快笑の長崎紀行
〜伝わった "最大の英断と情熱"〜

(山口陽三筆)

平成17年1月7日(金)〜9日(日)、長崎県に一人旅に出た。県と言ってしまうとそれなりに広いし、 くまなく回ることができたわけではないのだが、自分としては長崎県、というか 少なくとも長崎市についてはけっこう満喫することができた思いでいる。 ただし、もともとは第3趣味であるVリーグ観戦が最大の目的ではあった。

1月7日(金) 1月8日(土) 1月9日(日)
7:00 起床
朝食 起床
8:00
朝食
グラバー園観光
9:00 会社勤務 土産購入
出島散歩 長崎西高校
10:00 長崎駅→安徳駅 長崎西高校
野球場
ビッグN・
平和公園見学
11:00
浦上駅→大村駅
12:00 羽田空港へ移動
昼食
大村駅→
シーハットおおむら
安徳駅→
島原復興アリーナ
バレーボール
観戦
13:00 バレーボール
観戦
14:00
羽田空港→
長崎空港
15:00
16:00
17:00 長崎空港→
大浦海岸

夕食
(大村寿司)
18:00 チェックイン 大村駅→長崎空港

空港待機
19:00 夕食(魚・焼酎) 島原復興アリーナ
→安徳駅
安徳駅→長崎駅
20:00
長崎空港→
羽田空港
21:00
22:00 夕食
(ちゃんぽん)
羽田空港→
横浜



理由なき長崎

結果的に長崎に行くことになったが、これといった理由があったわけではなかった。 というのも、数年前からVリーグ観戦を趣味の一つとしている筆者は、今年も1回くらいは 生で観戦をしたいと思っていたが、「どうせなら遠いところや行ったことのないところ」 と考えていた。それ自体にも大した理由はないのだが。自分のスケジュールとVリーグの日程を照らし合わせて、 1度は12月25・26日に山口県に行こうかと思ったが都合があわず。そこに持ってきてたまたま1月8・9日の スケジュールが空いた。この週には福岡県と長崎県でVリーグ(女子)の試合が行われることに なっていたが、福岡は高校の修学旅行で行ったことがあるから、という程度の理由で 長崎にした。もともと長崎に対する思い入れはほとんどなかった。あとから考えれば 大学の後輩に長崎出身で現在は長崎で働いている者がおり、彼に会うために、といった 理由もつけられたかもしれない。結果的に都合があわずに彼と会うこともできなかったわけだが、 長崎と決めた時点ではそんなことすら考えていなかった。


いざ長崎へ

会社の同期にも長崎出身の者がおり、聞いてみると、往復の飛行機チケットに宿泊も ついた格安のプランなどもあると言う。インターネットで探してみて、H社のプランで ちょうどいいものがあった。ただし電話をしたのが出発2週間前くらいで、予約をすると 変更がきかないと言われた上に(仕事との兼ね合いで出発時間を迷っていた)、ホテル・飛行機の空席も 残り少ないらしいことを言われ、 なんとなく急がなければならない雰囲気にさせられる。ついには、「今日の午後1時までに銀行のATMから 振り込んでください」「振り込んだら明細を午後3時までにFAXしてください」と立て続けに言われ、 言われるがままに振り込んで、振り込め詐欺にでもひっかかったのではないかという思いにまでさせられた (当時のひとりごとでも触れている)。

出発当日は当日で、午前中だけ会社勤務に出たが、昼休み前のミーティングがよりによって 10分くらい延びる。あわててバスに飛び乗って最寄り駅に向かい、なんとか羽田空港にたどり着いた。 着いたら着いたで、わりと時間があった。まあ、飛行機はこんなものなのかな。


長崎入り、最初の印象

長崎に最初に足を下ろしたのは長崎空港。羽田空港から2時間弱。長崎も飛行機ならば 意外に遠くない。長崎空港から長崎市内にバスが出ている。筆者の宿泊予定のホテルは グラバー園近くにあるのでグラバー園行きに乗ることにした。車内から外を見てみる。 そんなに特別な景色でもない。目隠しをされて連れてこられて「はい、埼玉ですよ」 「はい、群馬ですよ」と言われたとしても、そう違和感はない(別に、埼玉や群馬を 特別いなかだとか都会だとか言っているわけではない)。長崎市内に入っても 同じように感じていたが、違うのは西側の風景。港がすぐ近くで、それをはさんで 向こう側に壮大な山々。この風景は、この土地ならでは、なのかもしれない。

チェックインしたのは、大浦海岸通電停(バス停でも駅でもなく、電停と言うらしい)近くのホテルモントレ長崎。 洋風でアンティークなかんじ。室内はかなり気に入った。振り込め詐欺ではないかとまで 疑ったH社のプラン、往復航空券に加えてこのホテルに2泊して3万円台ならば安いだろうな、たぶん。

