらず、 季節が悪いのか、ここまで見た海はそういう印象は受けてこなかった。残波岬や宜野湾など、 印象的な光景はあったものの、エメラルドグリーンの思い出はなかった。ただ、ここ美々ビーチでは、 かなりそれに近い色を見ることができた。
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美々ビーチからかなり近い沖縄水産高校。再び高校の見学。沖縄水産高校と言えば一時沖縄代表の 常連だった高校だ。甲子園準優勝の経験もある。そうは言ってもどこにあるのかも知らず、訪れる予定も 立てていなかったが、南の海に向かう過程で通るということに気づき、見ることにした。 ここはとにかく敷地が広かった。県立であってこれだけの敷地があるのは大したものだ。 野球専用グラウンドがあるが、それと別に同じくらいの面積のグラウンドがあり、そして校舎がある。 ここの野球部のモットーは「大胆細心」らしい。ネットに掲げてあった。
さらに南に向かう途中に、寄らなかったが糸満高校という高校があった。野球の強さがどれくらいなのか 知らなかったが、これだけ近ければ沖縄水産高校と練習試合をするだろう。沖縄という土地柄、県外チームと 頻繁に練習試合をすることは困難だろうから、やるなら県内チームが相手だろう。かと言って学校数は60校ほどと、 それほど数が多いわけではない。そう考えると、仮に沖縄水産高校の全盛時に、糸満高校との 実力差があったとしても、それを理由に「練習試合をしない(断る)」ということも考えづらい。 やってくれればレベルアップのチャンスではある。 このへんにも沖縄の強さのヒントがある気がした。何校か強い学校があり、その強さの恩恵をおそらく 他校も受けられているのだ。だから全体のレベルも上がってくるからまた強い学校が生まれてくる。 土地柄、1年中練習できるという利点もあるので、もともとの底辺のレベルも高めなのかもしれない。 そのへんの仮説が合っているかわからないが、合っているならば神奈川とはずいぶん事情が違う。 神奈川は神奈川で強いのでいいのかもしれないが。
その後、糸満高校は甲子園出場経験はないが近年野球が強く、 3年生の宮國投手は巨人からドラフト3位指名されていたこと、 秋にはセンバツ甲子園の21世紀枠候補(沖縄県)に入っていたことを知る。 ちなみに沖縄水産高校には昨夏、宮國投手を擁して完勝していた。 失礼しました。 |
走行中に急に畑の中の細道をつっこんでいくようなカーナビの案内。車中では相変わらず地元FMラジオ。 初日から感じるが、楽しげな番組が続く。どんなコメントが来てもリスナーに寄り添うのはFMラジオ、 どこも同じなのかなと感じたが、寄せられるコメントが、明るく楽しいものが多い。 妊娠中とか幼い子どもがいるという女性からのものが多い。そしていずれも幸せに包まれている。 沖縄は他県より出生率が高いと聞いたことはあるが、こんなところにも影響が表れているのか。 そして、背負ってきた苦難の歴史を感じさせない明るく前向きなリスナーのコメント。 温かい気分にもなる。
不安の中の細道、なんとか無事に喜屋武岬(きゃんみさき)に着いた。沖縄本島の最南端だ。 沖縄の土地名に使われる漢字で、特殊な読みをするものがいくつかあると知ったが (「城」を「ぐすく」など)、「武」は発音せず「ん」になるらしい。 なるほど、沖縄の言葉を五十音では表現しにくいというのもわかる。 喜屋武岬に着くと、天気がよくなかったので風景は少し残念ではあったが、断崖絶壁から見る海と平和の塔、 なかなかよかった。このあと訪れる平和祈念公園もそうだが、沖縄の南の方は特に太平洋戦争時の 沖縄戦で被害が大きかった土地であることと、特攻隊として南方沖に飛び立って消えていった命があることとで、 平和を象徴させるようなもの(施設?)が多いようだ。長崎・広島に次いで沖縄。 筆者の戦争地めぐりも増えてきた。
南側に向かっている最中、このあたりに一つ、プロ野球キャンプ地があることをガイドブックで知った。 ヤクルトの2軍キャンプ地が八重瀬町東風平にある。2軍のキャンプも見てみたいと思っていたことは 先に紹介した。1軍ほど全部のサポートをアルバイトがやってくれるのかどうか、2軍にもそこまで 人件費をかけているのか、などの興味も出てきていた。結果的に読谷の中日2軍キャンプを見られなかった こともあり、足を伸ばして東風平へ。田舎の中の東風平運動公園野球場。1軍の浦添市民球場から、 車でそんなに不都合なく来られると言えば来られるが、イメージ的に山奥に閉じ込められているイメージは あるし、実際の華やかさは1軍に劣るのだろう。着いてみると球場も確かに、思ったよりよかったけれど 浦添市民球場には劣る。1軍への気持ちをあおるためにあえて差をつけているのだろうと思うと、 この絶妙な「差」を作り出す東風平の球場と、それを見つけてきた球団には恐れ入る。 おそらく日本ハムの、名護から少し離れたくにがみ球場も同じような意図なのだろう。