ホテルモントレ前景
室内風景 あと、バス・トイレ。テレビももちろん。


長崎紀行 --食--

長崎名物の食べ物と言えば、ちゃんぽんと皿うどん、だろうか。他にどんなものがあるのか、 会社の同期に聞いてみると魚はたいがいおいしいと言う。あとは卓袱料理という割烹料理系の ものがあると言われたが、まあ、それは特に勧められたというわけでもなかった。 そこで、今度は大学の後輩のヒデ(野球部の後輩の田中秀和で、通称「ヒデ」)に、どこか 魚のおいしい店がないかと聞いてみると、父親の紹介だと言って『川正(かわしょう)』という店を 教えてくれた。ちゃんぽんについても聞いたら、その近くの『よこはま』を紹介してくれた。

長崎に着いた初日、ホテルにチェックインしたあと、さっそく夕食のために『川正』へ。 長崎の路面電車に初めて乗った。ホテル近くの大浦海岸通電停から築町電停で乗り換えて思案橋電停へ。 そんなに迷わず店は見つかった。 飲み会で飲み屋に入るのはともかく、一人で飲み屋に入る経験はなかったので、 なんとも入りづらかったが、ここまで来て入らないわけにもいかないので思い切って入った。 魚を満喫しようと思い、刺身三種盛に、焼き物として甘鯛塩焼、揚げ物としてカキフライ。 すなおにどれもおいしかった。何か飛び抜けたものを感じたわけでもないが、 十分おいしかった。普段ビールだけの筆者も、1杯目のビールのあとは麦焼酎、芋焼酎を1杯ずつで堪能。 途中で店のオバさんが「今日はカキでいいのが入って、土手焼きにしたの二つで500円ですよ」と 勧めてくれたので頼んだ。カキフライもおいしかったが、このカキはすごくおいしかった。 とろけた。オバさんには麦焼酎も「濃い目に作っておきましたよ」とサービスもされる。 一人で飲みに来た客に特殊性を感じたのか、こういうサービスはうれしい。もう少し 楽しみたいと思ってアジの造り(一本釣り)を頼んだ。これもよかった。微妙に頭や尻尾が 動いたりする。ぜいたく感がたまらず。魚満喫の5620円。会計時にオバさんに、 知り合いに「長崎で魚のうまい店を教えてくれ」と頼んでここを紹介してもらったことを言った。 これには喜んでもらえた。それもそうだろう。こちらは神奈川から来たことを伝えると

ヒデには前に「長崎は所詮、三菱重工の街なんですよ」とは言われていたが、 やっぱりそうなのか。こんなところでも軽く実感。

当初の予定では『川正』を出てさらに『よこはま』でちゃんぽんを食べようと思っていた。 ちゃんぽんはガイドブックでも多数紹介されているので、初日と二日目で2回くらい 別々の店で食べてみようと思っていた。ところが『川正』を出てみるとけっこう満腹である ことに気づいた。体が大きくないわりによく食べるとも言われる筆者だが、それでも いっぱいだった。むりに食べられないこともないかと思ったが、むりして気分悪い 思いをしたり残したりしたら心外である。ここは万全を期して明日1回のちゃんぽんを しっかり食べることにした。

迎えた二日目のちゃんぽん。だが、島原からの帰りが遅くなり、夜9時でまだ諫早。 ガイドブックによると、新地中華街(長崎市にも中華街がある)の店はわりと9時までの 店が多いかんじ。ヒデの紹介してくれた『よこはま』が何時までなのかはわからないが、 ヒデに電話してみた。中華街のことはよくわからないが、9時ならまだやっているのでは? といった返事だった。前日見送ったおかげで結局ちゃんぽん食べられずじまいだったら 悲しいな、と思ったが、夜10時、『よこはま』は普通にやっていた。特製ちゃんぽん950円。 う〜ん、具はけっこうおいしいと思ったけど麺は微妙かな。ラーメンとはだいぶ違う。 つるっとしていると言えばしている。でも、うどんともだいぶ違う。

食事後にホテルに戻るにあたって路面電車に乗ったが行き先が違うものに乗ってしまったらしく、 一駅で降りた。乗り直すのもなんとなくお金がもったいなく(こういう100円はなぜか惜しい)、 思い切って歩いてみることにした。途中、中華街の脇も通ったが中は暗い。やはり、 9時くらいで閉まっていたのだろうか...。そして、ホテルまでもまあまあ現実的な時間で 着くことができた。そんなに広くないか、長崎市。

長崎の食、最後は大村寿司。最終日のシーハットおおむらからの帰路で夕食に食べた。 大村寿司がどれだけ有名なのかよく知らないが、寿司は好きなので食べてみることにした。 下からご飯、具、ご飯で、上に錦糸卵が乗っている押し寿司。それを四角く切ってあるかんじ。 四角いことには歴史的な意味はあるようだが料理的な意味はたぶんあまりない。 味としては、五目寿司と似たようなかんじで、ほんのり甘い。というか、五目寿司と 味の上での違いはあまり見出せなかった。十分においしかったが、特別な印象はそんなに 感じなかった。角寿司1人前といなり寿司2個、910円。

やはり『川正』での魚、アジとカキ(カキは魚じゃないか)が1番印象的だったかな。

川正 最初はビール、刺身三種盛
お勧めのカキ土手焼き 熱いうちに。とろけた。
甘鯛塩焼
アジの造り ぜいたく感いっぱい
ごちそうさま アジ平らげ、焼酎も空に
やまと 大村寿司 角寿司5個、いなり寿司2個


長崎紀行 --バレーボール--

もともとのきっかけと言うか、最大の目的がバレーボール観戦である。 そもそもなぜバレーボールなのか、を説明するのは難しいというかめんどくさい。 昨年のアテネオリンピックで刺激や感動を受けたからかと聞かれると、そのだいぶ前から 見ているのでそれは違う。特別に好きな選手やチームがあるのかと聞かれると、それもない。 女性の真剣勝負が見られるから、というのは理由の一つにはなるが、バレーボールで なければいけない理由にはならない。まあ、そのへんにしておくが、とにかく バレーボールである。

今週は長崎県に、東レアローズ・久光製薬スプリングス・日立佐和リヴァーレ・デンソー エアリービーズが集まった。今季のVリーグ10チームの中で、多少東レに注目していることは 否定はしないが、今週の行き先に長崎県を選んだのは、先述の通り、集まっているチームには 関係がない。初日(8日)は島原復興アリーナ。長崎駅から諫早駅へ、ここまではまだいいが そこから島原鉄道に乗り換えてからが長い。1時間以上走ってようやく安徳という駅に着く。 ここがまた、何もない無人駅。車掌に切符を見せるらしいが、知らなくて違う方の出口から 電車を降りてしまった。何もないのだが、景色はすばらしい。島原復興アリーナを 紹介するホームページにもあるように、西に平成新山、東に有明海を望む、景色のいい場所。 安徳駅で降りたのは何人かいるのだが、一人者の男性が声をかけてくる。「行き方、わかりますか? 地図くらい持って来ればよかったなあ。タクシーくらいいるかと思ったけどぜんぜんだなあ。」 おいおい、行き先も告げず「行き方わかりますか?」って。結局二人でいっしょに歩いていく ことになった。筆者も何度かの女子バレーボール観戦で、確かに男性の一人者が会場の 最寄り駅にいるとなんとなく "におい" を感じることはあるが、筆者もそう思われたのだろう。 島原復興アリーナに行くなどと、どちらも口にしていないのに島原復興アリーナに向かっていた。 向かう途中の話でわかったことによると、同行者は岡山県から朝一番の新幹線で向かってきたとのこと。 岡山だとシーガルスのファンかと思ったら、そうではなくデンソーのファンと言う。 シーガルスのファンをやっていて、弱い弱いと思っていたら、もっと弱いデンソーという チームに巡り会ったので応援することにしたと言う。そんな動機もあるのか。 見たかんじは筆者の10才前後年上か。家庭や仕事のことまでは聞かなかった。 やがてバレーボールの話になる。岡山にいると、シーガルスがなかなか強くならないことで メインスポンサーの一つである中国銀行も手を引きそうなこともわかる、 といった話も紹介してくれた。さらに話は進んで...

金森という選手は知っている。20代も後半にさしかかったベテランの域に入る選手だ。 ただし選手としての力がどんなものか、いまいち印象がないし、今季リベロとして 出場しているのかどうかも知らなかった。話の流れからすると、不満があるから 他の選手に代えた方がいい、といった話だろう。
と答えておいた。さすがだ、マニアなファン。結局この男性とは、アリーナ付近のコンビニで、 寄る彼と寄らない筆者とで分かれた。

島原復興アリーナ。何もないはらっぱにドーンと立派なものが建っているかんじ。 名前から勝手に想像するに、「雲仙の噴火という大きな災害は受けたけれど 我々はそのどん底から見事に復興しましたよ」という意志表示、その象徴として できたのがこのアリーナなのだろうと、勝手に思った。あとでインターネットで 調べてみると、それはだいたいその通りっぽいのだが、島原復興のプロジェクトは 27あるらしく、このアリーナ建設はその一つに過ぎないらしい。