(球場正面入口から) |
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ちなみに東風平は「こちんだ」と読む。筆者のPCでは問題なく変換できた。ただし、音読み・訓読みを駆使して 読めるレベルではなく、知識として知らなければ読むのは難しい。東西南北がつく土地名は特に 特別な読み方をする印象があり、「南風原」は「はえばる」と読む(これも変換できた)。 「原」を「ばる」と読むまでは九州地区にもある読みなのでまだわかるとしても、「南風」を「はえ」 とは想像がつかない。
着いたはいいがヤクルトの2軍キャンプも雨天中止。この日は雨が降ったりやんだりだったので、 なんだかんだ休み休みやったりしているんじゃないかと思ったが、2軍が中止とはなんたる...いや、残念。 写真だけ撮って平和祈念公園へ。そして平和祈念公園もまた、貴重で印象深い思い出になった。
広々とした敷地。全体的に芝生が多く敷かれていて、きれいだ。人も多いわけではなく、静かでもある。 落ち着ける空間だ。ここはかつてなんだったんだろう? 普通の集落だったものが沖縄戦で焼け野原に されてしまったのかもしれない。何もなくなってしまったあとにこういう公園を作った。 そんなふうに考えるのが自然か。平和の丘から少し奥、摩文仁の丘に入っていくと、県ごとの慰霊碑がある。 全部の県があるわけではないようだがかなり多くの県がある。並ぶ順番も面積も、中に立っているものも、 あるいはネーミングもばらばらではある。「神奈川の塔」の前でお参り。沖縄戦没者墓苑の前でもお参り。
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それにしてもすごいことだ。沖縄のこの地にこういうものを作るからみなさん建てませんかと、 まずは各県にお誘いを出したのだろう。それにほとんどの県が呼応して、それぞれの県の独自性を 発揮させた慰霊碑を、地元ではなくここ沖縄に建てて集結させたという団結力。 ある意味では沖縄だからこそできたことなのかもしれないとも思わせるが、一方で平和への祈念は 県境を越えて、みな同じなのだとも思える。あたりまえかもしれないが。 奥まで上ると展望台がある。かなり海が近い。太平洋、になるのか。見渡す限りとは言い過ぎとしても とにかく広大な海だ。
丘を下りて平和の礎、平和の火を見学。平和の礎はこれまたすごかった。沖縄戦で亡くなった方々の 名前を刻んでいるというが、2010年追加分、などとついさいきんのものも入っている。さいきんになって 沖縄戦で亡くなったことが判明した人がいるのか、亡くなった方々の名前を今も追跡している人がいるのか、 何をどう考えてもすごい話だ。しかも刻まれている人数がえらい数だ。だから石碑も多い。 もちろん、もっと多くの人が亡くなっているのだろう。沖縄戦は原子爆弾による戦死ではないが死者の数は 広島・長崎の原子爆弾によるものと同じくらいのレベルだ。 いっぺんに大量の人数を殺したものではなく、(詳しくは知らないが)一人ずつを殺していっての この人数なのだろう。数日前のオバちゃんの話が本当ならば全部が米軍に殺されたものではないという ことだし、自害の人もいるだろうが、いずれにしてもその悲劇は想像を絶する。
(平和の礎) |
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すごいものを目の当たりにして、うまく言葉の表現が出てこない。沖縄戦のことは、テレビのドラマで 知った程度だ。ただ、年齢を重ねるにつけ、平和への気持ちというか戦争に反対する気持ちは個人的に 強くなっている気がする。その中で、戦争研究が目的だったわけではないながらも長崎・広島・沖縄、を 順に訪れてきたことに、一定の意味があったと自分で思いたい。
沖縄最後の食事は、平和祈念公園から那覇空港に向かう途中。南城市の「ゆーゆーらーさん」。 山の中のアスファルト道、周囲にあまり店がない中でポツンとあるお店。夕食には時間が早かったことも あるがお客さんはなし。知っている地元の人しか来ない...だろうなあ。アグーの焼肉をいただいた。 おいしい!