さて、試合は第1試合が久光VSデンソー。デンソーは、 知らない選手が何人か出ている一方で知っている選手が控えに追いやられていたりした。 前年度順位から、また、今季の順位からも久光優位かと思っていると、第1・2セットとも デュースになりながら久光が取った。このへんは経験というか勝ち慣れているあたりなのかな、 と思ったが、第3・4セットはデンソーが取った。やるではないか。久光の外国人・トーマスが あまり決まらなくなったように思えた。デンソーがよく封じた、ということか。 ただし先野はよく決まる。これだけ息の長い選手で他チームもいい加減わかっているだろうに、 それでも止まらないのだからすごいのだろう。 第5セットも接戦にはなったがリードを保っていたのは久光。誰かが以前に解説で 「第5セットになったらエースの打ち合い」と言っていたのだが、デンソーは中盤で バックアタック、セッターツーアタックを立て続けに決められない場面があった。 エース不在ゆえか、変に工夫を凝らしたのが裏目に出て流れを失ったと見えた。 15-12で久光が取って接戦にケリをつけた。デンソー、外国人もおらず目立つ選手も あまりいないが、よくがんばっている方なのでは? その中でも草深の不振ぶりは残念だった。 大砲不在の中で昨年まで一応エースは務めていた。ただ、筆者はどうも、気持ちが弱そうな 点が気になっていたし、チームも振るわない中で彼女が責任を背負わねばならないならば、 ちょっと重いかとも思っていたが、今日見る限りは責任を負う立場からも降ろされている。 ほとんど試合に出ず、たまに出てスパイクを打てばつかまっていた。たぶん、選手生命の中での 踏ん張りどころなのだろうな。第2試合は東レVS日立佐和。前年2位ながら 今季ここまで4勝10敗と振るわない東レ。第1セットを取られて第2セットもビハインド。 メンバーも変わらず何が悪いわけでもないだろうに、なんで今季こんなに勝てないんだろう、 とか思っていたら第2セットを逆転で取ったあと、第3・4セットも取って勝ってしまった。 ヒーローインタビューでは地元出身ということもあって東レの濱口が呼ばれた。 呼んだのはいいが不慣れなインタビュアーのオヤジが「今日のレシーブはいかがですか?」 「まあまあでした」のひとことで終わっちゃった。ヒーローが二人いたから両方に話を 聞かなければならないとは言え、せっかくの地元選手を、なんだかよくわからないな。 だいたい、インタビュアーは誰なんだ? 地元の放送関係? マスコミ?

東レがよかったのか悪かったのかよくわからなかったが、日立佐和もどこかいただけない。 外国人エース・クロフォードがとにかく決まらなかった。途中で監督の選手起用に迷いがあったかな、 と見受けられる場面もあった。昨年から筆者が観戦する試合が日立佐和の試合と重なる ことはわりとあるのだが、思えばほとんど勝っていないか? そう言えばいつも 「勝てなくてもこれだけ熱心な応援団、大変だな」とか思いながら帰路についている 気がする。選手に対して好感は持てるチームなのだが、日立佐和。ただ、2試合ともわりと競った試合で、 真剣勝負を堪能することはできた。

久光製薬 27-25 デンソー
33-31
21-25
24-26
15-12
東レ 21-25 日立佐和
25-21
25-23
25-23

14時試合開始の上、2試合ともわりと時間がかかって、会場を出たのが19時前。 出てみるとさすがに寒い。海が近いから風は吹くし、九州と言っても冬の夜は寒い。 しかも周りに何もないところなので暗い。安徳駅からは一人で歩いてきたわけでもなく、 バックに壮大な平成新山がそびえる暗い夜道を一人で安徳駅までたどり着けるか、 不安だった。寒い、暗い。でもなんとかたどり着いた。しかし電車は1時間に1本で、 筆者が着いた時刻からは40分待ち。やることない。大学の野球部の同期やらなんやら 電話してみるも、のきなみ出ず。まあ、いたしかたない。

外部風景 安徳駅付近から平成新山-1
安徳駅付近から平成新山-2 鉄橋、邪魔だったな
仕方ないけど
復興の道しるべ? 奥にアリーナ
島原復興アリーナ 新しくて立派
アリーナ内から有明海
会場風景 久光、団結
両チーム練習風景
試合開始
赤ちゃんも観戦 試合見てないか
久光、ピンチでタイム
ヒーローインタビュー(トーマス) 高い!
デンソー、応援団にあいさつ 善戦むなしく
試合前練習風景(第2試合)
東レ、円陣
東レ勝利 メイクドラマは島原から
ヒーローインタビュー(濱口、大山姉) 濱口、かなリィやります


二日目は場所を大村市のシーハットおおむらに移しての試合。大村駅から少し歩くが、 やはり同じ目的地を目指しているらしい女子高生集団がいて、着いていったら(あやしいな) 到着できた。ここは、多目的施設というかんじで、文化的な会館と体育館と、 両方を備えているかんじ。シーハットが海に浮かぶ帽子という意味かどうかは知らないが、 確かにやや遠くから見えてくると、そういうふうに見えなくもない(大村湾が近い。またも海の近く)。 会場に入り、例によって指定席券購入。前日は2階から全体を見たので、今回は1階で 選手を間近に見ようかと思った。しかも最前列。座ってみるとかなり近かった。 ベンチと控え選手スペースの間くらいの位置の、最前列だった。

第1試合は久光VS日立佐和。結果的に久光が圧倒した。というか、やはり日立佐和が悪いのだが、 この戦いぶりは納得いかなかった。前日から悪かったクロフォードに監督がしびれを切らしたか、 第1セット途中で下げ、結局試合終了まで2度と出さなかった。主将の都澤も調子が悪いと見られたか、 同じような扱いをされた。筆者の持論としては、野球でもバレーボールでもであるが、フィールドに 立っていること自体が必要な、チームの精神的支柱となる選手というのはたいがいいると思っている。 例えそこにボールが行かなくても、である。その選手がいないことで、直接の因果関係は 説明できなくても、何かチームがおかしくてずるずる行く場合がある。日立佐和にはそういう存在が ちょっと見えにくいが、強いてあげるならばその存在に近いのは主将の都澤ではないかと、 筆者は勝手に思っていたが、それも簡単に下げてしまった。 代わりに出た若手選手ではなかなか通じるわけもなく、ずるずる行った。 セッターの水洗・板橋の使い分けもよくわからない。リーグの中で若手を育てながら、 というのも大事であろうが、まだ中盤であって4強入りをあきらめるべきでないのみならず、 入れ替え戦回避の意味でも、1敗をむだにできないはずである。筆者は日立佐和を応援しに 来ているわけではないが、そのために来ている人もいるし、筆者は筆者でお金を払って ハイレベルな真剣勝負を観戦に来ているのである。

第2試合は東レVSデンソー。熾烈な熱戦になって序盤までを忘れてしまった。バレーボールの スコアブックというのがどういうふうになっているのかわからないが、なんとか試合を 効率的に記録する方法はないのだろうか? 瞬間瞬間は、ハイレベルなプレーに感嘆したりも するのだが、どうも細かくしっかり記憶に残すのが困難である。デンソーがセットカウント2-1と リードした第4セット、デュースになってあと1点でデンソー勝利、というところまで いったが東レが粘った。逆転でこのセットを取った。確かこのセットの途中でデンソーに 1点、不可解なセッター交代の場面があった。ちょっとしたことで惜しくもセットを失った末、 前日のフルセットでの敗戦もよぎるであろう。これはデンソー、不利か。ただし、 第5セットはそんなこともなかった。接戦とはなったが最後はエース(と言っていいだろう)の 岡野が決めた。またもフルセットの熱戦を堪能。

久光製薬 26-24 日立佐和
25-21
25-19
デンソー 20-25 東レ
25-17
25-23
25-27
15-12

1階席だからよりわかったかもしれないが、デンソーはセンターがおとりになって 後ろからバックアタックが飛んでくる攻撃をわりと使っていた。今年からセッターが 代わったこととも関係があるんだろうか? おもしろい攻撃だと思った。 1階席ならでは、ということで言えば、やはり控え選手スペースが間近だったのは これも興味深かった。試合に出ていない選手も1球に集中して声を出している。 まあ、そのへんは野球とも似ている。野球と似ているが、野球はどこか、のんびりしている ような雰囲気、冷めた雰囲気、時におちゃらけているベンチ風景...。 真剣な一方でそんな光景もちらほら見られると思うのだが、それと比べると バレーボールの方が真剣な気はした。意味のある声も出ている。ヤジまでいかないが 相手の選手を名指しでなにやら叫んでいるケースもある。こういうのはわりと好きである。 チームの勝利への気持ち、目の前のプレーへの集中、そしてなにより、まっすぐに この道に賭けるというか...。彼女たちがバレーボール以外に何もしていないとも思わないが、 中には自由に遊びたい年代の人もいるであろう中、かなり多くのものを犠牲にしたりして この道一本に賭けてはいるのだと思う。そのあたりが魅力の一つでもあるかな。

外部風景 シーハットおおむら
会場風景 久光・野田ら
久光・トーマスら 足長い...
日立佐和・都澤 あまりよくわからないな
日立佐和・飯田 有名人と同名「イイダ・カオリ」
けっこう決めます
控えも得点にバンザイ
日立佐和、思わぬ控え風景 レギュラークラス、まとめて控え
主将・都澤(奥)
リベロと代わっている飯田
元全日本セッター・板橋(手前)
エース・クロフォード(後方)
デンソー・桜井 ちょっと注目の "同期"
デンソー・草深 出番も減ってつまらなそう
東レ・西脇、大山妹
東レ・西脇 昨年のプチ注目選手
タイム中のランニング風景(東レ)
歓喜のデンソー 今日はフルセットを接戦で勝利

二日間の観戦を終えてシーハットおおむらの体育館をあとにするとき、最後まで筆者が 目を配っていたのはデンソーの桜井であった。他の選手が上がっても、入念にクールダウンを続けていた。 この選手は一時、全日本のリベロも務めたこともあったと思う。 デンソーの主将に就任してからもけっこう長い。リベロというルールができたときから リベロを務め続けている。そしてなにより、筆者がわりと気にする "同学年" だし、 一時ファンにもなりかけた選手である。 まあ年齢のことはともかく、彼女のプレーでリベロってこういう役割なんだ、というのが 少しわかってきた気がする。久光のリベロ・吉田のプレーも含めて、かもしれないが。 なんというか、走り回ってなんでも拾いまくるのがリベロだと思っていたが、 それのみならずセッターにいかにトスしやすい球を返すかもとても大事で、そのための技術を、 質量ともに持っておくことが必要なんだな、みたいなかんじ。