「ゆーゆーらーさん」で食事する前から感じ始めていたことだが、沖縄の食事はよい。 沖縄県は他県より平均寿命が長いらしく、その理由が沖縄の食事にあるのではないかと言われたことが あったが、わかる気はする。アグーはおいしい。気に入った。油が強いが、その油がまた体にいいのでは ないかと思わせる。パワーも出てくるような。なんというか、イヤな油じゃない。 体を整えてくれそうな油だ。アグー以外、ゴーヤーとか海ぶどうとかグルクンとかについてそういう 評論ができないので説得力は非常に弱いのだが、なんか、沖縄の食事を食べていると元気になれそうな気はした。
浦添からスタートして糸満の中では美々ビーチに喜屋武岬に平和祈念公園、途中東風平の球場も挟み、 南城市で夕食をとって那覇空港に戻った。20:40那覇空港発の飛行機で羽田空港へ。 特に忙しかった最終日だ。飛行機ではほとんど眠っていた。
まとめ
沖縄は、知識の上では本州の各県と、だいぶ趣を異にする県である。ある沖縄好きな知人は
「沖縄は、歴史も文化も自然も食べ物も人も、とにかくおもしろい」と言う。
それでは今回、3泊4日の沖縄旅行で、大きなギャップを感じたかと言われると、表面的にはNoである。
感受性の弱い筆者が野球しか見に行かなかったからなのかもしれない。
ただ、街中を運転すればそこそこ渋滞して、都内近郊を運転しているのと変わらない。
風景もまたしかり、多少英語表記があるかなということと、基地が多いのは特異ではあるが、
街中を運転している限りでは目新しさはそんなにない。ただ、海がわりと身近なのは少し違う点か。
気候も、寒くはないものの滞在期間中は曇りが多く気温もそんなに上がらなかった。
本州と明確な違いを感じなかった。
そんな中でも、「人」については違いを感じた。とにかくよく話しかけてくれる。そしていずれも イヤな気分になるような人じゃない。人と話さなくても大丈夫な筆者が「もっと地元の人と話せばよかった」 と思うくらいだ。ただ、そういう県民性(?)がどう醸成されてきたかは深く考察する必要があるかもしれず、 そうなったときにやはり、沖縄戦を中心に、沖縄が背負ってきた歴史は無視できないと思う。 ただの明るく人懐こい人種なのか、異常なる強い精神力を持つがためにそう振る舞うことができる人たちなのか、 そこの自分なりの答えは出せていない。
第一目的であったプロ野球キャンプ見学についても消化不良の部分はあった。天候のせいもあるが 2球団の練習しか見られず、2軍の練習も見られなかった。また、見に行った日にちが2月1・2日ということで、 まだ始まったばかりなので球団ごとの練習内容の違いがほとんどなかった。第2・3クールぐらいに もう少し長期間滞在で見に行った方がよかったのかなと、反省が残った。
球場は沖縄セルラースタジアム那覇がずばぬけてよかった感はあるが、あとは同じようなかんじかな。 両翼100m近くある、広い球場が多い。
甲子園出場校もだいぶまわることができた。沖縄水産高校の広さと専用グラウンド状態であることは 高く評価できるものの、モノとしてはやはり興南高校がよかったかな。赤っぽい土が多い印象がある 高校グラウンドの中でも黒土でもあったし。面積的にも。
東・西・南と、海は堪能できた。夏に行って太陽キラキラの下で見ることができればもっときれいなのかな、 とも思った。
食については、もともと沖縄料理に少し抵抗を持ってはいたが、そのイメージはだいぶ変わった。 特にアグー豚がおいしい。泡盛も堪能した。ただ、ゴーヤーチャンプルなど、もっと定食としての(?) 沖縄料理も食べてみてもよかったかな、とも思う。
いろいろ初めて経験できたものも多いが、はっきり言ってやり残したことがあると感じた沖縄旅行だった。 3泊4日では短かったか。日にちのセレクトも悪かったかもしれない。島にも行ってみたい。 ぜひ、また行きたい。