大村駅への帰路で、そう言えば長崎に来るにあたって、東レが今季不振であることを 気にしていたことを思い出した。結局今週1勝1敗。いまいち乗り切れないと言えば乗り切れない。 ただ、やはり何がダメなのかよくわからなかった。昨年2位のときから代わったメンバーと言えば、 負傷している富田が、筆者の昨年の大阪観戦でプチ注目選手になった西脇に代わったくらい。 西脇が悪いかと言えばそんなこともなく、わりと決めている。雰囲気も悪いと思わない。 控え選手スペースからの声も、4チームで1番出ている気もする。アタッカーのアダムス・大山姉の 決定率が多少悪いのかな、という気はするが(数字は未確認)、決まっていないこともない。 達川監督も特別おかしなことをやっていると思わないし、優勝経験もあるベテラン監督である。 やはり、2位の翌シーズンの難しさ、かな。勝ち慣れていないチームがいきなり2位になったり すると次のシーズンは戦い方が難しかったりする。いっしょにすべきではないとは言え、 少なくとも筆者の大学時代の野球ではそんな経験があった。

(あとで気づいたが、東レの不振については大林素子も専門家の視点で、インターネット上に 文章を書いている。)


長崎紀行 --野球--

野球をやっている時期ではないのだが、野球人として、本当に最低限の活動だけしてきた(つもり)。 長崎ビッグN(正式名称は長崎県営球場?)を見てきた。当初はビッグNだけを見るつもりだったが、 ヒデとの電話の中で「西高のグランドも見てくださいよ」と言われていた。西高は長崎西高校のことで、 ヒデの母校。公立ながら過去には甲子園出場2度を飾っている(ヒデの在籍時は甲子園に出ていない)。 そこそこ目につく映像としては、現巨人の工藤投手が甲子園でノーヒットノーランを達成した映像を たまにテレビで見ることができるが、その対戦相手が長崎西高校だったらしい。 そのグランドをぜひ見てくれと言われたので、一応行ってみることにした。

最終日の午前中、浦上駅から歩いてまず長崎西高校へ。校門だけ見て帰ってきた。 校門直前にきつい登り坂があり、いかにも野球部が坂ダッシュをしそうな傾斜。 ただ、グランドは学校とは別のところにあるらしい。タクシーの運転手に言えば わかると言われており、タクシーなら5分くらいと言われていたが、乗ったタクシーの 運転手がわかっていない。無線で確認してなんとか向かう。稲佐山の方に少し登っていって 中腹あたりにグランドが現れた、というかんじ。中には入れずに外から見たが、 すばらしい環境だった。壮大な山々に見下ろされ、広々した雰囲気で、野球だけに 専念できそうな環境。野球の合宿で地方に行ったときに練習で使うような環境。 さすがに、土地はあるんだな。ここから甲子園球児も出ているのか。

タクシーを少し待たせて写真だけ撮って引き返し、次はビッグNに行くようお願いした。 ところが当初から頼りないこの運転手、ビッグNもわからず、聞き間違えて「育英高校の グランドですか? わからないですね」と言う。ビッグNと育英を聞き間違えたらしい。 そもそも長崎に育英高校があるのかもよくわからないのだが、その話題を広げても仕方ないので、 ガイドブックの地図を見せる。「ああ、これは大橋球場ですね」。そんな名前もあったのか。 こっちが知らないよ。ましてわかったわりには、行くまでにも多少迷ったっぽいが なんとか到着。ビッグNもすばらしかった。きれいだったし、外見が立派だった。 中には入れなかったが、電光掲示板も少し垣間見えた。そして正面入り口っぽい位置には 無意味にでかいヘルメット型オブジェクトが。これが何を示すのかは、よくわからなかった。

長崎西高校 正門に続く坂道 坂ダッシュするときついだろうな
正門
「自律」の碑
野球場-1 背後に山もそびえる
野球場-2
ビッグN 外観風景
電光掲示板 奥になんとか
でかいヘルメット


長崎紀行 --観光--

観光目的で行ったわけではないが、せっかく行ったからと、8・9日の午前中だけを 観光に充てた。観光目的でなかったわりにはそこそこ見られたかと思う。

二日目はホテルから近いグラバー園に。あまり時間がないからはしょって回ろうと 思っていたらいきなり頂上に着いてしまった。この頂上からの眺めはよかった。とてもよかった。 晴れていたことも手伝って。港が見えて大きな船がいる。港を挟んでその向こうも 陸になっていて街が栄え、そして背後はやっぱり山である。この特徴的な風景、 長崎の特徴かもしれない。グラバー園自体は、鎖国時代だか、それが解かれた明治初期だかに グラバーという外国人が住んだというところ。園内にはグラバー住宅の他、オルト住宅、 ウォーカー住宅、リンガー住宅などと呼ばれる家がある。日本が世界に対して十分に開かれていない 時代に作られた西洋っぽい建物、というのが特徴の一つであるらしい。確かにこの園内一帯だけは 日本という気はあまりしないかも。グラバー住宅は日本最古の木造洋風建築ということらしい。 ただ、総じてそんなに特別な印象はなかった。筆者自身にもともとそういう方面への 興味がないのかもしれない。頂上からの風景がきれいだったことが1番の印象か。 そうそう、園内の石畳の中にハート型の石があるというので、探して見つけてさわっておいた。 園内マップに「見つけると恋の願いが叶うかも?」とか書いてあったので。 さわれとは書いてなかったけど。 (こんなこと、今どき中高生でもやらないか)

そういえばその頂上にある建物は「旧三菱第2ドックハウス」という名前がつけられている。 グラバー住宅の中にも年譜表みたいなのがあるのだが、やはり「三菱」の名前が出てくる。 一時期三菱が買い取った時期があってその後、市に譲ったとかなんとかである。 まったくうるさくてしょうがない、三菱。「川正」でのオバさん、ホテルモントレの エレベーター(三菱製)に続いて3度目の「三菱」だ。西洋の雰囲気を醸し出すつもりならば、 日本の一企業の名前なんか年譜表に入れなくてもいいではないか(仮に事実としても)。 本当に長崎市は三菱の街なんだな、とここで痛感。聴覚よりも視覚において三菱がうるさかった。


最終日は長崎西高校・ビッグNとたどったあと、ビッグNから歩いて平和公園に向かった。 どうも、順路的なものとは逆になってしまったらしく(普通、ビッグNからここに向かう者など いないのだろう)、いきなり平和祈念像の背後に出てしまった。平和祈念像。そんなものが あることは長崎行きを決めるまで知らなかった。もう少し言うと、長崎に原爆が落ちた ことはもちろん知識として知っていたが、どうしても原爆被害と言うと広島の方が 有名なかんじで、長崎と言われて真っ先に被爆地ということを連想するものでもなかった。 ただ、この平和祈念像はなかなかよかった。薄い水色の巨大な人間の像。右手を真上に、 左手を真横に伸ばして目をつぶっている男性のようだ。右手は原爆、左手は世界平和、 つぶった目は死者の冥福を祈る旨の説明が書かれている。説明板にはこの像を建立することで この地に原爆被害があったことを示すとともに2度と繰り返してはならないというメッセージを 出すといった主旨のことが書いてあった(と思う)。そして説明板の中で最も印象に残った言葉。

像の建立にそれだけの思いが込められているということだろう。とても重い言葉だと思った。 そして、歴史もしっかりと把握していない筆者が言うのもおこがましいが、 その思いは少なからず自分に伝わったように思う。この言葉をさらに深く読んでいくと、 「米軍によって自分たちの歴史と人生を絶させた、 原爆による数万度のがあったことをここにアピールする」などと解釈することも できるのだろうか、とも思ったがそれは深読みしすぎか?

平和公園から原爆公園へ歩いてみる。すぐそばだが、あとから気づくと別の名前がつけられている。 公園脇には石碑や立て板、あるいは折鶴が多くある。少女の書いた作文と絵の立て板がある。 父・母・妹が生活中の格好そのままで真っ黒こげで亡くなっていたことが表現されている。 火事や倒壊ではなく、想像を絶する高熱で一瞬にして亡くなったことを知る。 他の立て板でも上空500mあたりで爆破した原爆による熱圧で街が焼かれたということが 書かれていた。落下の中心地にも碑がある。原爆前の断層を示す印もある。原爆前の 街の様子が1枚の説明板に描かれている。1件1件の家の名前に加え、それぞれが何屋さんだったかも 描かれている。八百屋、魚屋、豆腐屋等の食品店、薬や葬儀屋等の生死に関わるもの、 雑貨・文房具・郵便局...この一帯で生活が完結できていたことを感じるし、 その安定した生活を崩されたのだということを表現したいという思いを感じた。 広島の方がどういう形の表現をしているのか知らないのだが、とにかく被害のアピールが強いのだ。 当人たちにとって思い出したくもない思い出であることは間違いないだろうが、 それを隠すのではなくあえて前面に押し出して主張しているのである。平和への強い思いを感じる。

原爆中心地の碑あたりからふとながめると、ビッグNの照明設備が見えることに気づいた。 てくてく歩いてきたから、当たり前ではあるがそんなに遠くない。ここに原爆が落ちた ことを考えればビッグNのあたりだって焼け野原になったであろうから球場設立は当然、 戦後だろう(その後の調査によると、昭和27年らしい)。 戦後の市民の唯一の娯楽の場として野球場が必要だったのかもしれないが、 それよりは焼け野原のどん底から復興する意志表明、復興のしるしとして、つまりは 島原復興アリーナと似た動機でこの地に大橋球場を設立したのではないかという 解釈もできる気がする。わざわざ被爆中心地からこんなに近い位置に野球場を作ったことからも、 そんな解釈ができる気がする。その大橋球場が、時を経て、改修もされて名前も長崎ビッグNと 改称し、プロ野球のオールスターも呼んで(平成12年だったか)、試合後のヒーローインタビューでは イチロー(現シアトルマリナーズ)がスタンドの観客に向かって呼びかけるような ことにまでつながった(確か「長崎の皆さん、盛り上がってますか?」だか「もっと 盛り上がりましょう」みたいな言葉だった気がする)ことを考えると、感慨深いものがある。 野球と絡めてそんなことまで感じた。

長崎駅 長崎駅
グラバー園 大浦天主堂
頂上から長崎市展望-1 海を挟んで向こうに街、
その背後に山という
特徴的な風景
頂上から長崎市展望-2
頂上から長崎市展望-3
頂上から長崎市展望-4
頂上から長崎市展望-5 頂上から少し港に近づいた
高島流和砲
オルト住宅
三浦環像 蝶々婦人
グラバー住宅
グラバー邸の食事
水辺の森公園 公園風景-1
公園風景-2
出島の1番先っぽから
平和公園・原爆公園 最大の英断と情熱 正面に献花、右に折鶴と説明板
平和の泉 奥に平和祈念像
多くの石碑や折鶴


まとめ

ひとことで言うと、十分に楽しんだ長崎旅行だった。主目的であったバレーボール観戦では、 真剣勝負を目の当たりにして堪能できたと思う。食にしても野球場見学にしてもまずまず。 そして最も印象的だったのが、出発前はほとんど気にかけていなかった被爆関連のことである。 長崎を見て帰ってきたからといって、正直を言うと長崎の被爆や戦争そのものについての 筆者の認識が大きく変わったということはない。「2度と繰り返してはいけない」などの 通り一遍のコメントを出すつもりもない。ただし、長崎の強い思い、「最大の英断と情熱」は 少なからず伝わったと思っている。だから何をするというものでもないが、新たにこういう ことを知ることができたという収穫はあった。

また、長崎という県がいろいろな意味でとても特色のある県であることを知った。 まず県の形がとても特徴的でなんとも表現しづらい形をしている。西側には島も 数え切れないほど散らばっている。そして、長崎市にしても島原半島にしても大村市にしても、 どこも海が近くて山も壮大。自然は多い。そこに持ってきて戦争による被爆という 人的災害と、雲仙の噴火という自然災害。他ではそうそう起こらない大きな印象的な 災害を不幸にも体験し、ただしいずれからもしっかりと立ち上がった(立ち上がろうとする) 芯の強い県民性? さらに加えて歴史的には鎖国時代に唯一世界に開かれた土地であるという ことでの独特な文化の発展。2泊3日程度の滞在で知ったようなことを言うべきではないだろうが、 非常に特徴的な県である気がする。

ちなみにタイトルの「快笑の長崎紀行」は、すなおに「行ってよかった」「満喫した」 という思いを表現して「快笑」の言葉を使わせてもらった。ただし、そんな言葉は ないかもしれない。このタイトルは、大学時代の指導教官の一人である西村恕彦先生が 執筆された文章「微笑みのバングラデシュ」からとらせていただいている。 筆者は西村先生の藍綬褒章受賞記念で作られた冊子でそれを読んだ。一般に対しては 共立出版株式会社の『蟻塔』の平成4年9・10月号〜平成5年5・6月号に5回に分けて掲載されたらしい。 内容は、西村先生が平成2年夏に知人に自身の息子一人も含めた数人でバングラデシュに 行った際の紀行である。内容によれば仕事(研究)と観光の半々という気もするが、正確なところは 把握していない。2週間の滞在でのいろいろな記録がされている。現地人の家や教会・神学校に宿泊したり 訪ねたりもしたらしいのだが、文化・習慣の違いだけでなく、衛生面・食事面でいろいろと 苦労もした旨、うかがいしれる。中には文明の遅れや教育の不足を象徴するようなエピソードも いくつか紹介されている。部分的には日本の歩んだ歴史と重なるという解釈も示している。 最終回は知人への手紙を紹介する形で結ばれており、「この国の現実を知る旅行は、つらいものでした。」 「わたしも疲れました。帰国して3日ほど寝つづけました。重い重い疲労を感じます。」 と書かれている。それでは、行って後悔ばかりしてそのうらみつらみをつづっているのかと言えばそうでもなく、 興味深いことや、日本で到底体験できない貴重な体験もいろいろあったようではある。 何より異文化に触れたことの感想をつづっているというかんじである。 それらをひっくるめて「微笑みの」というタイトルをつけたことに筆者は、どういう意図なのか よくわからないものの、なんとなくセンスの高さを感じていた。 興味深いという意味でおもしろかった、ということなのか、楽しいことと苦しいことと 両方あったけれど合わせると楽しいことが若干上なので微笑み程度に落ち着いたのか、 あるいは、ないとは思うが嘲笑の意味合いも込めての「微笑み」なのか、 意図しないまでもたまたま日本の歩んだ歴史を(部分的に)たどってきていることに対する親しみの念なのか、 などと思考を巡らせたりした。まあ、いずれにしても読む者にそういったことを考えさせる、 絶妙なタイトルをつけた西村先生に影ながら敬服はしていた。今回の筆者の長崎行きは、 すなおに行ってよかったと思えるものであり、タイトルに深い意味を込める必要もないのだが、 西村先生のセンスの高さを形だけお借りして、「快笑の」とさせていただいた。


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